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鎌倉橋残日録  ~井本省吾のOB記者日誌~

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2013.11.06
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カテゴリ:日本・日本人
 <日本民族の資質は極端に権力に弱く、権力者に徹底的に媚びることによって生存を図る。異国の支配者に対して団結して抵抗できず、変わり身早く権力にすり寄る。そうした日本民族が亡びることはないが、その代わり日本の文化伝統はめちゃめちゃになる。それを気にしないのが日本民族なのである>

 「逆境に生きた日本人」の著者、鈴木敏明氏の分析である。

 では、なぜそうなるのか。良く指摘されるように、日本人には西洋のキリスト教や中東のイスラム教のような絶対の神が存在しないからではないだろうか。

 日本人は目に見えぬ抽象的な神の存在を、あまり信用しない。あるいは望まない。戦国時代以降、時代を超えて多くの宣教師が来日したのに、日本にキリスト教が根付かず、信者が一定以上に増えないのはそのためだろう。

 その代わり、山川草木に精霊の存在を感じ、大きな岩や巨木にしめ縄を飾り、お参りしたりする。永年の自然信仰が神道として結実し、神社が生まれ、四季折々に参詣するようになった。

 だが、一神教とは異なり、その自然信仰は素朴で穏やかで、それゆえに強い信念を生み出すことはない。

 日本人が実際の生活で従属するのは、目に見える支配者だ。各地の大名、豪族、あるいは大地主である。特に信頼し、敬意を持って従うのは人徳と慈悲を備え、かつ自分たちを守ってくれる強い武力を保持したリーダーである。

 なぜか。人々が求めるのは生活の安定、安心、平和だからだ。強いリーダーはそれを保証してくれる。強いリーダーのもとで団結し、勤勉に働き、企業や国を発展させてきた。

 そんなことは日本人に限らず、どの国の民族での大同小異ではないか?

 その通りである。しかし、神無き里の日本民族はこの傾向が強いのだ。企業でも創業型のオーナー経営者のもとで一致団結、オーナーの迅速、的確な指示で成長し、強固な経営基盤を築いている会社は多い。

 だが、後継者に恵まれず、能力不足の二代目が後を継ぐと、次第に経営が傾き、幹部たちは離れて行き、倒産に至ったり、他の企業に買収されることが少なくない。

 優秀な番頭が後を継いだ場合は、経営が持続する。その番頭による新しいリーダーシップのもとに統率が保たれるからである。ただ、後を継いだ番頭が力不足だと派閥争いが繰り返され、行き過ぎて経営がおろそかになって、これまた衰退の道をたどる例も目立つ。

 強いリーダーのもとでは社員は団結するが、リーダーが弱いと派閥争いとなって団結しない。そこを見透かされて他のオーナー経営者に買収されると、今度はその経営者に従う。

 この民族的資質がシベリアの捕虜収容所や、戦後のGHQの支配のもとで表面化したのではないか。前回のブログで、鈴木氏が引用した米MIT教授ジョン・ダワー氏の書いた「敗北を抱きしめて」の一節を孫引きした。

 <ある青森県の老人は「昔は朝な夕なに天皇陛下のご真影を神様のようにあがめ奉ったものですが、いまはマッカーサー元帥のお姿に向かってそう致して居ります」と(手紙に)書いている>

 敗戦により、天皇陛下の権威が揺らぎ、自分たちを守り、導いてくれるリーダーがいなくなり、占領軍に弾圧されるのではないかと、人々の間に不安と恐怖心が広がっていた。次の支配者にいち早く擦り寄り、その統治のもとで安寧を得たいと考えたのだろう。

 従属の姿勢を示すことで占領軍の圧制や暴力を受けないようにし、安心と平和を得たい。その気持ちが卑屈と思える手紙の乱発を生んだのである。
 
 そもそも江戸時代は、徳川将軍が安心と平和のよりどころだった。天皇は京都にあって、天照大神の子孫として大自然に祈りをささげる主宰者であった。自然信仰者たる日本民族の心の拠り所ではあるが、武力をもって安寧秩序を維持する存在ではない。

 しかし、幕末に至って、アメリカなど列強の開国要求の前に徳川幕府の権勢が衰えると、薩長軍が天皇の権威を盛り立てた。天皇が自然信仰の主宰者としてだけでなく、国家のリーダー、元首として浮上した。薩長を中心とする明治政府は天皇を神格化することで、支配を確立した。

 国民は神格化した天皇のもとで安心し、従属した。その拠り所が敗戦によって揺らいだ。不安を除去するために新リーダーであるマッカーサーに媚を売ったのだ。

 神を心の支えにする欧米人は新支配者に対して、容易に屈服しない。捕虜になってもお互いに神を心に抱いていることを知っているから、団結して抵抗できる。シベリアにおけるドイツの捕虜のように。しかし、神なき日本人は日本軍の統率が無くなると、従属の対象を失い、不安に駆られる。その心の隙間にソ連が共産主義を携えて入り込んだ。リーダーがいなければ団結できない日本人はソ連軍の足下になだれを打ってひざまずき、支配されてしまった。そう考えられないだろうか。

 日本人には、もう一つ弱点、欠点がある。集団で弱い者いじめをする心性だ。宿痾ともいうべき、この悪性遺伝子は多くの日本人の中に組み込まれているようだ。昔から村八分などがあったし、学校でも職場でも労組でも軍隊でも、強弱の差こそあれ、集団で弱者をいじめる行動が広く見られる。

 いじめに手を染めず、いじめを嫌悪する日本人も多いが、容易に根絶できない。何かあるとすぐにいじめ癖が広がる。ソ連の捕虜収容所でもその悲劇が繰り返された。

 日本人のいじめや、裏切り、変節をなくすためには信頼できる強い指導者が必要だ。だが、神なき日本人は強い信念を持ちがたく、そのために強い指導者が育たない。リーダーの不在が裏切りを生み、それがまたリーダーを育みにくくさせる悪循環に、日本人は陥りがちなのだろう。

 
「私たち日本人は、変節、裏切りの遺伝子を持つため、変節者や裏切り者には実に寛大だが、石橋湛山のような信念を通す人には冷淡なのです」

 鈴木氏がこう突き放すのも、「逆境に生きた日本人」にあるように、苦い例があまりにも多いからだ。
 ただ、日本人には強い、立派な指導者への熱望はある。鈴木氏が石橋湛山を絶賛するのも、その渇望からではないか。「日本人よ、もっと信念に生きよ。信念の人よ、もっとふえてくれ」と思うからだ。

 実際にも少ないながら湛山のような人は存在している。彼らを軸に明治以来、あるいは戦後の日本は経済を成長させ、また、優れた文化を育んできた。その後に続きたいと考える若人も少なくない。

 私はそこに希望を持っている。多くの弱点を抱えながらも、日本人を信頼している。
 





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Last updated  2013.11.06 08:30:01
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