修道院で有名なメルクの次の駅、ペヒラーン(Poechlarn、[oe]はoのウムラウト)は、のんびりしたドナウ河畔の町です。私は アルトシュテッテン に行くためにこの田舎駅で降り、バスを待っていました。時間があったので駅でもらった町の地図を見ていたら、ふと「Oskar Kokoschka Dokumentation」という美術館らしき施設があることに気が付きました。「これってもしかしてココシュカのことかな?」 興味を持った私は、町 外れまで歩いてそこまで行き、中で話を聞いたところ、真相が判明しました。何とこの町はココシュカの生まれ故郷であり、そして生家跡にこの資料館が建てら れて、彼の作品の一部を展示していたのです。・・・知らなかった!
オスカー・ココシュカ(Oskar Kokoschka、1886-1980)の名は、 世紀末ウィーンを代表する画家の一人(注)、すなわちG.クリムト、E.シーレに次ぐ「第三の男」として知られています。しかしその名前に比べて、作品があまり知られていないことに、私はかねがね不満を持っていました。その画集も日本では見たことがありません。
従って思いがけずこの資料館を訪れたことで、彼の作品の一端に触れられたのは、望外の喜びでありました。ここの展示はスケッチなどの小品が中心で、大作はあまりありませんが、それでも複製は多くあったので、彼の作品群のあらましにさっと触れることは出来るでしょう。
ただ全般的には、私にとって(後述するリトグラフ集を除いて)印象に残る作品は少なかったというのが正直な感想です。モダンである一方で、デカダン・頽 廃的という、世紀末ウィーン風の特徴はつかめたものの、クリムトの作品であれば「甘美」、シーレの作品であれば「鋭利」といったような画家特有の個性、他 の誰でもないココシュカだけにあるベきかけがえのない価値のようなものが、展示されていた作品群からは、どうしても感じられなかったのです。
ココシュカの作風を私なりに表現すれば、 クリムト的な「甘美」がテーマになっているような絵もあるものの、どちらかというとシーレ的な「鋭利」という印象に近く、それに加えてジトっとした粘着質 のようなものがみてとれるように思えます。しかしこういう形容をしなければならないこと自体、素人目には彼の作品が、偉大な先輩(クリムト)と後輩(シー レ)の「亜流」のようにしか見えないということを吐露してまっているようなものでありましょう。
(注)ココシュカの活躍時期は20世紀で、厳密には「世紀末」とはいえませんが、当時のウィーンを覆っていた時代の雰囲気として、第一次大戦までの時期を「世紀末ウィーン」と呼んで差し支えないと思います。ココシュカ資料館の開館は5~10月、毎日9:00~17:00、5ユーロ、展示内容は要確認。(2003年6月現在)
9月1日付で楽天とinfoseekとLycosが三社まとめて合併します。私のHPはちょうど「楽天広場」からinfoseekの「isweb」へ引越しの最中なので、気になる動きではあります。
同じ楽天グループによるHP提供サービスといっても、「isweb」利用者と「楽天広場」利用者とでは、その利用目的や形態がかなり違いがあると思います。
昨日も書きましたが、「isweb」では自分の手元に何か他の人に訴えたりアピールしたい材料があって、その手段としてHPを作っている人が多い。「楽天広場」ではそういう材料はないけれども、とにかくネットを通じて他の人とコミュニケーションをしたくて、その手段としてHPを作っている人が多い。おそらくきれいに棲み分け出来ているのではないでしょうか。
だからまさか将来「isweb」を「楽天広場」に統合するなんて…ないよね?(これが一番言いたかったこと)
HPを作ろうという人には、おおまかに分けて二種類のタイプがあるようです。
第一に、自分の手元に何か他の人に訴えたりアピールしたい材料があって、その手段としてHPを作ってみる人。第二にそういう材料はないけれども、とにかくネットを通じて他の人とコミュニケーションをしたくて、その手段としてHPを作ってみる人。
自分は前者のタイプだったのですが、ここ「楽天広場」でいろんな方のHPを訪問させていただいて、後者のタイプの人が意外に多いということを発見しました。
その意味で、「楽天広場」の仕組みは後者の人のニーズにぴったり合う訳です。例えば「日記」といっても、それを書けばここにいる全員にその内容が「新着日記一覧」として公開されるので、その実態は「掲示板」に近いものでしょう。それを他の人が見て、返信していけば新しい人のつながりが出来てゆく可能性がある訳です。
