共同通信(17.4~静岡新聞など)原稿は、記者さんによるものです。掲載、4月に静岡新聞など。 「笑顔のチカラ」(4) (写真・右が私。隣に写ってるのは、取材に途中から協力してくれたアツコです。本にも出てきた、仲良しの友達。) ◎乳がんと向き合う22歳/友達との時間も大切に/ 体験生かし新たな活動を 着替えの時ふと右胸のしこりに触れ、乳腺外科クリニックへ。検診の結果は乳がん告知だった。二〇〇三年九月十五日を境に、大原(おおはら)まゆさん(22)=札幌市在住=の日常は大きくカーブしだす。 十日後、同市教育委員会を退職。翌日入院。九月末に手術。春から勤め始めたばかりの職場を辞めることに迷いはなかった。生来の負けず嫌いで「治療に専念した人が勝つ」と確信していた。手術に臨む際、乳房温存か全摘か、切除術の選択について納得ゆくまで主治 医に説明を求めた。 胸を残すより、たとえ1%でも再発率が低いなら全摘を選びたい。生き続けて赤ちゃんを産みたいから。そこにも迷いはなかった。 結果的には、手術後の放射線治療や抗がん剤投与のプロセスを丁寧に説明してくれた医師の勧めで、温存術(部分切除)がとられた。 子どものころ、母親が卵巣がんにかかり現在も闘病中。自分を見失わず病気と向き合えたのは、闘病の“先輩”である母親の影響も 大きい。 「自分も同じ道をたどって、むなしさや再発への不安を感じたり、抗がん剤治療の苦しみを体験したことで、『ああママもこうだっ たんだ』って初めて実感しました」 周囲の人に「若いんだから大丈夫」と気軽に励まされると、善意と分かっていても気持ちがふさいだ。救いになったのは、入院先や インターネット上で知り合った「がん友(とも)」との交流。「病気の情報収集を怠らないで」と前向きの助言をもらったり、患者数 の少ない二十代同士で恋愛の悩みを「ぶっちゃける感じ」でメールし合ったり…。 「乳がんになってよかったとは到底思えない。失ったものも、リスクも大きすぎるから。でも、一生の出会いに恵まれたと思います」 患者会の会報執筆などに取り組む一方、中学時代からの友人たちと遊びに出掛けることも。「患者になりきらないための大切な時間。 昔からの友達は、私を病気とも思ってないようなところがかえってありがたい」 同い年の旧友、清水敦子(しみず・あつこ)さんは毎日、大原さんの個人ウェブサイトを開いて「日記」を読む。「たまに更新されて ないと、何してるんだろう?と心配になりますね」 大原さんがスープカレーを楽しみに行くカフェに、雑誌などと並んで彼女の闘病記「おっぱいの詩(うた)」(講談社)が置いてあ る。カフェを営む元教員の名主川繭子(なぬしがわ・まゆこ)さんは「おしゃれをちゃんと楽しむごく普通のお嬢さん。人にパワーを 分け与えながらどんどんきれいになってますね」。 二十一歳でスタートした闘病生活は今年九月で手術後二年の節目を迎える。「再発や転移をしっかり抑え、丸二年を乗り切ることが 当面の目標。その後はこの体験を生かしたカウンセリングとか、医療の現場に患者の気持ちを伝えていく新しい活動をしてみたい」 |