テーマ:サッカーあれこれ(19761)
カテゴリ:サッカー
日本サッカー最大のトーナメント大会といえば
天皇杯全日本サッカー選手権大会である。 今年は第87回大会。第1回大会は大正10年。 戦争などを理由に9回ほど中止されたこともある。 なぜ最大なのかというと、Jリーグのクラブに加え アマチュアや大学、高校など幅広いカテゴリーの チームが都道府県大会を勝ち抜き、本大会出場を 目指すからだ。今大会に登録したチーム数は 6000を超える。全てが一発勝負のトーナメント。 毎年、観戦するたびに公式プログラムを購入する。 過去の全大会のスコアと決勝戦の出場メンバーが 全て記されている。価値のあるデータベースだ。 昭和初期から40年代までは大学勢が頂点に立っていた。 その後、日本リーグが開幕すると実業団が 実力を発揮するようになる。ちなみに、大学チームが 優勝したのは昭和42年の早稲田大学が最後である。 そして、実業団の歴史も平成4年に終焉を迎える。 Jリーグ開幕を翌年に控え、プロチームとして 横浜マリノスが初めて頂点に立った。 私が生まれた昭和49年の第54大会の決勝戦では あまり馴染みの無いチームが駒を進めていた。 そのチームこそが、永大産業サッカー部である。 昔、そのサッカー部は廃部されたと 雑誌で読んだことがあった。しかし、なぜ廃部になったのか。 天皇杯で決勝に進むほどの実力を持っていたはずなのに。 先月、その疑問を解決してくれる本が出版された。 「駆けぬけた奇跡」 サッカー天皇杯にかけた男たちの夢 斎藤一九馬 著 日刊スポーツ出版社 「サッカー部をつくれ。 3年で、天皇杯を獲るんだ」 伝説のワンマン経営者から特命を受けた 河口洋が奔走する。何も無い田舎町から グラウンドを作り、部員を集め、周囲の理解を得ていく。 時には手段を選ばず、死に物狂いで手を尽くす。 次々と選手を補強し、実質1年で日本リーグ2部へ。 翌年には1部昇格という前代未聞のスピードで チームは上昇していく。そして、その年の天皇杯で ついに決勝戦に駒を進めたのだった。 勢いのある経営者のロマンから始まった その夢も、急激に萎んで終焉を迎えることになった。 会社の経営悪化で廃部が決まったのだ。 例えば、これが今の時代だったら 到底不可能な夢物語だろう。3年で天皇杯を獲ることが どんなに難しいことか。普通に考えたら3年で本大会に 進むだけでも驚異的なことである。 ゲームの「サカつく」じゃあるまいし。 まだサッカーがマイナーなスポーツだった時代だからこそ その夢を追えたのである。 しかし、夢は夢で終わらなかった。 永大サッカー部に在籍した何人かの選手は その後指導者となり、実際にJリーグで 活躍する選手を育てたのだ。 最後は泣けてしまった。 ロマンや思いつきで始まったとしても 小さな種が長い時間を経て 大きな花を咲かせることもある。 日本サッカーの歴史の中では 埋もれてしまいそうな話だったが 確実に、今へと続くミッシング・リンク。 サッカー・ファンならずとも知っている あの有名な辛口解説者も登場する。 若い頃から、ちょっとトガッていたんだねぇ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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