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当サイトは、こちらのページに引越しました。
海外編は、もっぱら日本であまり知られていない国や地域を紹介します。実用情報なども入れております。
知られざるオーストリア (ウィーンからすぐ、ドナウラント地方などの紹介)
クロアチア・コルチュラ島へ (アドリア海に浮かぶ美しい町)
シリアへの旅 (不思議なアラブの国の紀行エッセイ)
国内編は、歴史(主に古代)に出てくる魅力的な人物たちを紹介しています。
耳面刀自 (壬申の乱秘史、大友皇子妃の伝説)
井上内親王 (奈良時代、ある一人の皇女の悲劇的な生涯)
不破内親王 (奈良時代、「お騒がせ皇女」の伝説と実像)
etc.
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kenichsbergの日記 [全29件] 修道院で有名なメルクの次の駅、ペヒラーン(Poechlarn、[oe]はoのウムラウト)は、のんびりしたドナウ河畔の町です。私は アルトシュテッテン に行くためにこの田舎駅で降り、バスを待っていました。時間があったので駅でもらった町の地図を見ていたら、ふと「Oskar Kokoschka Dokumentation」という美術館らしき施設があることに気が付きました。「これってもしかしてココシュカのことかな?」 興味を持った私は、町 外れまで歩いてそこまで行き、中で話を聞いたところ、真相が判明しました。何とこの町はココシュカの生まれ故郷であり、そして生家跡にこの資料館が建てら れて、彼の作品の一部を展示していたのです。・・・知らなかった! オスカー・ココシュカ(Oskar Kokoschka、1886-1980)の名は、 世紀末ウィーンを代表する画家の一人(注)、すなわちG.クリムト、E.シーレに次ぐ「第三の男」として知られています。しかしその名前に比べて、作品があまり知られていないことに、私はかねがね不満を持っていました。その画集も日本では見たことがありません。 従って思いがけずこの資料館を訪れたことで、彼の作品の一端に触れられたのは、望外の喜びでありました。ここの展示はスケッチなどの小品が中心で、大作はあまりありませんが、それでも複製は多くあったので、彼の作品群のあらましにさっと触れることは出来るでしょう。 ただ全般的には、私にとって(後述するリトグラフ集を除いて)印象に残る作品は少なかったというのが正直な感想です。モダンである一方で、デカダン・頽 廃的という、世紀末ウィーン風の特徴はつかめたものの、クリムトの作品であれば「甘美」、シーレの作品であれば「鋭利」といったような画家特有の個性、他 の誰でもないココシュカだけにあるベきかけがえのない価値のようなものが、展示されていた作品群からは、どうしても感じられなかったのです。 ココシュカの作風を私なりに表現すれば、 クリムト的な「甘美」がテーマになっているような絵もあるものの、どちらかというとシーレ的な「鋭利」という印象に近く、それに加えてジトっとした粘着質 のようなものがみてとれるように思えます。しかしこういう形容をしなければならないこと自体、素人目には彼の作品が、偉大な先輩(クリムト)と後輩(シー レ)の「亜流」のようにしか見えないということを吐露してまっているようなものでありましょう。 (注)ココシュカの活躍時期は20世紀で、厳密には「世紀末」とはいえませんが、当時のウィーンを覆っていた時代の雰囲気として、第一次大戦までの時期を「世紀末ウィーン」と呼んで差し支えないと思います。ココシュカ資料館の開館は5~10月、毎日9:00~17:00、5ユーロ、展示内容は要確認。(2003年6月現在)
9月1日付で楽天とinfoseekとLycosが三社まとめて合併します。私のHPはちょうど「楽天広場」からinfoseekの「isweb」へ引越しの最中なので、気になる動きではあります。 同じ楽天グループによるHP提供サービスといっても、「isweb」利用者と「楽天広場」利用者とでは、その利用目的や形態がかなり違いがあると思います。 昨日も書きましたが、「isweb」では自分の手元に何か他の人に訴えたりアピールしたい材料があって、その手段としてHPを作っている人が多い。「楽天広場」ではそういう材料はないけれども、とにかくネットを通じて他の人とコミュニケーションをしたくて、その手段としてHPを作っている人が多い。おそらくきれいに棲み分け出来ているのではないでしょうか。 だからまさか将来「isweb」を「楽天広場」に統合するなんて…ないよね?(これが一番言いたかったこと)
HPを作ろうという人には、おおまかに分けて二種類のタイプがあるようです。 第一に、自分の手元に何か他の人に訴えたりアピールしたい材料があって、その手段としてHPを作ってみる人。第二にそういう材料はないけれども、とにかくネットを通じて他の人とコミュニケーションをしたくて、その手段としてHPを作ってみる人。 自分は前者のタイプだったのですが、ここ「楽天広場」でいろんな方のHPを訪問させていただいて、後者のタイプの人が意外に多いということを発見しました。 その意味で、「楽天広場」の仕組みは後者の人のニーズにぴったり合う訳です。例えば「日記」といっても、それを書けばここにいる全員にその内容が「新着日記一覧」として公開されるので、その実態は「掲示板」に近いものでしょう。それを他の人が見て、返信していけば新しい人のつながりが出来てゆく可能性がある訳です。 ランダム機能なども、とにかく誰でもいいからよその人のHPを見てみようという、ちょっと変わった仕組みです。 従って「楽天広場」のサービスは、各人へのHPスペースの提供というよりは、「HP付掲示板」スペースの提供なのだと、最近思うようになりました。 念のために断っておきますが、自分はどちらが上とか下とか言うつもりはありません。ネットにはいろいろな使い方があるものだと、改めて発見したということです。
