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私の好きなものをフリーページで紹介しています。
photo by こねこ 宮城ねこの日記 [全406件]
聞いた話や、自分が、思ったことを溜め込まないで出したいです。 歯医者さんの話 4月の初め 身元確認のため なくなった方の歯型を調べて欲しいと依頼があり南三陸町へ。 ガソリンも無く、ふたり組でとの依頼だったので、 もうひとりと相乗りして現場へ。 ひとつひとつ 清められていて、きれいな状態で見ることが出来たそうです。 女川の方の話 仙台在住の方。 取引先のメーカーさん。 娘さんが学校に合格し、女川の実家から 「お祝いあげるから取りにおいで」 って言われて、女川に娘さんだけ行ってました。 メーカーさんは地震の当日、女川に向かったそうです。 夜にたどり着き、壊滅した、何も無い町を見ました。 自衛隊の人に避難所に案内してもらい、家族の無事を確認。 (娘さん、両親) 娘さんを連れてすぐ仙台に帰ることに。 ご両親は、お父さんが女川を離れない、というのでそのまま。 津波のとき、娘さんは祖父母の手をとり高台へ。 娘さんのとっさの判断が無ければおばあさんの命は無かったかも。 娘さんは流されていく人々の光景を見たようです。 おじいさんは車を取りに戻り、乗ったところで流され、 ドアを開け、うまく車の屋根に乗ることが出来ました。 そのまま何時間もたった後、自衛隊の方に助けられたそう。 仙台に帰る道すがら、 なくなった方々を毛布やシートに包み運んでいる人があちこち。 そのまま通り過ぎることは出来ず、自分も車から降り、 一緒に何体も運びました。 多賀城の方の話 ライフラインが止まり、指定の避難所に。 津波にあって濡れてる方も。 300人ほど集まったようです。 なのにトイレは6つ。 ポータブルトイレを持ち寄り。 誰かが自家発電を持ち込み、農家の方が玄米を差し入れ、精米。 おにぎり1個ずつ。 次の日から若い方が自宅の片付けに戻ることも。 いない人の分は配給が出ませんでした (量が足りなくて出来なかった) それを言うのは、この話をしてくれた方。 保育所の園長を勤めた方なので、リーダーを任されたそうなんです。 「憎まれ役」って嘆いてました。 津波にあった家の片づけをしていて、ひっぱると腕だったり なくなった方が家に入っている家もあったそうです。 東仙台の方の話 近くの小学校に避難。 校庭の下は巨大な貯水タンクだった。 そのとき初めて知った。 避難している方々が交代で、足こぎポンプで水をくみ上げた。 私の見た田園風景 南部道路(高速道)から見る風景はいつもの年とは違っていた。 田園地帯のはずだが、水が溜まり 5月には、津波がここまで来たと確認される、 潮のにおいがぷんぷん匂ってきた。 塩害のため、稲を作付け出来ず、一面枯れた雑草で茶色。 この盛り土構造の道路で津波が食い止められ、 道路のあちら側とこちら側ではまったく別世界。 こちら側は日常の風景。 内陸部を走る東北本線から見る5月の風景はいつも通りの 稲穂の緑のじゅうたんが広がる。 さやさやと揺れる穂波を見て、 こんな当たり前の風景に、胸が締め付けられる。 秋、収穫のとき。 流れる防災無線の放送の内容もいつもと違う。 「放射性物質の検査があるので、終了するまで出荷をしないでください」 「検査の結果、放射性物質は検出されませんでした。 出荷制限を解除します」 去年までは、放送の内容は「カメムシに注意」くらいだったのに。 補足 塩害に強い綿花や、塩トマトの栽培が試されていたようです。 |一覧|宮城ねこさんのお買い物 |
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