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ヘイフリックの限界part2

ヘイフリックの限界part2

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2011.01.08
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よくカネに代えられないものという。何でもおカネで買えるわけではない。社会が用意しているものがその構成員にどれだけ価値があるかも様々だ。教育の内容もある。企業戦士としての教育もある。豊かな社会になるにつれ成熟した社会が求められ、社会人教育の幅も拡がっている。カネのためだけではない教養もその一環でもある。他人のためにならないことはしないでは、成り立たないかも知れない。人間関係の隙間を埋める社会的サービスがなければならないだろう。

 

 ・医療にしろ、教育にしろ、国民は平等に受ける権利があるが、公平かどうか異議はある。QOLとは、何だろうか?その意味が問われている。国民のコンセンサスができていない。それぞれが自分の価値観に従っているといえば聞こえが良いが、それでいいのだろうか。ご都合主義の政治が、国民に提供する情報は歪ではないだろうか。教育を受ける権利も格差がある。その中で公平であることはあり得ないのではないだろうか。

 

 ・へ2・・・こうして考えると、充分な機会がすべての国民にあるとは思えなくなる。都会もあれば、田舎との行政のサービスに格差がある。私は、今年初めての女子大の公開講座を受講しに行く。車で10分もかからない。チャンスがあるだけ恵まれていると言えるだろう。或いはカネに代えられない恩恵を受けている。自分にそれに応えるだけのものがあるとも思えないが、何か得られるものがあると信じたい。


 

>トルコ人は議論が好きらしい。語り合っているらしい姿をよく見かけた。






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最終更新日  2011.01.08 12:28:22
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