私は最近まで「素通り禁止」なんてことを強制する(?)HPがあることを知りませんでした。 だからこのテーマを眼にして、最初は「なんてアホなことを強制するアホがいるんだ」とあきれましたが、皆の投稿をよく読んでみると、ちょっと苦笑といったところです。 「素通り禁止」を掲げてるHPは、小中学生のページが多いそうです。 たしかにせっかくいっしょうけんめいHP作ったのに、みんなに素通りされたら・・・さびしいよねえ。でも君たちは、来てくれる相手の人の立場になってものごとを考えなきゃ。 いろいろ忙しくて、毎日5分か10分くらいしかパソコンを開けない人たちだってたくさんいるんだ。そういう人みんなに、「来たなら何かカキコしろ」というのは、ちょっとムチャクチャだぜ。君たちがそういう風に言われたらどう思う? でもやっぱり「カキコしてほしい」というなら、まずはたくさんの人がまた来たくなるHPにするよう、自分で努力しなけりゃダメなんじゃないか? 中身も、見た目も、人が見て「こりゃ面白い」と思わせるようなページをめざして、考えていろいろ工夫する。こうしてHPが面白いものになってくれば、自然とカキコしてくれる人が増えてくると思うよ。 自分で努力もせずに「素通り禁止」にして、むりやり何か書いてもらっても、相手がいやいや書いているのなら、それこそもっと「さびしくなっちゃう」んじゃないかな。
「楽天広場」のホームページは、ページの構成などで応用がきかない点がデメリットです。ですから、別のホームページサービスに移りたいと、書きました。 一方で、この「楽天広場」の中でなら、とにかく自分の日記を書くだけで、(その日記の内容がたいしたものでなくても)新着日記情報一覧として公開されますから、その範囲の中で他の人の目にとまって、見てもらえます。これまで1000件近くのヒットを記録したのも、このおかげでしょう。 しかし他のホームページサービスでは、そんな機能はありませんから、本当にホームページの内容が他の人をひきつけられるものになっているのかどうかという、中身が勝負です。中身がないと誰も来てくれません。 そして中身はもちろん、ポータルサイトにURL登録したり、自分がよく行く先輩ホームページにリンクをお願いしたりして、何事も自分でアピールしなければなりません。結構手間です。 大げさに言うなら、「楽天広場」では仲間うちだけでラクに楽しんでいたのが、今それを脱皮して無人の荒野に一歩を踏み出すような気分になっています。前途は多難だ!(ちょっとオーバーか?)
このホームページも少し窮屈になってきました。 ワープロ感覚でホイホイ簡単に作成出来るのは結構なのですが、そのかわり応用があまり利きません。 写真や画像が100枚以下に制限されているし、サーバーにrobot.txtが置かれているのでしょうか、サーチエンジンで検索しても、自分のページがヒットしないのにも失望しました。 HTMLの仕組みもわかってきたので、もっと自由な構築が出来るサービスに移ろうかと思っています。 自分にとって最初のホームページなので、愛着はあるのですが・・・。
ウィーンとリンツのほぼ中間にあるヴァッハウ渓谷といえば、ドナウ川下りとメルクの修道院が有名ですが、それ以外にも魅力的な所があります。ここではメルクの少し先にある二つの小さな村を紹介しましょう。 アルトシュテッテン(Artstetten) 第一次世界大戦の引き金となったサラエボ事件は誰でも知っていますが、暗殺されたオーストリア皇太子フランツ・フェルディナント大公夫妻の墓はどこにあるかご存知ですか? 元来ハプスブルク家の人間はウィーンのカプツィーナ教会に葬られるのが習わしでしたが、ご存知のように大公夫妻は身分の違う結婚をしたため、死後もここに入ることを拒否されました。それを見越した大公は、あらかじめ自分たちの墓を居城であったヴァッハウ渓谷沿いのアルトシュテッテンに用意していたのです。 ![]() アルトシュテッテンへの道 この小さな村はドナウ川の河岸段丘を上って、緩やかに続く丘の中腹にあります。アルトシュテッテン城は玉葱形の尖塔を五本持つ、ちょっとユニークな白い建物で、遠目から見ると正教寺院のようにも見えました。 ![]() アルトシュテッテン城 館内は博物館になっていて、大公夫妻を中心にハプスブルク家の歴史などがわかりやすく解説されており、ハプスブルク家に興味ある方はもちろん、そうでない人でもそれなりに面白いと思います。日本語の解説書もあるので、貸してもらいましょう。一つ発見したことは、大公は明治26(1893)年に軍艦乗って日本に来て、明治天皇とも会見しているんですねー。ちゃんと日本訪問の記念写真なども残っていました。日本にも大公の記念碑などないかなー? 城に付属する教会の地下にある大公夫妻の墓には、受付で鍵を借りて行きますが、これは言わないと貸してくれませんのでお忘れなく。夫妻の棺は仲良く並んで、ひっそりと眠りについています。人もあまり来ない静かな城の一角で眠る夫妻は、ウィーンのカプツィーナ教会で毎日たくさんの観光客の目にさらされている他のハプスブルク一族よりも、ずっと居心地がよさそうな気がしました。 ![]() 大公夫妻の墓 アルトシュテッテンに行くのは、後述のペヒラーンからのバスが一般的ですが、本数はあまり多くありません。メルクからのバスもありますが、こちらは更に少ないです。行きにタクシー使って、帰りは下りの道をブラブラ歩くというのもいいでしょう。アルトシュテッテンからペヒラーン駅までは約6kmの道のりです。 アルトシュテッテン城:開館は4~10月、毎日9:00~17:30、5.8ユーロ。 アルトシュテッテン城のホームページ ペヒラーン(Pöchlarn) こちらに移動しました。 |一覧| |
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