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2009年06月29日
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カテゴリ:カテゴリ未分類
さて、続いて「かみぽこ政治学」です。

「鳩山劇場・第二章」

その続編を書きたいんだけど、
まあ今の巷の焦点は

「地方の反乱」

となっていて、
「鳩山劇場」は
少々キャッチーでは
なくなってしまったけど、
こういうことは
キャッチーではなくなってから
書いたほうがいい。

ということで、
まず、自分が書いたものを
読み返してみて
思うのだけれども、
いま一つ突っ込みが
甘いかなと。

要するに、鳩山(邦)さんが
単に麻生首相の「盟友」と
いうだけではない、
「鳩山家VS吉田・麻生家」の
かつての抗争と
鳩山家のゴットマザーの存在、
兄・由紀夫さんと共に
民主党結党時の
事実上のオーナーであったこと、
それらの背景の重要性は
言うまでもないし、
兄とともに
「政局」の焦点にもなった。

鳩山(邦)さんの行動が
「鳩山家」にとって
合理的なもので
あることも書いた。

しかし、鳩山(邦)さんは
なんでこのタイミングで
この行動なのか。

私は、鳩山(邦)さんは、
まさに、このタイミングで
行動を起こさなければ
ならなかったんだと思う。

そのことは、鳩山(邦)さんの
政治家としての
これまでの歩みを
振り返ってみるとわかる。

鳩山(邦)さんの行動は
やはり93年に
自民党を離党してからの
「迷走」を抜きには
語れない。

鳩山(邦)さんは、
新進党、民主党を経て、
99年の東京都知事選で落選、
その後自民党に復党した。

だが、2000年の衆院選は
東京ブロックの
比例単独候補としての出馬で、
自らの選挙区を得られず、
続く2003年の衆院選は
菅直人さんの東京18区から
出馬して敗れた
(比例復活で当選)。

そして、2005年の衆院選で、
母方の祖父の出身地である
福岡6区へ選挙区を移し、
当選を果たした。

鳩山(邦)さんは流浪の末に、
ここでようやく選挙区が
定まることになる。

ちなみに、鳩山(邦)さんは
ここまで

「無派閥」

を通していた。

要は、「出戻り」の鳩山(邦)さんは
党内に仲間ができなかったと
いうことだ。

離党を繰り返した鳩山(邦)さんに
自民党内は冷淡だったと言える。

鳩山(邦)さんは
政治的に「根なし草」であった。

鳩山(邦)さんは「無派閥」のまま
2006年自民党総裁選への出馬を模索した。

おそらく鳩山(邦)さんは
「根なし草」状態の打開のために
行動を起こそうとしたのだろうが
20人の推薦人が集まらず
総裁選出馬を断念した。

ただ、総裁選にかかわることは
鳩山(邦)さんにとって
無意味ではなかったようだ。

鳩山(邦)さんはこれ以降、
総裁選で麻生太郎さんの
応援に回ることになったからだ。

細かいことはともかくとして
要するに、総裁選出馬の
推薦人20人を集めるために
水面下で動いている時に
鳩山(邦)さんと麻生さんが
なんらかの形で
つながる場面があったのだろう。

それが鳩山(邦)さんにとって
1つの転機となったことは
間違いがない。

鳩山(邦)さんと麻生さんは
それまでただの
「ウマが合う」友人に
すぎなかったが、
鳩山(邦)さんは
2006年、2007年、2008年の
3回の総裁選で麻生さんの
選対本部長を務めることに
なったからだ。

また同時に、鳩山(邦)さんは
「派閥」に復帰した。

自民党を離党する前に所属していた
「竹下派」の流れをくむ
「津島派」に入会した。

2008年には津島派の
代表代行に就任。

そして、鳩山(邦)さんは
安倍改造内閣の法務大臣、
福田内閣で留任、
麻生内閣では総務大臣に就任と、
完全に政界の表舞台に復活した。

鳩山(邦)さんは若くして
田中角栄元首相の秘書官から
政治のキャリアを
スタートさせた。

また、祖父・鳩山一郎さんが
首相であったこともあり、
彼はごくごく自然に

「総理の座」

を目指して
政治家になった
人物だといえるだろう。

しかし、様々ななりゆきで
離党を繰り返すうちに
いつのまにか自民党内で
「根なし草」となって
浮遊する存在と
なってしまった。

そんな鳩山(邦)さんの
目の前に現れたのが
次期総理総裁候補として
大衆人気を集めていた
麻生さんだったのだろう。

鳩山(邦)さんは
「盟友」という言葉を連呼して
麻生さんの信頼を得た。

麻生さんを総理総裁にして
自分はその側近として入閣する。
麻生政権が長期政権化すれば
自らの自民党内での
影響力は増していく。

そして、その影響力を背景に
復帰した津島派を抑えて
麻生首相の後継を狙う。

こんな感じの戦略を描いての
ものだっただろう。

ところが、「ねじれ国会」という
政権を取り巻く状況の悪さに
麻生首相の失言連発もあって、
麻生内閣は低支持率にあえいだ。

麻生政権は意外なほど
「泥船」であった。

その上、鳩山(邦)さんは
津島派を掌握できなかった。

津島派では石破茂さんが
次期リーダーとして
台頭しつつある。

こうなった時、鳩山(邦)さんは
普通の政治家では到底できないような
戦略転換を行った。

麻生首相をそっと見限ったのだ。

「かんぽの宿売却問題」で
激しい郵政批判を展開し、
麻生首相の失言や
小泉元首相の激怒を誘発し、
麻生政権の支持率を
更に低下させる
行動に出たのだ。

そして、「西松問題」での
小沢一郎民主党代表辞任を経て
「兄貴」鳩山(由)さんの代表就任で
民主党が党勢を回復するのを見ると
鳩山(邦)さんは、
一挙に「西川社長辞任問題」の
ボルテージを上げた。

前回触れたように、
担当大臣として
ちゃんと手順を踏んで
調査するようにという
麻生首相の指示を
完全無視して
「正義」一点張りで
押し切ったのは、
最初から総務相辞任まで
突っ走るつもりだったと
いうことだろう。

鳩山(邦)さんは
最初から麻生首相を守る気はなく、

「実は総理を狙う男」
(河村たかしさんじゃないけど。。。=苦笑)

の行動原理で
動いていたということだ。

そして、「根なし草」という
しがらみのない身軽さが、
その大胆な行動を
可能にしたといえる。

しかし、前回書いたように、
鳩山(邦)さんのここから先は
不透明である。

1つだけ言えることは
自民党から出馬しようと
離党しようと
とにかく次の総選挙は
なにがなんでも
サバイバルしなければ
いけないということ。

サバイバルさえできれば
あとは「正義」の看板を掲げて
状況に合わせて
ポジションを変えていけば
いいだろうね。

そういえば、昨日

「盟友だけど、麻生首相で
総選挙を戦うわけにはいかない」

というようなことを
言ったとか。

やはり、「正義」を巧みに
使っているね。。。(笑)

さて、どうなりますかね。

それでは、またね。

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最終更新日  2009年06月29日 10時51分51秒



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