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ヘイフリックの限界part2

ヘイフリックの限界part2

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2016.06.29
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 「自由からの逃走」や「不確実性の時代」だったり、企てのある社会で、自己の存在を客観的認識を以て捉えることも難しい。自分が何ものであるか時々自分の意味さえ見失いがち。自分を木偶人形のように感じることさえある。感情の起伏を抑えられない気分がしたりもした。これが煩悩だろうか。それを棄てろといわれてもそれをすれば宮刑ではないかと思ったりした。


 ・無害の人間とは、いつもにやにやして魅力もないひとのことではないか。他人を疑い自分さえ疑う。そんな時代である。然しそれは人間社会の中では当然の帰結でもあるのだろう。平和の時と戦時では違いもする。程度の差があるだけだろう。利益社会がさせているだろうか。ストレスがあり、その中で如何にリラックスするかでもある。遣り過ぎたら泣く目にも遭う。


 ・へ2・・・少し世の中が解かって来た時には、もうリタイヤをしなければならない。誰にも人生の王道はなく、自分のことは自分で判断するしかない人生観がある。一年も、一ヶ月も、一日さえ、何か節目を感じる。一時間も、一分間さえ重くなる時が来るのだろう。そのことを考えないで、知らないで平気で活きていることのできる間は幸福な時でもある。リラックスできることはまだ、自分のエネルギーがあるからでもある。



中々いうほどリラックスのできない性格でもある。どうもいけない。緊張してしまう。臆病なのだろう。学芸会で一番前に立ったら、緊張のため頭を傾けていたらしい。みんなから笑われた。それがどうも自分でもいやになっていた。でもなかなか治らない。子供のころの形質はその人の人生に付きまとうらしい。
 
 
 
9月に、伊勢詣で申し込みをした。朝博多から新幹線で新大阪まで行き、バスで 外宮と石神さんを周ってロイヤルホテル一泊して、翌日内宮を見て帰るものだ。3年間隔で3回目になる。





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最終更新日  2016.06.29 22:17:26
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