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2007年10月20日
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カテゴリ:カテゴリ未分類
さて、「めざせ!人間カラオケマシーン!!」
特別編(?)の後編です。

前編では、松山商業高校出身の
世界陸上女子マラソン銅メダリスト
土佐礼子選手について
書いたのだけれども、
後編では、同じく松山商業高校出身の

水口

「オリックス・バッファローズ
水口栄二選手」

について、
取り上げてみたい。

水口選手って、
このブログに来る方には
知らない人も多いだろうね。

野球に詳しい人じゃないと
知らないだろうからね。

でも、水口さんは、
イチロー選手が
理想の2番打者は?
と聞かれて、即座に

「水口さん」

と答えたという
名選手なのである。

水口さんは実際に
イチロー選手の後の2番打者を
打ったことがないのにね。

しかも、メジャー・リーグの
超一流の2番打者たちを押しのけて、
「水口さん」を
イチローが選んだわけだからね。

水口さんはイチローも認めた
名選手なのだけれども、
不思議なほど
マスコミは取り上げない。

近鉄バッファローズという
マスコミの注目度の低いチームで
現役の大半を過ごしたからだろうか。

そんな水口さんと僕って
実は微妙に接点があったりする。

まず、同学年であること。(苦笑)

次に、同じ愛媛県の隣町で
中学時代に軟式野球をやっていた。
一度だけ、対戦した。

同じ大学で同級生。

但し、面識はない。(苦笑)
共通の知り合いはいるんだよね。

隣の中学のピッチャーで
松商に進学した奴。

大学の体育局には
水口選手と同じ学部の
同級生がいた。

また、野球部と親しい
大学の応援部主将が
たこちゅーの同期。

同じく応援部のチアガールが
学部の後輩で
たこちゅーの後輩。

などなど。。。(苦笑)

つまり、水口選手は
直接的には知らないけど、
僕の人生と
割に近いところにいたと
いうことだね。

最初に水口選手と接点があったのは、
中学2年の時に
軟式野球部の練習試合だった。

相手チームに
身体は大きくないが
俊敏な動きの
2年生ショートがいた。

それが水口選手。

中学校の頃ってね、
高校や大学と違って
うまい選手とそうでない選手の
差が大きいからね。

上のレベルで
やっていけるような選手は
違いがすぐにわかるからね。

ていうか、
本当の意味で
上のレベルでやれる選手を
見たのは初めてだったような
気がする。

だから、よく覚えてるんだよね。

ちなみに、僕の中学校は
前年(中学1年の時)の
夏の県大会で優勝して
四国大会で準優勝していた。

一方、水口選手の中学校は
その次の春の県大会を制していた。
1学年上の3年生には、
松商の主将を務め、
亜細亜大でも活躍した
田中という選手もいた。

つまり、自分のチームにも
対戦相手にも
中学生としては
かなりレベルの高い選手が
揃っていたのだけれども、
それでも、本当の意味で

「上のレベルでやれる選手」

を見たのは
初めてだった気がした。

僕は、ピッチャーに関してはね、
プロにいける選手について、
1つの明確な基準を
持っているんだけどね。それは、

「高校野球の県大会レベルで
1試合20個くらい
三振を取れること」

なんだけど、
これは、野口茂樹(丹原高→中日→巨人)や
藤井秀悟(今治西高→早大→ヤクルト)など
愛媛県出身のプロのピッチャーが
高校時代に大体これくらい
三振取ってたからね。

1試合27個のアウトのうち
20個を三振で取る。

これって、ものすごいことだけど、
甲子園ではともかく、
県大会レベルでなら、
普通にやってのける。
(甲子園では、という意味では、
藤井はセンバツで確か
3試合連続二桁奪三振だったと思う。)

これくらい凄くないと
プロにはいけないということ。

これに対して、
野手はプロにいける選手の
基準は難しい。

もちろん、プロのスカウトには
明確な基準があるんだろうけど、
素人にはよくわからない。

これまでも、高校や大学の
これはいいなあ、と思う
好選手をいろいろ見てきたけど
ドラフト指名されなかったり、
プロに入っても
端にも棒にもかからなかったり、
どうもよくわからない。(苦笑)

ただ、水口選手だけは
この目で見た瞬間、

「これは、モノが違う」

と思った。

実際、僕の同学年(39歳)で
まだプロ野球で現役を続けているのは
数えるほどになってしまった。
(野茂、矢野、金本、

そういう意味では、
水口選手は
同学年で野球をやっていた人の中では
(僕みたいな、中学校では
やっていたという人も含めて)

