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2004年02月16日
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さて、「うちの学校の1年」
冬学期も7週目になった。
(やばいです。仕事は全然進んでおりません。。。)

大学院修士課程も、
そろそろ最初の課題(小論文=エッセイ)の結果が返却されてくるころではなかろうか。

結果が意外によかった方も、悪かった方もいると思う。
今日はその意外に悪かった方、特に日本人の方に贈る。

かみぽこの、「教授が教えてくれないエッセイの書き方」。

最初に断っておくけれども、
今日書く内容は、
絶対にエッセイの書き方うんぬんの教科書には載っていない、
教授も絶対に言わないことだ。
これが正しいかどうかもわからない。
ただ、わたしが書いたことから、
何かを感じてもらって
自分なりに咀嚼して留学生活に生かしてもらえれば幸甚です。

エッセイを書くにあたって、
日本人の留学生、
特に学部まで日本の大学にいて、
大学院修士から英国の大学に来たという方が
陥りがちなことがある。

それは
「descriptive(記述的な)エッセイを書いてしまう」
ということである。

「記述的な」
とはどういうことかというと、例えば
事実を延々と重箱の隅をつつくように右から左まで細かく書いてみたり、
理論を書く場合でも、いろんな学者の理論を右から左まで並べて書いてみたり、
ということである。

はああ、よく調べましたね、さすが日本人!
と英国人の先生から見ると溜息が出そうなのだけれど、
それが評価されるのは学部レベル。
修士レベルのエッセイはそれではいかんのである。

修士レベルのエッセイに必要なのは

「ARGUMENT」

である。
辞書をみるとARGUMENTという単語はいろんな意味があるのだけれど、
ここでは「主張」「意見」「立論」「議論」あたりが合っているだろう。

つまり、修士レベルのエッセイで問われているのは
課題として与えられた質問(=エッセイのタイトルになる)
に対する「あなたの主張、意見」は何か、なのである。

日本人のエッセイは、この
「あなたの主張、意見」
が弱くなってしまい、低く評価される傾向がある。

これには2つの理由があるとわたしは思っている。

1つは、「あなたの主張、意見」を書く余裕がないということ。
特に社会人経験をしたりして、大学院修士から英国の大学に来たような場合、
そもそも多少の実務経験はあったとしても、
学問的な専門知識はほとんどない状態でコースをスタートすることになる。
この場合、エッセイの課題を与えられるとまずいろんな本を読んで
理論や先行研究を「理解」するところから始めないといけなくなる。
しかし、エッセイには締め切りというものがある。
結果として自分が「理解」した成果を並べて書くのがやっとで、
「主張、意見」を考えることができないで終わってしまう。。。

もう1つは、「あなたの主張、意見」とは何かがわかっていない場合である。
つまりこれは日本の教育が
幅広い知識を記憶させることを中心としており、
あまり「考える」ということを求めていないから、
「主張をする」「意見をする」ということが
そもそもどういうことなのかよく分かっていないということだ。

この場合、自分ではしっかり主張したつもりでも、
先生からみれば単なる事実の羅列でしかない、という結果になる。。。

1つ断っておくけれども、
わたしは日本の記憶中心の教育システムは非常に優れていると思っている。
英国に来てからその意を強くしたことは以前書いた。
わたしがここで言いたいことは教育システムの違いによる慣れの問題である。

では、日本人が慣れていない
「主張、意見の強い評価されるエッセイ」を書くにはどうしたらいいのか。

わたしは記述的なエッセイを書いてしまい落ち込んでいる方
(あるいは、自分のエッセイが記述的であることも理解できず評価に不満たらたらの方)
がいると、こうアドバイスをすることにしている。

「エッセイの構想を練るときに、
右から左からいろんな本を読んでから書こうとするのではなく、
まず、エッセイの質問に対する自分のARGUMENNT(主張)を決めなさい。
次に、その自分の主張を証明するような本を集めて読みなさい。」

つまり、
エッセイの質問に答えるための知識を収集することから始めるのでなく、
まず最初に答えを考えて、次に調べる。
これが重要なのだとわたしは思う。

どうですか。ものすごく違和感を感じるでしょう??
調べる前に自分の主張を考えて決めるなんて、日本人には理解しがたいやり方ですよね。

わたしも最初理解できなかった。
ソフィアに何度も何度も「ARGUMENTとは何か?」と質問して、
やっとわかったことだ。

しかし、自分の主張をまず決めろといったって、
何もないところから主張など出てくるはずがない。
そんなの無理ではないか、という声が聞こえてきそうである。

だから、ここは重要なので強調しておくけれども、
常日頃の心掛けが大事なのである。

例えば
普段、新聞で政治欄や社会面を読むときにも、
何があったか理解するだけではなく、
自分はそれに対してどういう意見を持つのか、
まで考えるよう心掛ける。

学校の授業でも、
本を読んでいって、教授の話を理解して、他の学生の意見を理解して
それでああよかったなと終わってはいけないのである。
自分は今日の授業の内容についてどういう意見を持つのか、
まで考えないといけない。

そういう訓練を自分で心掛けて日頃からやっておけば、
いざ課題が与えられたときに、
まず自分はこの課題に対してどういう主張をするのか
をすぐに考えられるようになるはずだと思います。

この「かみぽこぽこ」に対して、
「よく、ほぼ毎日いろんなことが書けますね」
と言われるけれども、
わたしは毎日物を考える訓練をしてきているので、
コンピューターの前に座ると、
すらすらと文章が出てくるのである。

まあ、とは言っても別に大したことは書いてませんが。
「しょせん松山千春で人生を考える」程度ですから。
普通人生を考える場合、高尚な哲学書とか引用しますよね。
ははは。(^^;)

ということで、
エッセイの結果が芳しくなかった留学生の方々、
あと、留学をお考えになってらっしゃる方々、
自分の主張、意見は何か考える訓練、それを表現する訓練を
ぜひ常日頃から取り組んでいただきたいと思います。

そうすれば、きっといいエッセイが書けますよ。
がんばってくださいませ。

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最終更新日  2004年02月17日 23時04分39秒



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