テーマ:食べ物あれこれ(50377)
カテゴリ:牛乳・乳製品について
日本人が一番米を食べていたのは昭和37年(1962年)だそうだ。
それから徐々に米を食べなくなり、現在に至るまで減り続けている。 米の消費量と反比例して生活習慣病が増えていき、 現在に至ります。 とくに米を食べない女性が増え、 そのために乳がん患者が増えました。 乳癌だけではありません。癌を初めとする 生活習慣病患者が増えています。 これは何を意味するのでしょうか? 米離れがこれらの疾病を増やしている、ということなのです。 では、どうして日本人は米を食べなくなってしまったのでしょうか? このことについて考えてみませんか? 1945(昭和20)年、第二次世界大戦が終結しました。 アメリカはそれまで兵士の食料として消費されていた 農産物が余るようになっていったのです。 為谷が生まれた年の1953(昭和28)年、そして翌年1954年は、 世界的に小麦の大豊作となりました。 アメリカも大豊作で、アメリカ政府が抱える小麦の在庫は 3000万トン(ピンとこないがすごい大量らしい)。 政府が借りる倉庫代だけでも一日2億円かかったというんですね。 1953年1月にアイゼンハワーが大統領に就任しました。 アイゼンハワーはカンザス州の農村出身。 農民の期待に応えなければならない。 この余剰小麦(小麦だけではないんですが)をどうするか? 話は変わって、アメリカは戦後、各国への援助を行ったのですね。 経済援助法(1948年)、相互防衛援助法(=軍事援助、1949年)、 国際開発法(=技術援助、1950年)がそれ。 そしてこれらを修正し統合した、MSA法というのが、 1951年に制定されました。これはより軍事的な意味合いが強いということです。 さらに1953年には食糧援助を含むものに改正しました。 これは食糧援助を餌に、その国の軍備強化を義務づけ、 味方陣営を増やそうということなんですね。 アメリカはさっそく日本へこのMSA協定の締結を働きかけたのです。 当時の吉田茂首相は、協定締結を決意しました。 1ヶ月近くも協議は難航しましたが、妥結し、 1954年3月にこれが調印されたということです。 参考文献から引用すると、 「日本はこの協定締結で小麦60万トン、大麦11万6千トンほか、総額5千万ドルのアメリカ農産物を受け入れ、その食糧を国内で販売しその代金を積み立て(見返り資金)、4千万ドルはアメリカ側の取り分として日本に対する軍事援助などに使われ、残り1千万ドルが日本側の取り分として経済復興などに使われた」 ということです。 さあて、アメリカから入ってきた小麦。 誰が食べるのでしょう? 日本人です。決まってます。そこで厚生省(当時)は 「栄養改善運動」を始めました。その柱となるのが 粉食奨励なのでした。その内容については次回にね? 【参考文献】 「アメリカ小麦戦略」と日本人の食生活 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010年12月03日 19時33分59秒
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