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Jun 27, 2011
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基本的人権とは何か

人間の霊魂という観点から言いますと、基本的人権というのは、はっきり間違っています。どこが間違っているかといいますと、これは現世に生きていることだけが人間だという思想だからです。
現世に生きている姿だけで人間を考えますと、基本的人権は正しいでしょう。差別や階級があることをけしからんというのですから、一般大衆から見れば、この思想は正しいのです。
ところが人間は、現世に生きている間だけではないのです。絶対という角度から考えれば、人間の考える善は、必ずしも善ではないのです。
釈尊は、五薀皆空と言っています。色即是空、究竟涅槃といっています。この考え方は、人間から見るととんでもないことでしょう。しかし人間の命の本質は、過去、現在、未来という三世にわたって考えなければならないのです。現世で魂の勉強をすることが、この世に生まれてきた目的なのです。
基本的人権という考えは、人間を現世に釘づけにしてしまう考えなのです。現世の生活という一点に人間を釘づけにしてしまう、ユダヤ主義的な考えなのです。これが、ユダヤ教という宗教の非常の悪い点なのです。ユダヤ教が、文明に化けて現われている。そこが現代文明の悪いところなのです。
こういうことは、人間存在の本当の原理について、深い勉強をすれば分かることです。要するに、現代文明はスケールが小さいのです。この文明は、現在、非常に危険な状態にあります。まかり間違えば、地球そのものが、崩壊する恐れさえあるのです。
なぜこんな文明ができてしまったのかといいますと、命のことを考えずに、現在生きている、自分の利害得失だけを考えてきたからです。
人間は、この世に生きていることだけが目的ではないのです。これを皆がよく分かっていれば、人類共通の場ができます。
人間がこの世に生きていることは、非常に大きい意味を持っています。現在の人間は、過去、現在、未来の三世の一部を生きていることに過ぎません。現世に生きていることだけが人間ではないということを、まず考える必要があります。
日本人が持っている性癖の悪さがあります。また、日本という国は伝統的に、非常に
現世主義です。八百万の神々というのは、現世に生きている問のことばかりを言っているのです。山の神さんとか、商売の神さん、安産の神さん、受験の神さんもあります。現世の人間の生活の世話をすることが、八百万の神々の役目のようになっていますけれど、それは本当の意味での永遠の神ではないのです。絶対の神ではないのです。
日本人は、絶対とは何かということが分かっていないのです。仏教では「如来」といいますが、如来の正体の説明ができないのです。大日如来とは何者なのか、如来はどこで何をしているのか、如来と人間との関係の説明は、仏教ではできないのですが、聖書をよく読んでいきますと、これがだんだん分かってくるのです。
日本人の一番悪いところは、聖書に対して拒否反応を持っていることです。キリスト教は、どこまでも、欧米の宗教です。キリスト教では、聖書を正しく読まずに、キリスト教の教義に従って聖書を読んでいるために、神のことがよく分かっていません。欧米社会の中では、それでもいいと思いますが、日本では通用しないのです。その意味で、キリスト教を嫌っている日本人こそは、宗教ではない聖書が、本当に分かるべき民族といえるのです。
日本人は、あくまでキリシタンバテレンがいやなのです。だから、キリシタンバテレンではない本当の聖書、神の言葉である聖書、命そのものを説いている聖書を勉強して頂きたいのです。
人間は、現世に生きている間だけが命ではありません。現世に生きていても、必ず死にますが、死んだら魂はどうなるのか? そこでどうしても魂の勉強をしなければならないのです。
仏教の勉強を、いくらしてもだめです。いわゆる大乗仏教には、魂という言葉がないのですから。だから、魂の説明をしようがないのです。
仏教には神がないから、これは当たり前ともいえます。無神だから、無霊魂になるのです。仏教には仏教なりにいいところもあるのですが、端的に言いますと、命が分からないということになるでしょう。
実は、私たちの心臓が動いていることそのものが、神なのです。これが「絶対」なのです。生きていることは絶対です。私たちが人間であることも、相対ではなく絶対です。ところが、人間であることの意味を、日本人は説明できないのです。
一体、なぜ地球が存在しているのかということです。天地の創造ということが、日本人にはまったく分かっていない。
日本人はキリスト教を排斥しましたが、ついでに聖書も排斥してしまいました。その結果、心臓が動いていることが神だという事実を知る方法がなくなってしまったのです。そこで、宗教ではない聖書を提唱する必要があるわけです。



イエスの復活に反対するユダヤ人学者達

この世の常識というのは非常に無責任なもので、私たちがいくら常識を信頼してみても、命の責任は誰も持ってはくれないのです。
日本人は、先祖代々、常識ばかりで生きてきたので、皆死んでしまいました。現在の文明は、死んでしまった人間がつくり上げたようなものなのです。本当のことを考えないように、制限してきたのです。
しかし、イエス・キリストが死を破ったのは、歴史的事実なのです。歴史的に実現した事実であって、単なる宗教上の話ではないから、今年は2007年だというように、その時から西暦が定められたわけです。
西暦紀元とはキリスト紀元のことで、キリストが死を破って、人間は死ぬものではないことが歴史的に証明されたために、暦年算定の基礎になったという、事実があるのです。だから、イエス・キリストの復活は、学問の対象にしなければならないことなのです。
復活が学問の中心的なテーマになれば、人間が死なないものであることが、世界的に明らかになるのですが、これを妨害しているのがユダヤ人なのです。
ユダヤ人たちは、もしイエスの復活を信じることになると、彼ら自身の宗教観念が叩き壊されてしまうので、これを信じようとしないのです。自分たちが信じたくないだけならいいのですが、学理学説の名において、自分たちの常識を理論的に流して、全世界の人間にイエスの復活を信じないようにさせているから始末が悪いのです。
現在の世界中の学理的な原理は、ほとんどユダヤ人学者がつくつたものです。例えば、ノーベル賞をもらうと、日本の学者は喜びます。政治家でも、小説家でも、非常に喜ぶのです。しかし、ノーベルはユダヤ人です。ユダヤ人に賞をもらうことが、なぜ嬉しいのでしょうか。
世界文明全体が、ユダヤ人によって握られているのです。世界の政治の内容や、経済的な内容がどうなっているのかというのは知る人ぞ知る話で、世界歴史の流れにしても、一つの謎なのです。しかしそれには、致命的な欠陥があります。
今の文明は間違っているのです。人間が死んでいくことを認めているのです。人間が死んでいくことを認めている文明は、人間のためになるものではありません。生活のためにはなるが、命のためにはならないのです。
現代人は、生活のことには一生懸命ですが、命のことを考えていないのです。考えられないように、この世によって仕向けられているのです。この世によって魂がつかまえられているのを叩き破らなければなりません。常識、宗教観念、文明意識というものが間違っています。学問が間違っているからです。今の学問は、現世における生活の知恵に過ぎません。現世の生活という観点からだけ考えれば、今の科学や哲学や政治でも充分間に合うのですが、永遠の命という点から考えるなら、まったく役に立たないのです。
人間には死んでからの世界があります。そればかりか、生まれるまでの世界もあって、この世界へ生まれてきたのです。生まれて「来た」、死んで「行く」というではありませんか。死んだらどこかへ行くことにきまっているのです。現世だけが人生ではないということを、よく考える必要があるのです。



神と人の恋愛





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最終更新日  Jun 27, 2011 06:52:27 PM
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