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時々思いがけないことが起きる。「人生塞翁が馬」というのは、中学生の教科書で習ったが、そのころの言葉が頭に残っているのは、まだいくつかある。そして、今でも口から出る時があるから、それだけのインパクトがあったのだろう。落ち込んでしまうこともあるが、回数は減ってきたが、生きていて好かったという気持ちも起きる。この月の13日には、朝からクロツラヘラサギを2か所で8羽みた。女子大で英詩の楽しい講義を聴いて、夕方には娘と天神でモーツアルトのコンサートを聴いて、父と娘の2ショットで帰宅した。何でもないことだが、そういうチャンスを嬉しいと思う。 ・母は50歳のころ死んだし、父も69歳だった。まだ父の死んだ歳まで行かないが、同じようなDNAだろう。生きるためには、社会的環境と、自然環境と、そして自分の生体として加齢の条件があって、生きてもいる。1クールのプロセスを心臓の鼓動をうつように進んでいる。余りに早くて、自分の目には視えないでいる。ラジオ体操が昔のようにはできなくなっている。体が硬い。生きていれば出来るが死んではできないことばかりだ。 ・へ2・・・誰が、自分のいのちの最後を決めるのだろうか?幼いころからそれを聴かされて来た子どもたちの一生は、私には辛く感じる。でも、本当にこの世の在り様を信じることのできない人間はもっと悲しい。祈ることを知らないからだ。その祈るということを、私は知りたいと思う。そうあってほしいことが、この世にはあるからだ。私は何ものであろうとは思わないが、一人の人間として、この時代に自然でいたい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010.11.17 04:17:11
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