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June 21, 2011
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ユダヤ人に発言できるのは日本人だけ

日本からでなければ、本当に新しい文明の見方はでてこないのです。全世界に新しい見方を提唱できるのは、日本民族しかいないのです。これは何も国家主義的な日本人の優秀性を言うのではありませんが、ユダヤ人問題に比較的関係がなくて、学識が非常に高い国は日本しかないのです。
日本人が新しい政治理念、学理理念の基本を提唱することは、最もふさわしい立場にあるのです。
日本人以外に堂々とユダヤ人に発言できる民族はありません。日本人とユダヤ人とは、いい意味でも番い意味でも、関係が非常に薄いからです。ですから自由に発言できるのです。ヨーロッパやアメリカではだめです。ヨーロッパでは長い間、ユダヤ人を迫害し続けて来ましたので、ユダヤ人に発言できる立場にはないからです。



舞台裏に隠れているユダヤ人

日本人の常識で考えますと、天地が造られたことが何のことか、さっぱり分からないのです。古事記に国が造られたことが書いてあります。泥の中へ棒をつっこんで、それを引き上げて、雫が落ちたところが島になって日本ができたとあります。全く幻想みたいなことを書いていますが、一つの考えとしてはあり得るでしょうけれど、天地の万物の創造という具体的な考え方から言いますと、ほど遠いのです。
これは日本だけでなく、中央アジア、中東地方の国々の古い歴史の中にもそういう記述があるようですが、きわめて抽象的で比喩的です。
ところが、旧約聖書の創世記第一章は、非常に具体的に万物創造の段階を書いています。鉱物の創造、植物の創造、動物の創造、人間の創造というように、各存在についての段階を、原理的に示しているのです。
現在、万物がある、天地があるという事実は誰でも分かります。あるというのは、結果であって、この結果ができるためには、原因、原則がなければならないのです。
物はあるべき理由があって、存在しているのです。物があるべき原因がなければならないのです。物がある原因は、現在の文明概念、学校教育でも、一切分かつていないのです。物がある、地球があるとはどういうことなのか、存在とは何かが、全く不明のままなのです。
日本には日本書記がありますから、天地創造については無関心だとは言えないかもしれませんが、中国人はほとんど考えていないようです。
中国は日本より歴史が古いのですが、孔子、老子、孟子でも、天地が造られた原因について言及していません。生活のあり方、政治のあり方を嘉にして述べているのです。孔孟の教えは家庭の問題、政治の問題を中心にしているのです。これが四書五経なのです。
だいたい宇宙の中で、太陽系以外の墨は、正体がはっきりしません。固体である惑星はほとんどないのです。ガス体か液体なのです。ところが地球と地球周辺の星は固体になっているのです。固体である惑星が既に珍しいのです。
地球に住んでいる私たちから考えますと、太陽系宇宙は個体の星がいくつかありますから、全宇宙には個体の星が無数にあると考えるのです。ところがそうではない。惑星は本来的にはガス体であるのが常態なのです。
旧約聖書第一章三節には「地は形なく、むなしく」という言葉があります。地は現在の地球を指していますが、始めは形がなかったのです。しかも空々漠々として、何の目的も持っていなかった。つまり星雲状態であったという意味になるのです。
百五十億年前の大宇宙は、空々漠々たる状態であった。そこに大爆発が生じて、宇宙ができはじめた。地球は四十五億年位前に形を取り始めたと考えられているのです。
地球という惑星は、私たち地球にいる人間が見ているから普通の状態のように考えられますが、宇宙全体から見ますと、全く不思議な物体になるのです。あらゆる星は、原則的には星雲状態です。ガス体の塊であって要素そのものであるのに、地球は要素どころか、森羅万象という物体が存在しているのです。それには非常に深い意味がなければならないのです。
地球になぜ森羅万象があるのか。一口に植物と言っても、千々万々の種類があって、整然としているのです。リンゴはリンゴのように、ナシはナシのように、桜は桜のように、何千年も続いている。これは一体どういうことなのか、なぜそのように理路整然として、驚くべき科学性、合理性を持って存在しているのかということです。これには現在の人間の常識や学問では考えられない大原則がなければならないのです。