ランダム機能なども、とにかく誰でもいいからよその人のHPを見てみようという、ちょっと変わった仕組みです。
従って「楽天広場」のサービスは、各人へのHPスペースの提供というよりは、「HP付掲示板」スペースの提供なのだと、最近思うようになりました。
念のために断っておきますが、自分はどちらが上とか下とか言うつもりはありません。ネットにはいろいろな使い方があるものだと、改めて発見したということです。
私は最近まで「素通り禁止」なんてことを強制する(?)HPがあることを知りませんでした。
だからこのテーマを眼にして、最初は「なんてアホなことを強制するアホがいるんだ」とあきれましたが、皆の投稿をよく読んでみると、ちょっと苦笑といったところです。
「素通り禁止」を掲げてるHPは、小中学生のページが多いそうです。
たしかにせっかくいっしょうけんめいHP作ったのに、みんなに素通りされたら・・・さびしいよねえ。でも君たちは、来てくれる相手の人の立場になってものごとを考えなきゃ。 いろいろ忙しくて、毎日5分か10分くらいしかパソコンを開けない人たちだってたくさんいるんだ。そういう人みんなに、「来たなら何かカキコしろ」というのは、ちょっとムチャクチャだぜ。君たちがそういう風に言われたらどう思う?
でもやっぱり「カキコしてほしい」というなら、まずはたくさんの人がまた来たくなるHPにするよう、自分で努力しなけりゃダメなんじゃないか? 中身も、見た目も、人が見て「こりゃ面白い」と思わせるようなページをめざして、考えていろいろ工夫する。こうしてHPが面白いものになってくれば、自然とカキコしてくれる人が増えてくると思うよ。
自分で努力もせずに「素通り禁止」にして、むりやり何か書いてもらっても、相手がいやいや書いているのなら、それこそもっと「さびしくなっちゃう」んじゃないかな。
「楽天広場」のホームページは、ページの構成などで応用がきかない点がデメリットです。ですから、別のホームページサービスに移りたいと、書きました。
一方で、この「楽天広場」の中でなら、とにかく自分の日記を書くだけで、(その日記の内容がたいしたものでなくても)新着日記情報一覧として公開されますから、その範囲の中で他の人の目にとまって、見てもらえます。これまで1000件近くのヒットを記録したのも、このおかげでしょう。
しかし他のホームページサービスでは、そんな機能はありませんから、本当にホームページの内容が他の人をひきつけられるものになっているのかどうかという、中身が勝負です。中身がないと誰も来てくれません。
そして中身はもちろん、ポータルサイトにURL登録したり、自分がよく行く先輩ホームページにリンクをお願いしたりして、何事も自分でアピールしなければなりません。結構手間です。
大げさに言うなら、「楽天広場」では仲間うちだけでラクに楽しんでいたのが、今それを脱皮して無人の荒野に一歩を踏み出すような気分になっています。前途は多難だ!(ちょっとオーバーか?)
このホームページも少し窮屈になってきました。
ワープロ感覚でホイホイ簡単に作成出来るのは結構なのですが、そのかわり応用があまり利きません。
写真や画像が100枚以下に制限されているし、サーバーにrobot.txtが置かれているのでしょうか、サーチエンジンで検索しても、自分のページがヒットしないのにも失望しました。
HTMLの仕組みもわかってきたので、もっと自由な構築が出来るサービスに移ろうかと思っています。
自分にとって最初のホームページなので、愛着はあるのですが・・・。
ウィーンとリンツのほぼ中間にあるヴァッハウ渓谷といえば、ドナウ川下りとメルクの修道院が有名ですが、それ以外にも魅力的な所があります。ここではメルクの少し先にある二つの小さな村を紹介しましょう。
アルトシュテッテン(Artstetten)
第一次世界大戦の引き金となったサラエボ事件は誰でも知っていますが、暗殺されたオーストリア皇太子フランツ・フェルディナント大公夫妻の墓はどこにあるかご存知ですか? 元来ハプスブルク家の人間はウィーンのカプツィーナ教会に葬られるのが習わしでしたが、ご存知のように大公夫妻は身分の違う結婚をしたため、死後もここに入ることを拒否されました。それを見越した大公は、あらかじめ自分たちの墓を居城であったヴァッハウ渓谷沿いのアルトシュテッテンに用意していたのです。

