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![]() さきの冬の寒さで枯れてしまったのかと、一旦は思っていたブーゲンビレアが、1週間ほど前から、ピンクの花を咲かせている。 南米の原産とか。わが家の庭のこの1立米くらいが南米ムード。7月に始まる『南米選手権 コパ・アメリカ』記念?
![]() 今、銀梅花(マートル)の花盛り。 もとからあった地植えの1本の実が、、すぐ横の鉢に落ちて実生となって育っていたのが、今年は花をつけたり、結構なこと。 今年は、ツボミの数が多いように思ったので、期待して、咲き揃ったころに写真を撮りたいなどと欲を出したのだが、花にも都合があるのか、早くしおれたり、開ききるとすぐに黄色く変色したりするので、うまくいかない。この写真も、結局は、5日ほど前に撮ったものから選んだ次第。
ストケシア(瑠璃菊)の花盛り。 のぞきこんでいると、小さな虫が一匹。 アブラムシの一種? ![]()
1週間ばかり前のこと。気になっていたN先生への手紙をやっと投函した。N先生は、近くの学校の前の校長先生。5月に開いた新旧校長歓送迎会の礼状をいただいていたのに、返事を出せないでいたもの。 近年、まず手紙を出さなくなった。用事があれば、メールか電話が当たり前。その前、最後にに手紙を出したのは、相手も内容も思い出せないくらい前のこと。わが家の郵便受に入る郵便物にしても、封書のうちで最も多いのはカード会社からの請求書のようだし、ハガキにしても、年賀状を別とすれば、多くは飲食チェーンからの優待券付きハガキ。 横書きの便箋を出してきて、万年筆で書き始めたのだが、内容がまとまらないし、文字の不ぞろいやヘタさ加減が気になって、便箋を何枚無駄にしたことか。そのうち、他のことに気を取られたり、根気が続かなくなったりしながら日が経っていく。 PCを使うことを考えなかったわけではないのだが、返事を出そうとしているN先生からの手紙が、まさに手書きであったので、こちらも手書きが当然と考えたのであろう。いつまでたっても成果物ができない焦燥感、挫折感が強くなり始めてしばらく経って、「そうだ!PCだ!PCでいいんだ!」と思いついた。 あとは、ぺージレイアウトさえ決めれば、まさに一瀉千里!書きたいことが、次々と湧いてきて、便せん3枚の大作が仕上がるまでにさほどの時間はかからなかった。プリントアウトし、日付と宛名と名前を万年筆で書き、封筒を整えれば完了。半月遅れくらいの返信になってしまって、N先生には申し訳のないことではあるが、出さないよりは、ずっとマシ。歩いて5分ほどのポストまでの足取りの軽かったこと。 手書きか、ワープロか?でいえば、昔からボクは、断然、ワープロ派である。しかも、このtoolは、気力と時間に制約のあるボクたち老人の友である、とは言い過ぎだろうか?
4月末に孫娘のピアノの発表会で東京多摩NTの長男宅へ行ったとき、「近く転勤する。単身赴任になりそう。」という話があった。孫が高校と中学へ進学したばかりだし、単身赴任もやむを得まいなどなどの会話があって、気にはなりながら大阪へ帰った。 そしてその1週間くらいあと、「〇〇に決まりました。」とのメールが入った。〇〇というのは、わが家から地下鉄で30分くらいの大阪市内のビジネス街の一角。その日の夕方には、長男のおヨメさんから「お世話になります。」との電話。結局、わが家へ長男が単身転居して、〇〇へ通勤することになり、ボクは、二つ使っていた洋服ダンスの一つを明け渡したのである。 今日で第1週が経過することになるが、「親子水入らず」にしては、少々、他人行儀のようなところがあるのも仕方がないと思う。20年以上も別々に住んでいれば、生活習慣も違ってきているし、何より、朝の時間がほぼ1時間、早く始まる。老夫婦二人で近場へ一泊旅行というのも、当面は無理みたい。ハテサテ・・・・・。
中学校で3年間、同じクラスだったK子さんが亡くなって、ご子息が牧師を務める教会で行われた前夜式に出席した。 終戦から3年後、大阪の四天王寺の隣にあった中学校でのこと。たしか、1年生の3学期に、間借りしていた小学校の講堂で行われた学芸会?で、ボクはK子さんと『漫才』を演じた記憶がある。その日、ボクは寸劇にも出た。こちらはS郎クンと一緒だった。内容を思い出すことはできないのだが、『漫才』では、K子さんとの掛け合いの中で、ボク自身の服装のことを、おどけて「ネマキやでェー!」と言ったこと、S郎クンとの寸劇の中で、ボクが「なんだか暗くなって怖いなー。」と言ったことは覚えている。 肝心のことは、その当時のボクはかなりの言語障害(吃音)を持って苦しんでいて、その中学校へ来ていた大阪学芸大学の教育実習生のS先生が、ボクの障害の治療法として、舞台の上でボクにセリフをしゃべらせ自信をつけさせようとしたのだろうということ。練習を重ねて当日、ボクは、S先生の期待どおり、ほとんどよどみなくセリフをしゃべったはずである。Kさんも、S郎クンも、多分気にしていなかったのではないだろうか? もちろんその程度のことで矯正完治?するわけではなく、授業中に立ち往生するようなことがあったし、大学のゼミでの輪読もうまくいかなかった。からかわれるのが嫌だったことはもちろん、教師や弁護士、車掌、営業マンといった発声が基礎にある進路を考えることはできなかったし、思い出したくもないような日々だった。 でも、わずかにせよ、漫才と舞台経験のおかげでか、高校でも大学でも、工夫をすれば、自治会活動などで演説に近いようなことをこなすに、さほど苦労もしなかったし、うつむいたり、萎縮したりしてはいられないことに気づき、また、年齢を重ねるほどに、やがて自分でも意識せずに済むようになり、99%程度、不自由のない状態で過ごせるようになってずいぶん永い。 遺影の前で讃美歌を歌いながら、60年あまり前に、漫才の相方を務めてもらったK子さんに、「実は・・・・・。」と心の中でお礼をつぶやいたつもりである。
白いシランの花が、今、盛り。その下に、ヒメツルソバの白とピンクの花が咲いている。少し前には、鉢植えのサツキの白い花が、つつじの白と並んでいたし、今も咲き続けている紫やピンクのオダマキも、下からのぞいてみれば白い花ともいえよう。 季節が移り変わる中で、風邪をひいてしまった様子。少し熱もあるし、体がダルイ。 ![]() |一覧| |