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5月が終わって6月が開いた。 ろっく(6)開きを観てみる。 6=ろっく=Rock(岩)=Lock(鍵) 岩が開き、鍵が開く。 6なるは無。 無心に帰っていく扉が開くかもしれない。 開けるも閉めるも我が意識の位置取り次第。 6数理は、蜂蜜の構造式の六角形なるハニカム。 安定なる形状にて強度もある構造。 豊かな意識の構造を強化していくことにする。 岩は別名では石ゆえに、意志開きかもしれない。 鍵なる英語でKey(キー)なので、 豊かな意識という名のキーワードで意志開きしていくのかも。 豊かさへの挑戦として意志を持って開いていくことにする。
今日は5月31日なので、 531からゴーサインを観た。 判断やジャッジを求められたり、 決断をしてゴーサインを示す場面に出会う。 ゴーサインの出し方は、 極めて難しさを伴うことがある。 そもそもサインとは契約の事。 契約通りに行う誓いがサイン。 自らの思惑や相手からの要求など、 様々な契約形態があるが、 最後は自らが決めてるし、 自己の認識の結果であって、 どこまでも自らが映す世界の映像に過ぎない。 いかなる時も決めているのは自らのみ。 迷ったらゴーサインを止め、 行けるならばゴーサインを進める。 ゴーサインする際の意識が大事。 豊かさに向かう契約を進めて行こう。 大丈夫なんだから。
今日は5月30日なので、 530からゴミゼロ。 でもでもゴミを出さないように ゼロにしましょうを伝えたいのではない。 ゴミという概念を変える創造をしてみたい。 そもそもゴミを不要物とか廃棄物として捉えてる。 ゴミはゴミにあらず。 次なる活用先が定義されなかっただけ。 ゴミは宝の山。 智恵が足らず活用しきれてないだけ。 意識の中にもゴミ概念が巣くっている。 それは古い常識や自らの強き想いや思い込み。 無駄とか不要な考え方をゴミとして捨てるではなく、 次なる活用先を創造してみる。 意識のゴミは宝の山。 見方や視点が変われば、 新しい智恵になりうる。 「○○すべきだ」は、 自己の意識の強きとらわれで、 もう既にゴミと化しているかもしれません。 すべきを強めるのではなく、 もっと緩やかに淡く意識を持つ。 「○○かもしれない」に置き換えて観る。 少し思考のスペースを設け緩めてみることにする。 宝の山は光りの宛て方次第。 ゴミを宝にして零にして、 山を霊山(=零山)にしていくことにする。
自らの誕生日の日に合わせて、 <誕生 月+日 から>
今日は今朝から忘れ物。 駅に着いてから気づいた。 財布と定期券と鍵を忘れている。 家と駅の間1.5往復。 朝から良き運動をさせていただいた。 忘れ物した後悔は、 自分を窮屈にしまいがち。 過去を悔いるよりは、 今をどう意識創るか? 忘れ物で得たものがあるはず。 忘れる必要もあったのだ。 少し隙間が出来た所。 本当は少しの隙間と ペース変更したかったことに気づく。 日常の中での不連続は面白い。 忘れる=わ・すれる=我擦れる。 擦れることで、 馴染んでくるものもあるかもしれません。 我を馴染ませるは、 豊かな意識へと擦り合わせることなんだ。 今日も本来の豊かな意識の我に 馴染ませていくことにする。
今日は5月27日なので527を音に返して観た。 527=ごつな=御つな=乙な 良く乙な味とかで表現するが、 乙(おつ)とは、洒落たとか・かっこよくとかの意味。 おつな生き方とは洒落たかっこよい生き方。 では何が洒落ていてかっこよいのだろうか? 見えざる意識や心の位置取りが乙(おつ)であることかもしれない。 この乙(おつ)とアルファベット最後のZ(ゼット)は形が似ている。 乙=Zなので、Zは最後・とどめの位置。 おつな生き方は、最後のとどめの位置を押えた生き方なのかも。 終りよければ初め良しではないが、 おつな生き方は終わり方のかっこよさかもしれない。 いつでも終われる自在性といつでも始められる柔軟性。 乙(おつ)だけに酸素のオーツー(O2)を沢山取り入れ。 酸素いっぱいの深呼吸をすることで、 意識も豊かになっていくことでしょう。
何かと気候も良くなり心も体も弾むころ。 弾む(はづむ/はずむ)を辞書で観ると、 勢いに乗って調子づくと書いてあった。 勢むと書いて「はずむ」とも読むそうだ。 弾むことは勢いを得ること。 そろそろ調子を上げるときかもしれない。 ぜんまい仕掛けのおもちゃには、 弾み車というエネルギーを蓄えておくメカニズムがある。 別名はフライホイールというもの。 回転エネルギーを蓄えて使う。 慣性力が大きいものほど大きなエネルギーが出せる。 弾ませる季節に合わせて自らの中の弾み車を動かす。 大きな慣性が動き出し完成に向って感性あげる。 意識を豊かな方向へと回転させていくことにする。
5月25日なので、 525からご都合について観た。 映す相手によって都合があわず、 何かが出来なかったり、 進まなかったりと、 逆に都合が合ってぴったりと 事柄が進んだりする。 都合が合ったりスムーズに物事運ぶ方より、 むしろその逆に都合が合わず進まない時のほうが、 心と意識が創られる。 相手に都合がある訳ではなく、 そのように聞く必要性があったので、 その不都合を聞いているだけ。 結局は自らの都合だけが問われている。 ご都合は創造の種かもしれませんネ。 創造種=創造主 主(ぬし)たるは我。 自己都合から古い価値観を解除し、 豊かな意識を創っていくことにする。
良くチャンスの神様は、 後髪がなくつるつるで、 前髪で捕まえないと逃げてしまうという。 それって本当? チャンスという捉え方に、 良し悪しの二極の概念があり、 良い方向へと導く価値観が含まれているようだ。 実はチャンスは方向性はないのではなかろうか? いつでもどこでも、 本当はチャンスだらけで、 チャンスの神様を二次平面的に前髪後髪と捉えてるだけ。 映す映像(最近は3D立体)は見る位置変えることできる。 映す映像のモニターの位置変えれば、 いつでも前髪はつかめるし、 DVDではないが巻き戻しだってできるはず。 仮に映すモニターの角度を自在に動かせなくても、 映している視点の位置つまり、 カメラの位置を3次元的な捉え方できる、 上方に置けば、 チャンスの神様を真上から捕まえられるかもしれない。 後髪をつかみ損ねても問題なし。 観る視点の位置がすべてかもしれません。 チャンスの神様は真上からつかめ。 上から目線は意識の高さ位置。 豊かな意識は心を自在にする。 心の創造は無限領域。 チャンスはいつでもチャンス。 チャンとスるでチャンスなのかもしれません。 豊かな意識の高き位置をチャンと上げていくことにする。
「しんせい」は「しんせい」にして「しんせい」なり 人生は神聖なるが故にいつも新しく生きることなり
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