アルトシュテッテンへの道
この小さな村はドナウ川の河岸段丘を上って、緩やかに続く丘の中腹にあります。アルトシュテッテン城は玉葱形の尖塔を五本持つ、ちょっとユニークな白い建物で、遠目から見ると正教寺院のようにも見えました。

アルトシュテッテン城
館内は博物館になっていて、大公夫妻を中心にハプスブルク家の歴史などがわかりやすく解説されており、ハプスブルク家に興味ある方はもちろん、そうでない人でもそれなりに面白いと思います。日本語の解説書もあるので、貸してもらいましょう。一つ発見したことは、大公は明治26(1893)年に軍艦乗って日本に来て、明治天皇とも会見しているんですねー。ちゃんと日本訪問の記念写真なども残っていました。日本にも大公の記念碑などないかなー?
城に付属する教会の地下にある大公夫妻の墓には、受付で鍵を借りて行きますが、これは言わないと貸してくれませんのでお忘れなく。夫妻の棺は仲良く並んで、ひっそりと眠りについています。人もあまり来ない静かな城の一角で眠る夫妻は、ウィーンのカプツィーナ教会で毎日たくさんの観光客の目にさらされている他のハプスブルク一族よりも、ずっと居心地がよさそうな気がしました。

大公夫妻の墓
アルトシュテッテンに行くのは、後述のペヒラーンからのバスが一般的ですが、本数はあまり多くありません。メルクからのバスもありますが、こちらは更に少ないです。行きにタクシー使って、帰りは下りの道をブラブラ歩くというのもいいでしょう。アルトシュテッテンからペヒラーン駅までは約6kmの道のりです。
アルトシュテッテン城:開館は4~10月、毎日9:00~17:30、5.8ユーロ。
アルトシュテッテン城のホームページ
ペヒラーン(Pöchlarn)
こちらに移動しました。
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スロバキアの首都ブラチスラバは、ドナウラントからすぐ目と鼻の先にあります。ブラチスラバ巡りは大体半日程度、ゆっくり回っても一日あれば十分なので、日帰り旅行と行きましょう。ウィーンから来るバスにハインブルクから乗れば、国境通過の時間も含めて約40分。ウィーンよりも近いのです。バスはほぼ1時間毎に運行(注8)。
ブラチスラバでは長距離バスターミナルに着くので、まず両替を済ませてから西の方角へブラブラと歩いていきましょう。20分も歩いて旧市街まで来れば、石畳の路地にきれいな建物が並び、誰もが思い思いの散策を楽しんでいます。とりあえずここいらのカフェで一休み。

ブラチスラバ旧市街
次いで行くべきは小山の上にあるブラチスラバ城。この街のシンボルであり、城山からのドナウ川や旧市街の眺めは素晴らしいものです。が、それにしてもこの城の容姿は美的センスに欠けているというか、実用一点張りというか、要するに余りに無骨過ぎるんでねーの?という気がします。詳しくは写真を見ていただきたいのですが、何か堅牢な監獄を思わせるような城です。

ブラチスラバ城
ブラチスラバを訪れた感想として、残念ながらこの街にしかない「何か」というものを感じることは出来ませんでした。ここはウィーンとブダペストのほぼ中間にありますが、この二大都市にはさまれてしまったことが、都市としての個性の乏しさにつながっているように思われます。それでもやっぱり一度は行ってみたいし、物価が安いのも魅力。レストランでおなかいっぱいにしてからオーストリアに戻ることをおすすめします。
(注8)ハインブルク-ブラチスラバ往復で7.2ユーロ。予約が必要となっていますが、私の場合、予約せず乗って切符は車内で買えました。パスポートを忘れずに!
次へ(ヴァッハウ渓谷の魅力的な村)
ハインブルクは国電S7線でB.D.アルテンブルクの一つ先、ドナウ河畔の交通の要衝です。町外れに大きなタバコ工場があるので、そのあたりを歩くとタバコの匂いが漂ってくるのが印象的です。ここまで来ればスロバキアもすぐ。そのためこの町はかつて国境警備のための城壁に囲まれた城塞都市でした。現在も町の西の入り口にはウィーン門、東にはハンガリー門という石造りのゴツイ門が残っていて、威容を示しています。なおF.J.ハイドンは6歳の時に故郷ローラウを後にして、この町に移っています。