皆様の生活には、常識、知識という学問的な考え方、生活主義的な考え方、義理人情の考え方があります。これは顕在意識です。
この他に潜在意識があるのです。これは日常生活の表面に現れていませんが、学問や常識の根本原則にあたるものです。人間の心理状態の底の方に隠れているのです。例えば良心です。良心の正体が分からないのです。なぜ人間に良心があるのか。良心は心理機能の葦な面でありながら、皆様の考え、行動に必ずしも同調しません。
人間は良心にいつも監視されているような状態です。人間社会には警察機構があります。警察は法を破る者に対して干渉します。もし警察機構がなければ、法律を造っても守られないのです。
日本の社会では、警察力が活力の源泉になっています。法律を遵守するために、日本の警察は優秀な働きをしている。これが良心の働きなのです。
一体人間の中に良心がどうしてあるのだろうか。警察は日本の立法府が造ったものです。国家構造から見れば、警察は簡単に説明できるものですが、警察力と同じような働きをしている良心の働きが、どうしてあるのだろうか。この説明が現在の学問ではできないのです。
人間とは何か。善とは何か、悪いとは何か。漠然としているのです。極端な善とか極端な悪は分かりやすいのですが、その接点になると分からないのです。
これが皆様の生活に非常に微妙な働きをしているのです。自分がいいと思うことが、他人から見れば悪いことになる。これはどういうことなのか。本当の青票害得失の原点はどこにあるのだろうか。学問にはこういうことをはっきり割り切る原理がないのです。これは地球が造られたこと、人間がこの世に生まれたこと、理性と良心を持っている不思議な生物が現れたことの意味をよく考えなければ、分からないのです。
人間は地球を自分たちの都合の良いように勝手に使っています。石油をとったり、鉱物資源をとったりしている。これについて正当な説明ができる学問がないのです。専門学はそういう不完全なものなのです。断片的なことは説明しますが、根本的なことは説明しないのです。説明できないのです。これがユダヤ主義です。
ユダヤ人は現在、文明の舞台裏に隠れているのです。文明の舞台回しをしているのです。舞台裏で仕事をしていますから、ユダヤ人のことが分からないのです。ところが舞台裏の仕事が表面を動かしているのであって、舞台裏が分からないと、表面のことも分からないのです。
文明はその舞台であって、そこで人類が芝居をしているのです。この舞台裏が分からないと、文明の将来、人間の命の根本原理が分からないのです。そこで宗教ではない神、人間存在の本質をはっきりつかまえなければならないのです。
舞台裏に隠れているユダヤ人を、表に引っ張り出すことが必要なのです。ユダヤ人は世界をひっかき回す思想を持っている。この思想を持ったままで表面に現れてきますと良くないのです。今の文明は非常に危ない状態になっているのです。
宗教ではない聖書を正しく勉強しますと、天地創造の根源が分かるのです。人間が何のためにこの世に現れたのか、神と人間との本質的な関係がどうなっているかが分かるのです。
現在の文明ではこういうことが全然分かっていません。人間存在の実体が魂であることが、全然分かっていないのです。江戸時代までの日本人は、諸行無常という言葉は常識だったのです。今の日本人は諸行無常が全然分かつていないのです。
人間の常識は生活するための道具にはなりますが、自分自身の本質を弁えるためには一切役に立ちません。人間存在の本質は魂ですが、現代人には魂が全く分からないのです。江戸時代までの人にはおぼろげながら分かっていたのです。
良心を知るためには、天地創造がはっきり分からないとだめです。人間が何のために地球上に生まれたのか、一体地球は何のために造られたのかを勉強しないといけないのです。
潜在意識が人間生活に非常に重要な役割を演じています。今の学問は顕在意識の方ばかりを考えていて、潜在意識の開発を全然していません。そのために日本人は人格的に崩壊しつつあるのです。これが一番恐ろしいことなのです。





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最終更新日  June 21, 2011 06:39:03 PM
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