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PLAYWORKS岸井大輔ブログ

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2004.06.08
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カテゴリ:カテゴリ未分類
市川ポタライブ稽古。コースの大枠など決まる。

***
さて、建築中の我が家。(詳しくは、6月2日の日記参照)

みんな、遊びに来てね!といいつつ、なかなかオープンハウスの企画を立てないできました。すんません。

と、いいつつ、土日は、7月いっぱいまで、予定があるので、

6月30日(水)
8月7日(土)

の2日間で、予約が2人以上はいったら、やります。
といっても、うちに僕がいて、宮大工さんが工事していて、あとはまあ、食事は出します。

おいでませ。来たいという方は、希望日と人数をメールにてお送りください。

お待ちしています。



***

人間と人の生成と消滅―1(演劇の形式化 2004 3-1 6月7日の日記の続き)

では、まず具体的に、人間の生成と消滅について検討してみたい。
出産は、人間の生成であることが多い。子供が生まれることによって、ある人間は、母親として生成し、子供はその母親の子供として生成する。母親が、赤子を子供であると認知するというコミュニケーションや、子供の側からの生理的欲求に答えるというコミュニケーションもある。その結果、母子という集団が成立する。
死も、多く、人間の消滅である。死にいく人とのコミュニケーションが、そこで永遠に奪われ、死を認識したものは、決定的に変形し、正確には、消滅し、自殺などしなければ、再び生成する。ここで、死者を失った人々は、死に対する体験などによってコミュニケーションが成立し、集団が生成する。
しかし、人の生死においても、人間が生成・消滅しないときもある。もはや意識を無くした人が、誰も知らないところで、誰にも知られずにひっそりと心臓の機能を停止させたとすれば、それは人の死であっても、人間の消滅ではない。コミュニケーションの不成立も無いし、集団を消滅・生成させることもない。また、父親が知らないところで生まれた子供は父親を父親として生成させない。もちろん、知ったとしても、人間が消滅・生成しないこともあるであろうし、これは母親も同様である。いや、たとえ、血がつながっていなかったとしても、人の生成によって、人間が生成・消滅されることもあるであろう。
従って、人の生死、すなわち生成と消滅は、人間の生成・消滅にとって象徴的であっても、典型的ではないといえる。コミュニケーションの成立・不成立、集団の生成・消滅が問題なのだから、他者との関係の生成と消滅が、問題なのだ。

***

間奏・3-1に寄せ、演劇への配慮

しかし、人の生成と消滅に関わる、人間の生成と消滅こそ、基本的な儀式である、結婚と葬式の、従って、悲劇と喜劇の発生の源である。だから、人の生と死が、どのように人間に影響を与えるかを形式的に考えることは、私達の目標のひとつとなるであろう。
人の生死の問題について、もう2回論じた後に、この問題を扱う予定である。

現時点でこのシリーズを読んでいる皆様。ちょっと面白くなってきましたね。でも、今回のテーマの山は、6月13日以後。もうちょっとお付き合いください。





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Last updated  2004.06.09 12:52:15


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