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来年のハルサキに向けての取材でお花見
*** ディスコグラフィー 2 『Potalive 市川編 vol.1 「うみをまつ」』 初演 2004年1月16日 再演 2004年2月22日 三演 2005年3月15日・16日 四演予定 2005年5月28日29日15時市川駅待ち合わせ ポタライブで、初めて会話劇をやれた作品。 会話劇、というのは、今演劇を考えるときの基本のように言われるが、 実は、「会話が成立するための場」があって初めて成立する。 たとえば、今の一般的にいう、演劇の「会話」は、劇場という前提がある。 お客さんが、暗闇で、息を凝らして、明るいところにいる登場人物を観る、という構造だ。 ポタライブの目的は、演劇の形式化のために、劇場を無効にすること、だった。 もちろん、とたんに、会話がかけなくなった。 会話などなくとも、演劇は成立する。(歌舞伎の舞踊ものとか、伎楽とか、かなりいい演劇だ) そして、しかし、会話こそ、演劇の醍醐味である。 劇場以外にも、いろいろな方法で、会話は成立させられてきたことも学んだ。 音楽、という手法は広く用いられる。インド古典劇とか能楽とか。 意味内容の強烈さ、という手もある。絶叫するように会話することが当たり前となる状況があればいい。ギリシャ悲劇とか。(ギリシャ悲劇は、アガメムノンで登場人物を2人にすることに初めて成功する。会話への憧れにおける、悲劇の誕生、ということです) ゾラとかイプセンが、会話を成立させるために仕込んだのは、感情というリアリティだった。 で、ポタライブで、会話はどうやって成立するのか。 僕は、「向こうから話しかけられてしまうことによって」だと思っている。 わかりやすくいえば、 まちが、こちらに、なんか言わざるを得ないシチュエーションを作れば、 それに応答せざるを得なくなり、会話が成立する。 それをフィクションでやればいいんだ、ということに気がついた。 で、町の歴史を、地元の人がとても大事にしている場所で、執拗に繰り返し、 町のお化けに話しかけさせる、という状況を作ってみた。 もちろん、町のお化けは、俳優が演じるのだけれど、この俳優は、ただ、町に移入するだけでいい。 外から来た僕らが、それに、必死に答えてみせる。 そういう会話、だ。 この手法に気がついてから、しばらく、うかれて、同じ構造の会話劇を何個か作った。ふねのはなしはないしょのまつり、とか、泡、とか。 会話の内容が問題ではない。会話、というのは、いつも、驚きと不安の中をわたる細い綱を隠し持っているということが問題なのだ。その綱こそが、演劇の身体である。 ということで、ポタライブで会話劇をするための、別の方法も考えているところである。 まあ、自分では、ある会話の誕生の作品なので、すばらしいとおもっている。連歌から能楽が、デティランボラスから悲劇が、オペラから自然主義演劇が分娩された瞬間と同じことを、現在進行形で見れる作品なので、観に来たほうが良いと思う。もったいないので。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005.04.02 12:27:44
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