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2011年06月21日
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人類はユダヤ人に翻弄されている

存在していることの基礎が分からないのです。存在とは何か、あるとは何か、例えば地球があるとは何なのか、一体人間の命は何かということです。
皆様は現在、肉体的に現れている命を命だと思っていらっしゃるのです。ところが、皆様の本当の命は、隠れているのです。しかもキリストと共に神の内に隠れているという条件があるのです。隠れている命を見つけ出したら、死ななくなるのです。
人間五十年、化転のうちにくらぶれば、夢幻のごとくなりという歌があります。浮いたり沈んだりしているこの世の状態を見れば、人生は夢幻となるのです。化転の内の命ではなくて、神の内に隠れている命を発見しますと、命の本物が分かるのです。死なない命が分かります。これが本当の学問でなければならないのです。
イエスが死を破ったことは、歴史的事実であるからこそ、西暦紀元が成立しているのです。現在私たちは、2007年という生活概念で生活しています。これは充分に学の対象になるのです。
キリストとは何か、これがユダヤ人によって完全に歪曲されてしまっているのです。そこで現代文明を混乱させている元凶は、ユダヤ人であると言わなければならないのです。
現れている命は、隠れている命の象徴です。皆様は現れている命を現在肉体的に経験なさっていますけれど、これは小学生が経験する命です。まだ、中学、高校まで行っていないのです。だから、キリストと共に神の内に隠れている命が、全く分からないのです。イエスが復活した、死を破ったという事実を学の対称として取り上げる勇気がないために、現代文明はユダヤ人に翻弄されているのです。
キリストが分からないのです。キリスト教は宗教概念に基づいてキリストを見ているのです。キリスト教のキリストは、本当のキリストではありません。宗教的に考えますと、すべてが歪められてしまうのです。
死んでいく人間の思想を信じないで、聖書を真っすぐに見ていかなければならないのです。日本人はキリストに対して、ほとんど拒否反応といえるような先入観を持っているのです。ですから本当のキリストを理解することはほとんど不可能に近いのです。
キリスト教のキリストは、ユダヤ人が造ったキリストです。キリスト教神学はユダヤ人が造ったものであって、ここにトリックがあるのです。
キリスト教は人間が救われると言います。無明煩悩の人間が救われて、どうなるかです。人間が救われるというのが、宗教観念です。無明煩悩が皆様の背骨にからみついているのです。簡単になくなるものではありません。死ななければならないという宿命は、皆様の脊髄神経にからみついているのです。それなのにキリスト様によって救われると言うのです。そういうことは絶対にありえないのです。
神とは何かと言いますと、絶対そのものです。絶対ということを般若心経的に言いますと、空になるのです。
物質を物質としている原理、原則、原動力が神です。物理運動は何か、これが科学では説明できないのです。
科学には絶対という思想がありません。科学だけでなく、すべての学問に絶対という思想がないのです。学問にも絶対があると言う人がいますが、それは学問的な絶対であって、存在的な絶対ではないのです。
私たちが勉強しなければならないのは、学問的とか、人間的というものではなくて、存在そのもの、地球があることの意味、人間がいることの意味なのです。
すべての学理学説は、死んでしまった人間、死んでしまうに決まっている人間が造った情報です。情報が積み重なったものが、現代文明という奇妙な社会です。
キリストとは何かと言いますと、地球計画です。神が地球を造った原理、計画のことです。
有形的な地球は、神が小学生に見せるために造った仮の世界です。色即是空と釈尊が言っていますように、色は現象的存在です。色から言いますと、空が実体です。これが神です。神を信じるというのは、空を信じることになるのです。老子の哲学で言ますと、無を信じることになるのです。
無を般若心経的に言いますと、空になるのです。無為とは何もないこととは違います。無為とは無が働くことなのです。これを般若心経では空即是色と言っています。空が働いて色を現している、無と空はだいたい同じような意味になるのです。
色がなぜ空であるかと言いますと、現象的物質世界は仮の現象だからです。本当のものではないからです。
ところで、色がなぜ現れているかと言いますと、般若心経では分からないのです。どうして空なるものが色として現われているのか。唯識論という教義が大乗仏教にありますが、空がなぜ色になっているかという説明は、全くないのです。そこでキリストを考えざるをえないのです。
キリストとは神の地球計画ですが、神の地球計画に従って、空即是色という原理が発動しているのです。老子の哲学で言えば、無が働いて有が生まれるのです。有が働けば死となるのです。
現在の学理学説は、有から出発しています。人間がいること、物質があることから出発しているのです。有の上に立って見ているのです。これは死滅に至るのです。だいたい私たちは、文明に束縛されなければならないはずがないのです。文明は人間のためにあるのです。人間が文明のためにあるのではないのです。学問は人間のためにあるべきものなのです。人間存在の本質のために、学はあるべきなのです。
しかし現在は、人間が学問にふり回されているのです。学理学説が最高のもののように考えられているのです。これが間違っているのです。
人間が生きていることの根底は、神の地球計画に基づいているのです。神の地球計画は絶対です。地球が存在することの絶対が、神の地球計画です。これがキリストであって、キリストが分からなければ、人間の命も、地球の運命も分からないのです。
ところが、今の文明はキリスト不在の文明です。
命の本源は神しかありません。それをイエスは父と言っているのです。父の内にいることが私であると言っているのです。
イエスが言う父とは何かと言いますと、可能根拠のことです。地球上のすべての存在は、可能性の上に立っているのです。空気も水も、植物も動物も、そしてすべての人間も、可能性の上に立っているのです。可能性の根拠は父です。可能性の根拠となるものですから、父と呼ぶしかないのです。
皆様が鼻から息を出し入れしている根拠、心臓が動いている根拠は父なのです。イエスは父の中にいるとはっきり言っているのです。父の中にいることが自分だと言っているのです。
皆様は可能根拠の中に生きておいでになるのです。皆様が生きておいでになるということが、可能性の中にいるのです。可能性とは未来に向かっているのです。人間は可能に向かつて前進しているのです。あらゆる可能の根拠が父なのです。
イエスはこのような可能性の根拠を父と呼んでいましたが、イエスの考えたことがなぜ正しいかと言いますと、イエスは死を破ったからです。死を破ったということは、宇宙の絶対性が彼の思想を公認したことになるのです。
人間歴史の中で、イエスが死を破ったことしか本当に信用できるものはありません。現代文明のあらゆる人間の思想は、すべて暫定的なものであって、どれもこれも、中途半端なものばかりです。
イエスが死を破ったのは絶対的事実であって、彼の思想が宇宙的に公認されたのです。これしか信じるものはありません。
私たちが現在生かされているという絶対的な事実しか、信じられるものはないのです。どんな生き方が正しいかと言いますと、イエスが死を破ったという事実において、彼の生き方が正当であったということを、是認する以外の方法はないのです。
死は人類最大の敵です。最後の敵、最終の敵です。死を破ったものは、最後の敵を破ったのですから、これしか信用するものはないのです。皆様が生きていらっしゃることが、存在していることです。存在と生命は一つです。
存在の本源にぶつかる以外に、本当の人生勉強の方法はありません。
死を破るということが、神の地球計画の結論です。旧約聖書の創世記が、神の地球計画の序論です。創世記をスタートラインにして、復活というゴールが示されています。これがキリスト教では分からないのです。
神の実物が分かりますと、何でも分かるのです。我は全能の神なりと神が言いましたが、誠にそのとおりです。神だけが頼りにできる父だからです。





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最終更新日  2011年06月22日 04時08分17秒
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