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ヘイフリックの限界part2

ヘイフリックの限界part2

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2010.08.08
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カテゴリ:カテゴリ未分類
<作品> 「泥濘」、「路上」





・政治と小説とは違う。それこそ、一言二言では済まない世界。

・「カネへの拘り」・・・が、TPOで変わっていくこと。

・読者は、クリアでなければ読めない。

・文学は、単純な<ことば>ですまないものを書く。

・ひとには、単に多くのことばだけではわからないものもある。分からないことが分かればいいという考え。人間性の複雑さ。



 「泥 濘」、



・影の部分の自分をみる。

・自分の気持ちの「泥濘」という比喩で表現している。

・自分のうらの気持ちを書きたい。

・時間にこだわるひと。東京の人は、1分でも遅れるといらいらする。

・川端「伊豆の踊り子」・・・「ことことと笑ひ続けた。」モチーフが梶井との共通点。

「拭われたやうに感じる」。

・気持ちを転換しようとする。

・ドッペルゲンゲル・・・鏡像現象。同じ自分ではない。

・胎児が胎内で聞いた母親の心臓の音で安心する。この世に一つしかない。

・鏡で、自分の姿をみる。見る自分と、見られる自分のふたりの自分。・・・幻覚をみるのが小説家で、それが見られないなら本物の小説は書けない。

・「ぼんやり」・・・が沢山あるのは何故か?

・「ぼんやり」ということばを簡単にはこの作家は使わない。芥川の「羅生門」の最後にも「ぼんやり」がある。

・「ぼんやり」・・・と生きている。凡人。

・「ぼんやり」は、・・・ぼんやり読んでいては、その意味がわからない。

・作家は、同じ言葉を何度も繰り返さない。タブー(ことばがだれるから・・・)。敢えて使うのは「異常」である。「泥濘」の、<ぼんやり>が繰り返される。強調されている。

・梶井の「ぼんやり」・・・を理解できない。と梶井に世界が分からない。

・何かに魅せられている。そういう自分に魅せられるこころがわかるかどうか。

・「普通でない」ことを書いている。

・どこが異常なのか。

・不快な気分がないと想像が生まれない。

・「泥濘」の中からイマジネーションが湧いてくる。

・「泥濘」、それがなければ、梶井のイマジネーションが生まれないと感じていた。

・「泥濘」の状態は、異常な精神(心理)。

・「ぼんやり」の正体を梶井は知ろうとしている。凡庸な読者は気づかない。

・「肝心なことば」、を繰り返すのは良くないとされている。「城の崎にて」と同じ。「異常さ」。が繰り返される。

・「危ないぞ」は、「路上」でも出てくる。

・「破滅」「破壊」を表現している。

・作家は、同じことを別の容で書いている。どう表現するか。

・梶井は、ドッペルゲンゲルは、「ぼんやり」でない。月光・・・影・・もう一人の自分。

・ドッペルゲンゲルを書こうとしている。「ぼんやり」・・・気持との転換を求めている。川端の「踊り子」とは違う。

・結末を冒頭に書く。

・ポーの作品。の影響があること。

・「ウイリアム・ウイルソン」

・はじめはクリアな内容・ぼんやり・見入っている。(凝視(みい)る)

・梶井は、「瞬間」に敏感。凡人は鈍感である。作家の感性がある。よく気づく。

・「繰り返し」に・・・気づくことが、重要。

・芭蕉「岩にしみいる」が、はいっている。太宰にはない。「岩に沁み入っている」のは芭蕉自身。それとおなじ梶井の心情がある。梶井は、「葉」そのものになっている。

・難しい作品で、理解しにくい部分。セザンヌ。

・梶井の「健康的な部分」。・・・と言われる。印象派的・・・セザンヌ。

・「鏡」が怖い。恐怖。詩人の発想。朔太郎「猫町」

・ポー「鐘楼の悪魔」・・・闖入者。

・<二>・・・妄想。見てくれたらいいではない。自意識過剰ではない。変な姿を見せたかった。破滅の姿というとらえ方が異常。



・他人の「死」をひとは自分のこととして受け止められない。

・ひとは手続きの中に生きている。習慣の中に生きている。破滅の恐怖。

・こけた自分が死である。・・・破滅。

・「牛肉と馬鈴薯」

・自分の泥沼状態に拘って書いている。そこが異常。不快なことを書いている。まともではない。





「路上」



・「死」のこと思っている。

・坂道を転げ落ちる。・・・破滅のような。

・「泥濘」との関連で見る必要。一体として見る。

・梶井の辿り着いた位置までは中々、ふつうは届かない。

・梶井のことば「変な気持」(空漠の感、およびそれに対する本能的な抵抗)これが主題です。(近藤直人宛の手紙)

・さも関係ないように書いている。「泥濘」「路上」

・自分と草・・・ドッペルゲンゲル。自然への同化作用が理解できる。1対1

・草が揺れている。自分のこころが揺れている。そのこころがわかるかどうか。感性でわかる。

・説明すること・・・難しい。自分と鏡。1対1。「自分が草である」ことが分からないと文学が理解できない。「草のようだ」は、自分が草だと言っている。



・「泥濘」自分と草の関係が伏線になっている。「路上」自分と影の関係に変わっている。破滅の姿。

・「絵」で表現しようとしている。破滅の姿。誰かが見ていて欲しい。という願望がある。「死という現実」に驚きたい。といっている。

・「絵」は、自分のこころ・・・気づかせないように書いている。短編が多い理由。狙いは自分の気持ちを書いている。










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最終更新日  2010.08.08 07:06:39
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