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おもしろき こともなき世を おもしろく 

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2011.03.05
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第一、先ず倒れ得る者は強うございます。
倒れるところまで、グン、グンと行きぬける力を、私はどんなに立派な、
また有難いものだと思っていることでございましょう。
今度倒れたら、今度こそ、もうこれっきり死んでしまうかもしれない。
が、行かずにはいられない。行かずにはすまされない心。
ほんとうにドシドシと、
ほんとうにドシドシドシドシと、真の「自分の足」で歩き、真の「自分の体」で倒れ、
また自ら起き上られる者の偉さは、限り無く畏(おそ)るべきものではございますまいか。 




『貧しき人々の群』(序にかえて) 宮本 百合子 
全文はこちらで青空文庫


宮本 百合子(1899年(明治32年)2月13日 - 1951年(昭和26年)1月21日)
昭和期の小説家、評論家。旧姓は中條(ちゅうじょう)、本名はユリ。
17歳の時に『貧しき人々の群』で文壇にデビュー、天才少女として注目を集めた。
その後もプロレタリア文学の作家、民主主義文学のリーダーとして活躍した。
日本共産党元委員長宮本顕治の妻で、宮本と共に投獄、執筆禁止などを繰り返しながら
活動を展開した。『伸子』『播州平野』『道標』など。

 
父方の祖父中條政恒は、福島県の典事(課長職)となり福島に移住し、
「安積開拓の父」と呼ばれた人物。(『貧しき人々の群』に出てくる開拓者。)
母方の祖父西村茂樹は、福沢諭吉や西周らと「明六社」を興した啓蒙思想家。
百合子は明治の変革期に貴重な功績を残した二人の歴史上の人物の孫ということになる。
父中條精一郎は、文部省の建築技師で、文部省建築課札幌出張所長となり、現在の北海道大学
の前身である札幌農学校の校舎の設計監督や同校土木工学科の建築学講師の嘱託を務めた。
幼い百合子も札幌で暮しており、北海道にも縁のある人物だった。


彼女は共産党員であり左翼活動家でもあるようだが、私は一切そういった思想や、組織とは無関係。(わざわざ言うことでもないが・・・汗)
(私の持論の中には左翼的な面もあるようだが、同じように右翼的な面もある。)
でも調べていると、夫・宮本顕治との不仲を論証(?)しているサイトもあり、面白い。
宮本百合子論 


いやそんなことはどうでもいい。


最近は女性が強くなったというが、いやいや、明治の女もとってもタフで強い!
今度倒れたら、今度こそ、もうこれっきり死んでしまうかもしれない。
が、行かずにはいられない。行かずにはすまされない心。
 

死んでしまうかも知れないと言いつつ、それでも行かずにいられない、という。

ドシドシドシドシという擬態語がまたいい。
無様だろうがなんだろうが、そんなことお構い無しに、堂々と行く様を思い浮かべられる。


真の「自分の足」で歩き、真の「自分の体」で倒れ、また自ら起き上られる者 

これが百合子の目指す姿だったのだろう。
“自分の”足で歩き、倒れるのさえ“自分の”体。その上“真の”とわざわざ断ってさえいる。
そして助けられるのではなく、自ら起き上がることができる。


倒れる、挫折する、失敗することを大前提とした目指す姿。
強く逞しい、そして厳しい。惚れ惚れする。


倒れない事は、別に難しくはない。
何もしなければいいだけ。
だから挫折がない、失敗してないということは誇れる事ではない。

宮本の姿勢こそが見習うべき姿。


少し飛ばして続きを載せておく。

けれども、どうでも歩き廻らずにはいられない何かが、自分のうちに生きているのでございます。
たといよし、いかほど笑われようが、くさされようが、私は私の道を、ただ一生懸命に、
命の限り進んで行くほかないのでございます。
 
自分の卑小なことと自分の弱いことに、いつもいつも苦しんでばかりいる私は、
一体何度倒れなければならないのか?
それは解らないことでございます。
けれども、私はどうぞして倒れ得る者になりとうございます。
地響を立てて倒れ得る者になりとうございます。そして、たといどんなに傷はついても、
また何か掴んで起き上り、あの広い、あの窮(きわま)りない大空を仰いで、
心から微笑出来ましたとき!その時こそどうぞ先生も、御一緒に心からうなずいて下さいませ。
 


力強い!17歳の文章とはとても思えない。 

いかほど笑われようが、くさされようが、私は私の道を、ただ一生懸命に、
命の限り進んで行くほかないのでございます。


この部分は、坂本龍馬や勝海舟も言ってる事だが、こうありたいものだ。
世の人は、われをなにともゆわばいえ


共産党と関係のあるというだけで、言葉そのものとは全く関係ないところで、
敬遠する人もいるだろう、そうすると折角いい言葉も読んでもらえなくなる・・・・
なんて下心が出てしまい、「共産党じゃないよ」なんて説明する自分がいじましいというか、
小っちゃいというか、せこくて嫌になる。

どう思われようが、バーンと紹介すればいいだけなんだろう。・・・・けど、
それでもその説明を消さないのは、やっぱり、バックボーンとか偏見なんか関係なく、
いい言葉はいい!と解って欲しいから。ということにしておこう。


ついでに言い訳すると、誤解されるかもしれないからといって、
「じゃアップするのは止めようか」とは微塵も思わない。
説明しても受け付けられない人はいるだろうけど、それはもう仕方ない。

ってことは「私は私の道を・・・」を実践できてる???
(・・・汗、嫌になるとかいっといて結局それかい!笑)
(「親馬鹿」ならぬ「自分馬鹿」が再発。能天気親爺の戯言。 爆)


私はどうぞして倒れ得る者になりとうございます。


倒れ得る者になろう!



 
 





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Last updated  2011.03.05 12:29:01
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