テーマ:最近観た映画。(38846)
カテゴリ:映画を観て感じたこと
これは実話を元に描かれているとはいえ、制作者の中に実際の現場を見たものはいない。
フィクションである 戦後を自虐史観で洗脳された日本人や右翼の日本人が監督するのと アメリカ人であるイーストウッドが監督するのは、どちらが正確な描写が出来るか? どちらにも正確な描写など出来ない 偏見と思われていることも史実に照らせば「なるほどね」とうなずけることもあるからだ 日本人にも様々な人がいるように、アメリカ人にも様々な人がいる そのなかの個人が自分の描きたいように描いた描写が、歴史事実と寸分たがわずということは、ありえないだろう また、実際の体験者に話を聞いたとしてもそれはその人の「感想」である 全体を眺める「俯瞰」で見つめる視線ではない 人の記憶とは、その人の目から見た一部分の真実 もしくはそう思いたい真実でしかない そうすると「客観性」とは何か?という難しい話になるので略 つまり、個人が演出したもの=フィクションである ということを前提に感想を話したいと思う 一言で言うと 「怖い映画だった」 音の処理が凄い! あんなに爆音や火器の発射音が怖いと思ったことはない さすがミュージシャンでもある(サントラも作曲している)イーストウッドのこだわりだろう エコーの処理、あくまでも乾き、殺伐とした音 戦闘シーンは、細かい音の処理と大画面の迫力&カット割で、体の内側からざわざわと悪寒がたちのぼる 非常に怖いシーンの連続である 日本人の?メンタリティーの怖さもひしひしと伝わってくる 細かく書いてしまうといけないと思うので簡単に 上官が、兵隊たちに向かって自決を強制するシーンがある 兵隊たちは上官の命令=絶対=逆らう奴がいないから従うしかない 上官の気持=俺は国のためを思っている=天皇陛下の意思だ=それは俺の意思だ=俺の意思は天皇の意思だ と錯覚してしまっている だから、あの状況下で人に「自殺しなければ俺が殺すぞ」 ということが強制できる さらには「死なばもろともだ」という意識も上官にはあったであろう さらにつきつめると 「俺が死にたいの、だからお前らも死ぬの!だって俺が決めたの!」 というジャイアンも吃驚仰天のわがままぶりで人を人とは思えないメンタリティーが形成される だが!ちょっと待て! これって良くある日本人の怖い上官の描写のまんまじゃないか? こんな幼稚な大人が人の上に立ってもいいのか? 渡辺謙さん演じる「栗林」は魅力的な男だ なぜか? それは「非常時」に「平常心」を保っているからだ 「体罰」や「人を思わない連続した労働の強制」や「無駄なことをさせない」 という「常識」を常に貫いているからだ 二宮和也さん演じる「西郷」が人間的に写るのも「非常時」に「常識」を保っているからだ 死にたくない。日本に生きて帰りたい。また妻に会いたい。 と自己に正直なままであるから共感を抱ける 自分を偽るものに共感など抱けない 「公」の意識は大切だがその原点はあくまで正しい常識的な「個」の意識の延長線上に無ければならない 錯覚の「公」の意識が悲劇を生む まあ、仕事でも何でも「バカ上司」についたら大損するということですね 損をしないためには「バカ」を説得して軌道修正をしないといけない 日本の首相、大臣もバカばっかりです なんで、自国を売るような朝日新聞の記事を鵜呑みにした中国や韓国に機嫌を損ねられたからって、充分な検証もせずにすぐに謝ってしまったのか? 日本人としてのプライドが無いのかと バカを選んだのは国民ということになっていますが 本当かね? 話がだいぶ横道にそれましたが 私が「硫黄島からの手紙」をみて一番感じたことは 「非常時に平常心でいることがいかに大切か」 ということです ミュージシャンKirie'sホームページ オモロイ坊主こと藤川 チンナワンソ 和尚のヴィパッサナー瞑想指導動画&癒しの詩 ヒーリングスウィート 心癒しの書道家「清正」のブログ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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