ハインブルク・ウィーン門
一方ブルック/ライタ(Bruck an der Leitha)はウィーン南駅から40分、ブダペストに向かう長距離列車が停まる大きな町です。そしてこの町も国境警備のための城塞都市でした。 え? どうしてここが国境の町なのかって? それは現代オーストリア共和国の成立と関係があります。かつてのハプスブルク帝国は、共通の君主を戴くオーストリア帝国とハンガリー王国との国家連合のようなものでしたが、両国の国境がこの町の東を流れるライタ川だったのです。第一次大戦後ハプスブルク帝国は解体されましたが、旧ハンガリーの最西部はドイツ人が多かったために、住民投票でオーストリアへの帰属を決め、新たに現在のブルゲンラント州となりました。従って現在のニーダーエスタライヒ-ブルゲンラント州境こそが、長い間かつての国境であった訳です。

ブルック/ライタの町
しかしこの町を紹介したのは、別のある個人的な理由からです。誰にでも心を揺すぶられた小説があると思いますが、自分にとってそういう長篇小説の一つが、シュテファン・ツヴァイク(S.Zweig)の『心の焦燥』でした。この大戦前夜のハプスブルク帝国の辺境を舞台にした悲劇。人の他愛ない同情や善意がギリギリと破滅を招く怖ろしさ、か細い心の襞まで容赦することのない狂おしいまでの心理描写、あまりにもむごい結末 … 正直自分は泣きました。邦訳がありますから、もっと多くの人に読んでもらいたい傑作です。

プルッグ城
そして自分は、一時このフィクションの舞台の地探しに熱中したことがあり、詳細は省きますが、その結果ここブルックの町外れにあるプルッグ城(Prugg)の可能性が高いのではという結論に一応達しました。現在この城は個人所有であり、入ることは出来ませんが、近くから特徴ある塔を眺めた時は、やっとここまで来たのだなあという感慨ひとしおでした。もし『心の焦燥』に興味ある方がいらっしゃれば、是非掲示板などで話し合いたいものです。
S.ツヴァイク『心の焦燥』、みすず書房、1974
次へ(おまけ、ブラチスラバへの小旅行)
ペトロネル・カルヌントゥムから南へ約5km、一見何の変哲もないのんびりとした小村-しかしここローラウこそ大作曲家ハイドンの故郷なのです。兄フランツ・ヨーゼフ、弟ミヒャエルとも、通りに面した藁葺きの質素な家で生まれました。この家は現在資料館になっていて、当時の部屋などが残されています(注6)。

ハイドンの生家
それにしてもこんなのどかな風景からあのハイドンのメロディーが生まれたんですねー。私などは、例えばザルツブルグ生まれのモーツァルトのメロディーとあわせて、どうしても生まれ育った風景を比較してしまいます。

ハルラッハ城
この小さな村のもう一つの自慢は、村はずれにあるハルラッハ城(Harrach)でしょう。庭に入れてもらって正面から城を眺めると、なかなかいい雰囲気です。緑の木々と池に囲まれた白い建物は、鄙(ひな)には稀な瀟洒なお屋敷という感じ。城内はハルラッハ家が収集したバロック絵画のコレクションを展示する美術館になっていますが、これらが現在も全部個人所蔵というのだから驚き(注7)。収蔵品の中に名画がゾロゾロあるという訳ではありませんが、ファン・ダイクの「子供の顔」などは見ておきたいところです。
(注6) 開館は年中、火~日曜日、2ユーロ。なおローラウにバスで行く場合は、後述のハインブルクまたはブルック/ライタより乗る。
(注7) 開館は4~10月、火~日曜日、5ユーロ。城内にレストランもあり。
次へ(国境の町二つ)