|
カテゴリ:カテゴリ未分類
松山千春氏の楽曲を全く音楽理論的根拠のない、私の勝手な解釈により紹介することで、人生と恋愛を考える(?)このコーナー。
さて、今回はこの曲。 「幸せ」 先日、夢子さんからの掲示板への書き込みに、 『ちなみに、私のお勧めは"Happiness is a serious problem" by Dennis Pragerです。 この本の第二章は「不幸はやさしく、幸福は骨がおれる」 というものです。』 「不幸はやさしく、幸福は骨がおれる」 なるほど。。。 それじゃ今日は松山千春さんの曲を題材に 幸福ということについて考えてみましょう。 まずはいつものように、曲の世界から。 ------------------------------------------------------- 一番幸せなのは 平凡だってことかもしれない 波風のない毎日を 素直に喜べたなら 一番幸せなのは 何も知らないことかもしれない 穏やかすぎる 毎日を 退屈だと思わない 今日を生きてみて よかったと思うなら どうぞ明日また 素直に生きてください きっと幸せって奴は 特別なものじゃないかもしれない 陽は登り陽は沈む 生まれてただ死んで行く きっと幸せって奴は すぐそばにあるものかもしれない それはあなたの心の中 気づいたその日が幸せ 今日を生きてみて よかったと思うなら どうぞ明日また 素直に生きてください 今日を生きてみて よかったと思うなら どうぞ明日また 素直に生きてください (JASRAC許諾第J070214365号) ------------------------------------------------------- この曲の中で千春さんはまず 「幸せってなんだろう」 と問いかける。 そして、もしかしたら 「平凡だということかもしれないね」 「何も知らないということかもしれないね」 「特別なものじゃないのかもしれないね」 「すぐそばにあるのかもしれないね」 と続ける。 さらにその後、 「あなたが心の中でそれに気づいた時、 『幸せ』になれるんだよ」 と言い、最後に 「そういう気持ちで今日一日を生きてみて、 ああよかったなあと思ったなら 明日もどうぞ同じように 素直な気持ちで生きてくださいね」 とまとめています。 なるほど。。。 いつの頃からか、 千春さんの曲にこういう曲が増えました。 前にこのHPで紹介した「です。」をはじめ、 「残照」「凡庸」「憂い」「それだけの愛」 などなど。。。 要は、日常のささやかな出来事、 その中にある小さな喜びに幸福を感じよう というような曲です。。 こういう曲は、 千春さんの全盛期が過ぎて、 セールスが落ちた頃から増えてきた とわたしは思っている。 アルバムセールス歴代1位(当時)を記録した 勢いがなくなり、 ファンがどんどん離れていき (わたしも離れた。。。) 髪の毛までなくなり、 人間関係などトラブルもあり、 (といううわさもあり) 千春さんもいろんな苦しいことが あったのだろうと思います。 そんな時、千春さんは 「日常のささやかな出来事、 その中にある小さな喜びに幸福を感じよう」 という境地に至ったのかなあと、 千春さんが一番苦しかったであろう頃の アルバムの一曲である「幸せ」を聴いて、 わたしは思います。 それで、 「不幸はやさしく、幸福は骨がおれる」 についてなのですが、 どうなのでしょう? 人間、とかく他人の畑はきれいに見えるものというか、 自分自身の状態や 自分の身近な周囲の状況が 見えなくなってしまって、 ただ先ばかり見て 自分はぜんぜんだめだ、なんて不幸なんだろう と思いこんでしまうことが 多いのではないでしょうかねえ。 案外、今の自分も捨てたものではないな、と思ったら 実は「幸せ」はやさしく手に入るものかもしれませんね。 シングル「いつのまにか」B面 1988年5月25日発売 アルバム「自由の彼方へ」収録 1988年5月25日発売 アルバム「起承転結V」収録 1990年4月25日発売 アルバム「風景」収録 1996年4月20日発売 ------------------------------------------- 「松山千春」バックナンバーはこちら。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007年04月08日 09時57分53秒
|