「数えるほどのうちの一人」

であることは間違いなく、
僕が、「水口選手はモノが違う」と
思ったのも不思議ではないと
いうことだろうね。

高校では、僕は野球を辞めて、
陸上に転じたわけだけど、
水口選手は松商野球部に進んで

「モノの違い」

を見せつけてくれた。

3年生の夏、
水口選手が主将を務める松商は
甲子園で準優勝するのだけれど、
この大会で水口選手は

「大会安打最多記録19」

という、今でも残る
とてつもない記録を作る。

これは、1回戦から決勝戦まで
6試合すべてで3安打ずつ打っても
まだこの記録に届かないという
(6試合  X 3安打 = 18安打)
大記録である。

また、この大会で
同じく水口選手が記録した

「8打席連続安打」

も、大会タイ記録として
残っている。

まあしかし、
それよりもなによりも、
僕にとって衝撃だったのがね、
この夏の大会後、
水口選手が
われらが母校の大学に
特別推薦で入学することに
なったことだった。

特別推薦の条件は

「全国大会3位以内の成績」

だから、夏の甲子園で
準優勝してなかったら
条件を満たしてなかったわけで
また、推薦以外で
松商からわれらが母校に
入学することは
昭和初期はともかく(苦笑)
近年ほとんどなかったので、
ちょっと驚きだったというかね。

僕はその頃、
その、われらが母校に
入りたかったのだけど
成績が超低空飛行でね。。。(苦笑)

陸上部で商業科のヤンキーどもと
つるんで遊んでたんだから、
超低空飛行も
当たり前だったんだけど。。。(苦笑)

しかし、中学生の時に

「モノが違う」

と思った、あの選手が
「野球」で自分の行きたい大学に
進むことが決まったというのは
ちょっと考えさせられるものがあったね。

こっちはすでに野球を辞めてたし、
成績も悪かったわけで
なんか、とほほ。。。
ではあったよね。(苦笑)

ところが、まあなんの間違いか
僕も同じ大学に進めてしまった。

最初から、浪人するつもりだったのに、
入試が始まってみると
英語の試験の時に
赤本10年分解いて
どうしてもできなかった
穴埋め問題5問が

「わかる問題しか、出てない。。。」

もしかしたら、
100ある例文のうち5つしか
頭に入ってなかったかもしれないのに
その5つがどんぴしゃ
出てきたようなもんだった。。。(苦笑)

いや、ほんとの話。。。(苦笑)

それで合格。
水口選手と同じ大学に
入れてしまった。

大学では、水口選手は
1年からレギュラーで
神宮でもまさに

「別格」

だった。

4年生の時には主将を務めて
野球部をリーグ優勝に導いている。

僕は、同じ体育会でも、
大学から始められる
マイナースポーツで(苦笑)
しかも、あまりにも
モノにならんので、
2年生から学連で
試合運営の裏方に回された。(涙)

僕が大学時代、水口選手に
最も「接近」(?=苦笑)したのは、
卒業式直前に行われた

「体育局謝恩会」

だった。

40くらいある、
大学体育局公認の各部が集まって
謝恩会をやったのだけれども、
まあ、僕はあくまで田舎者なので、
ホテルの豪華なバイキングを食べるのに

どりゃあああああああああああああああああっ
ぬおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ

と、一生懸命だった。(苦笑)

野球部とかラグビー部とか、
メジャーな部はみんな知り合いでね、
(というより、メジャーな部の
大半の部員は特別推薦のある
同じ学部だったからね)
彼らが談笑している間を
自分の部以外に
知り合いもいない僕は
料理を求めて
ゴゾゴゾ動き回っていたと
いう感じだったね。(失笑)

まあ、品がないというかね。。。(涙)

それで、お寿司も、ローストビーフも
おいしいな、うひょひょ。。。

って、夢中がガツガツ食べてた時に
ちらりと、水口選手が
多くの人たちに
囲まれているのが見えた。

(ああ、いるんだな。。。)

と、ぼんやりと思ったのを
覚えている。

でも、水口選手を囲む輪に入ろうとか
話しかけようとか、
そういうのは全くなかった。

そのうち、水口選手は
会が終わる前に、
帰っていった。

彼は、もう近鉄に入団して
オープン戦の真っ最中だったからね。
忙しいところを、
ちょっと抜けて
謝恩会に来ていたのだろう。

卒業後は、水口選手と
全く接点がなくなったけれども、
彼が公称173センチという
決して大きくない身体で
17年間もプロの世界で
がんばっていることは
敬意を持って見ていた。

1561試合出場
1213安打53本塁打
打率 . 269
279犠打(歴代7位)
オールスター戦出場1回(96年)

これが、水口選手が
小さな身体で成し遂げた
記録である。


しかし、このような数字以上に
特筆すべきは、

「球界屈指のファール打ち」(苦笑)

で、追い込まれても
なかなか相手投手は打ち取れず、
仮に打ち取れたとしても
精神的ダメージを与えられて、
後のローズ、中村紀洋らの餌食と
なっていたという。

水口選手が引退するという。

できれば、40歳まで
やってほしかったと
個人的には思うけれども、
それでも小さな身体で
17年もやったことの
価値が下がるわけではない。

マスコミが取り上げることは
少なかったけれども、
僕にとっては常に

「モノが違う」

存在であった
「小さな名選手」の引退に、
心から、

「お疲れ様でした」

と、言いたいと思う。

それでは、またね。





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最終更新日  2007年10月20日 14時35分03秒



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