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ヘイフリックの限界part2

ヘイフリックの限界part2

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2010.02.21
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昭和20年9月26日「真理は万人によって求められることを自ら欲し、芸術は万人によっ

て愛されることを自ら望む・・・」と書いた三木清が獄死した。

三木哲学の提唱者と知られ多年若きインテリや学生から尊敬されていた。逮

捕の理由は、悪法治安維持法違反容疑である。49歳の彼は豊多摩刑務所の

拘置所で急性腎臓炎という病名の下に急死した。ポッダム宣言の履行をタナ

上げされていた。外国人の取材に対して、山崎内相は「・・・とくに天皇制

廃止を主張するものはすべて共産主義者と考え、治安維持法によって逮捕さ

れる」と回答した。GHQは、急遽「人権指令」を発し、治安維持法・言論の自

由等を制限する法令の全廃。政治犯等の即時釈放。思想警察の廃止。内相・

警視総監と警察部長等特高警察を罷免と解雇を命じている。日本国民は一哲

学者の死と占領軍の強権で「権利の章典」を手にしたのだ。


大内兵衛は「旧師旧友」でいう。

「三木君は非哲学的な最も物理的な方法によって、彼の頭脳にも腹にも一杯

になっている思想を一言も吐き出しえずして、否、吐き出しえないようにさ

せられ死んでいった。・・・」

しかし、彼の死は、その死を報じた一本の記事によって戦後の日本人に真実

を語り、「人権」を与えたのだ。






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最終更新日  2010.02.21 06:11:32
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