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2007年03月01日
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カテゴリ:カテゴリ未分類
さて、「英国留学回想録」です。
「人生で一番楽しい時」第7回、

「野外ライブとディスコとSUMOと」。
(2001年7月中旬)

タイトルが意味不明?(苦笑)
まあ、いいじゃないですか。。。

修士論文も、タイトルの変更が許可になり、
日本への緊急一時帰国で、
論文のための資料も揃った。

さあ、はじめるぞっと
いうところなのだが
ここでちょっと閑話休題ということで、
この頃の学校生活について
書いてみたいと思う。

うちの学校も7月になると、
夏休みに入っているわけだ。

学部生は完全に休みに入るし、
修士課程の学生は、
授業などの1年間の
全てのスケジュールが終わり、
9月まで修士論文に取り組むことになる。

この間、基本的に
時間の拘束は一切ないわけで、
朝何時に起きようと、
夜何時に寝ようといいわけだ。

私は留学回想録のこの章のタイトルを

「人生で一番楽しい時」

としている。

確かに今まで書いたエッセイ1本の
約3倍の長さの論文を書くということで、
調べなきゃいけないことも多いし、
考えなきゃいけないことも多い。

そのプレッシャーは確かにあるのだが、
私の修士論文のテーマ決めの
過程を読むとわかるように、
修士論文はこれまでのエッセイと違って
学部側から課題を与えられるというより

「自分のやりたいこと」

ができるわけだ。

その上、完全に時間の拘束はなく
自分のペースでやれるので、
例えば旅行など、
これまで授業がある間には
できなかったことを
やることもできる。

この2001年7月の時点で
私がどう思っていたかは別としても、
後にも先にも人生で
こんな自由な時期に
好きなことを考え、
好きなことが出来た時期は
他にはなかったというのが
「人生で一番楽しい時」
の意味である。

今日は、そんな時期の
大学の寮生活について、
ちょっと書いてみたいと思う。

大学の寮ってのは名前を
「湖畔寮」と言って、
小さな湖(つーか、ほんとは沼 or 池??)
のほとりにあるわけだ。

その湖畔寮の広場で
毎日夕方になると、

ぼろぼろぼろぼろぼろぼろぼろぼろ♪
あ~あ~あ~あ~あ~♪♪

ってな感じで(笑)
ギター片手にラテンとかジプシー系の音楽を
歌う奴が出てきた。

もちろん、私じゃないよ。(苦笑)
この頃はまだギターはやってなかったから。

どこの学部の誰かは知らないが、
ラテンアメリカ系の学生で、
彼の周りを同じラテン系の学生が
多数取り囲んで音楽に合わせて踊っていた。

その光景は、私の部屋からもよく見えたのだが、
なんとも楽しそうだった。

このラテン系の留学生たちについては、
以前書いたことがあるけれども、
彼らは1年前のプレセッショナルコースの頃は

「私はPhDに進むに決まっている」

と自信満々な態度だったけれども、
コースが始まってしばらくたつと、

「ストレスがひどい。耐えられない。。。」

と訴えるようになり、
年明け頃になると、

「人生は楽しむことが大切だ」

と、言い出した。

要は、プライドだけは高くて
最初は調子がいいのだけど、
いざとなると腰砕けで、
でも、言い訳の能書きだけは立派という
典型的なラテン系のパターンなわけだが、
そんな人たちが、
夜な夜な広場に集まって、
音楽に合わせて踊り狂い始めたのだ。

これがこの時期の寮生活の1つ。(苦笑)

次に、寮のキッチンで
パーティが催されることが
多くなった。

寮にはキッチンが100近くあるのだが、
毎晩のように、そのどこかで
パーティが催されたわけだ。

私も誘われれば、時々はそれに参加した。

今でもよく覚えているのは、
ある日本人女性から誘われたパーティ。

合計15人くらいが集まった会だったけど、
宴もたけなわの頃、
その日本人女性の彼氏(英国人)から、

「かみぽこ、SUMO取ろう!」

と言われた。

「すもう?」

と聞き返すと、

「No!シュ~モ~」

と発音を直そうとしてきやがった。

(なんで、お前らに日本語の発音
直されなあかんねん!)

と、内心カチンときた。
まあ、英国人ってのは人の名前とかね、
全部オリジナル無視の英語読みにする
あつかましい奴らだから。

「マイケル・シューマッカー」

とかね。(苦笑)
もちろんこれは、ご存知F1の
ミハイル・シューマッハーのことだ。

(鼻をへし折ってやる)

と思って、「いいよ」と言った。
その日本女性の彼氏というのは、
うちの大学のウェートリフティング部に在籍して、
なんか表彰状とかもらってるらしく、
それが寮のキッチンの掲示板に張ってあった。(笑)

でもね、そりゃ力強いかもしれんけどさ、
あいつら足がひょろひょろ長いし腰が高いから、
こっちが重心下げれば投げられないだろうっていう
自信が私には漠然とながらあった。

いや、意地でも投げられてたまるか、
と思っていた。

私と彼は、がっぷり四つに組んだ。
彼がしきりに投げようとするが、
重心を落とした私はビクともしなかった。

彼は真っ赤になりながらがんばったが、
結局私を投げられなかった。
いろいろ言い訳してたけどね。

(ざまーみろ、日本人をなめるなよ)

そんな気分だったね。

最後に、DISCO。
これはね、学校内にあるんだけど、
それまで私は行ったことがなかった。

だって、当時でさえ32歳だよ。
そんな若い衆にまじって、
DISCOなんて、ねえ。。。(苦笑)

ところがある日、
学校から寮への帰り道である
小道を歩いていると、

前から、「芝生の上をハイヒール」のM子さんと
白人、インド人、中東の人の男どもという
バラエティーに富んだ集団が歩いてきた。

「あら~、かみぽこさ~ん。
私たち、これからDISCOで踊るんですよ~。
いっしょにいきましょ~。」

(いかねーよ)

と思って、挨拶だけして通り過ぎようとしたが、
身長2メートルくらいのインド人に遮られ、

「GO!GO!」

とか言われて無理やり拉致されて
DISCOに連れて行かれてしまった。

私、その時Tシャツに
短パンにサンダルだったんだけどね。。。(苦笑)

ディスコでは、この集団の1人だった
巨大なドイツ人男にゴツゴツぶつかられ、
参った。。。

せっかく日系スペイン人の可愛い子がいたから、
いっしょに踊ろうとしたんだけどねえ。(苦笑)

まあ、そんなこんなだけど、
この時期は修士論文に
うんうんうなるだけでなくて、
時間のメリハリをつけて(?)
いろいろ楽しむこともできたわけだ。

それでは、またね。





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最終更新日  2007年04月05日 20時47分35秒



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