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2011.03.20
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カテゴリ:処世術
 
驥は一日にして千里なるも、駑馬も十駕すれば則ち亦たこれに及ぶ。


驥一日而千里、?馬十駕、則亦及之矣
 


荀子(荀況) 『荀子』(修身篇)



(超意訳・直訳)
驥は一日に千里も走るというけれど、足の遅い駄馬であっても
十日も車につないで走らせれば、同じ距離を進むことができる。
(凡才であったとしても、努力を続ければ、天才に追いつくことができるのだ。) 

驥(き)   ・・・一日に千里をはするという名馬。
駑馬(どば)・・・足ののろい馬。駄馬。
駕(が)   ・・・馬に車を付けて走ること。




荀子(紀元前313年? - 紀元前238年?)
中国の戦国時代末の思想家・儒学者。諱は況、字は卿。
孟子の『性善説』に対して、『性悪説』を唱え、外的規範である「礼」をもって
秩序を正すべきと説いた。弟子に韓非や李斯がいる。


『性悪説』とは、人間の性を悪と認め、後天的努力(すなわち学問を修めること)によって
善へと向かうべきだとした説で、この立場から、孟子の性善説を荀子は批判した。
だが、孟子の『性善説』も人間には「四端の心」が備わっているといっているだけで、
完成した善であるといっているわけではない。
そのまま放っておけばケダモノ同然なので、学問で矯正することが必要だとしている。

結局、同じ事を言っているような気がするんだけど・・・。
言葉の範疇というか定義の時点でずれた批判だったのかもしれない。


四端の心(「端」とは、兆し、萌芽の意味。)
惻隠…他者の苦境を見過ごせない心(憐れみの心)
羞悪…不正を羞恥する心
辞譲…謙譲の心
是非…善悪を分別する心



元々がちょっとしたボタンの掛け違いであったとしても、人間の本性は善か悪かという
背反する言葉を使ってしまうと教えを受ける方は輪をかけて違いが大きくなる。
同じ儒教の教えの上での対立だったものが、片方は違う学問の完成に繋がっていく。

今日の荀子や前出の孟子をはじめ、その祖である孔子などが活躍した、中国の春秋・戦国
時代は諸子百家(しょしひゃっか)といわれる様々な思想が競い合っていた。
その一つに、徳治主義を説く儒家と異なり、法治主義を説いた法家があった。
(徳治は人間性というか道徳で世の中を治めようとし、法治は法律で治めようとする)


荀子は徳の一つである「礼」(礼儀)で治めることを説いたのに弟子はそれを発展させ、
法律で治める法家になってしまい、それの完成者といわれる存在になってしまった。
それが『韓非子』の著者として有名な韓非や始皇帝の側近として活躍した李斯だった。
特に李斯は始皇帝に焚書を進言したりしているので、儒家の評判が悪いようだ。
そのためなのかは解らないが、師匠の荀子もあまり重要視されていない印象を受ける。


実力主義や成果主義の有効性を説いていたりと、西洋的な考え方の人だったのかもしれない。


いや、“東洋的な考え”と思っているのは、漢の高祖劉邦が叔孫通を任用し、武帝が大学者、
董仲舒を得て、漢帝国の国教を孔子~孟子を正当とする“孔孟の教え”といわれる儒教に
決めたことが原因で、孟子に馴染んでいるだけという気もする。

法家の商鞅や韓非は合理的な考え方だし、合従策を唱えた蘇秦や連衡策を唱えた張儀などの
縦横家はマキャベリと仲良くなりそうな気がする、また墨家の博愛主義はキリスト教と共通
するところがあるように思われる。

漢以来二千年も儒教が国家の精神的柱となっていたという歴史があって、現在の東洋的な
考えが創り上げられてきたとすると、荀子が当時の世で変わっていたのではなさそうだ。


いやはや、また脱線した上に自問自答?!汗


世の中に天才といわれる人は、限りなく少数だろう。
とすればほとんど全員が凡才となる。(乱暴な決め付け?失礼しました!笑)

努力さえすれば、時間が十倍かかろうと同じ高みに昇ることができる。
(そりゃ天才が同じことしたら追いつけないかもしれないが、
 そんな事いってたら始まらない! )


驥は一日にして千里なるも、駑馬も十駕すれば則ち亦たこれに及ぶ。

ウサギと亀の物語。

一歩一歩、歩いていく事が大事。


ちなみに、この言葉を勧学篇としているものもあるようだ。
ほとんど同じものがあるから紛らわしい。


麒驥も一躍にしては十歩なること能(あた)わず、
駑馬も十駕すれば則ち亦(ま)たこれに及ぶべし。


騏驥一躍、不能十歩 駑馬十駕、功在不舍。
 



荀子 『荀子』(勧学篇)


(超意訳・直訳)
よく走るすぐれた馬でも、一回の跳躍で十歩の距離を進むことはできない。
足の遅い駄馬であっても十日も車につないで走らせ、
途中で捨て去らなければ、功績をあげることができる。
(こつこつと努力することが大切だ。成果をあげるには、こつこつ休まずにやるほかない)



騏驥(きき)・・・よく走るすぐれた馬のこと。


 
 
 
   
 





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Last updated  2011.03.21 04:02:47
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