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法金剛院は、京都市右京区花園にある律宗の寺院です。
山号を五位山と称します。 本尊は阿弥陀如来、開基(創立者)は待賢門院とされます。 花の寺としても知られていますが、とりわけ蓮の名所として名高いです。 ”京の古寺から9 法金剛院”(1995年7月 淡交社刊 河合戒本/水野克比古著)を読みました。 多くの古仏を伝え、平安時代の浄土式庭園を残す寺として知られ法金剛院を写真と文章で紹介しています。 著者の川井戎本さんは、法金剛院住職で、1922年奈良県生まれ。 龍谷大学文学部卒業。 1952年法金剛院住職となり、現在に至る。 奈良の唐招捏寺牟尼蔵院住職を兼務。 水野克比古さんは、1941年京都市上京区生まれ。 1964年同志社大学文学部卒業。 1969年から、フリーランス・フォトグラフアーとして、日本の伝統文化を深く見つめ、京都の風物を題材とした撮影に取り組んできました。 法金剛院は、古くから名勝の地として知られる双ヶ丘の東麓にあります。 付近には妙心寺、仁和寺などの著名寺院や史跡も多いです。 この地には平安初期の貴族・清原夏野(782年 - 837年)の山荘があり、夏野の死後、山荘を寺に改めたものが当寺の前身であるといいます。 858年、文徳天皇の発願で伽藍を建立し、天安寺と称しました。 その後、寺運は衰えたようですが、3世紀ほど経た平安末期の1130年、待賢門院(1101年 - 1145年)により再興されました。 待賢門院は藤原氏の出身で、鳥羽天皇中宮で、崇徳天皇、後白河天皇の母です。 最盛期の法金剛院には九体阿弥陀堂、丈六阿弥陀堂、待賢門院の御所などが立ち並んでいたといいます。 庭園は数少ない平安時代の庭で、名勝です。 桜、蓮、紅葉など四季折々に美しく、その美観は西行の歌にも詠まれました。 西行が美貌の待賢門院を深く思慕していたことも知られています。 本尊の阿弥陀如来は藤原時代の代表作で重文です。 十一面観音、地蔵菩薩、僧形文殊菩薩も重文です。 京の古寺から(9) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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