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カテゴリ:旅
京都の哲学の道界隈はこころがおちつく。
金沢の学生の頃、哲学者の真下信一さんから西田幾多郎さん (だったとおもうけど)が 思索しながら散歩していたエピソードを聞いたことがある。 出張でちかくにいったときには、 早朝とか、時間をつくてしばし散歩する。 桜の頃にはいったことがあるので、紅葉の頃も歩いてみたいなあ とおもっていたら、ついこの間、そんな機会が訪れた。 法然院(写真)は必ず訪ねる。 椿の寺としても有名だけど、拝観料は取らないし、 自然が豊富で、静かなのがいい。 タイトルに使った「きみは今、椿なの。僕は今、」に続く言葉は 「住職だよ」。貫主の梶田さんのエッセイのタイトルを借りた。 彼は「自然と人間との共生」などというのは大嫌い。 「人間は自然の一部以外のなんでもない」 「自然は生き物どうしの支えあいのしくみ」ととく。 この院には「25菩薩の散華」という25輪の生花を毎朝、 阿弥陀さんの前に並べる作務があるのだそうだ。 椿は有名だが、躑躅、紫陽花、木槿、芙蓉、菊など季節に応じて、 境内でつみ取った花を並べる。 すべての生き物が過ごしてきた時を背負って今を生きているからこそ、 縁によって生かされていることに対する感謝の心を花に託すのだそうだ。 ふと、手塚治虫の「火の鳥」・「黎明編」のラストシーン、 火の鳥が主人公のこころに呼びかけた言葉がうかんだ。 「生きなさい!」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年03月06日 00時55分22秒
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