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lekuchan先生の、
先日の記事にインスパイアされたので、 「お勉強が出来る」=「イメージ力と表現力に富んでいる」と、 普段何となく感じている事について、ちょっと書いてみたい。 イメージ力、 それは変換能力といってもよいだろう。 例えば国語の読解問題なら、 文字で書かれている世界から、 映像や絵画を脳内に創り出すようなことであろうし、 数学においては、 数字や記号で表されているものから、 図やグラフを書き起こしてビジュアル化する、 そのようなことだ。 抽象的なものを具体的なものにする、 そう考えてもらってもいいだろう。 あるカタチのものを、 別のカタチに変換する。 そんな能力はお勉強はもちろんのこと、 世の中のありとあらゆる事象に対して、 役に立つものであると私は考える。 一方、表現力というものだが、 これはイメージ力からもう一歩踏み込んだチカラであろう。 表現をするためには、自らの内部に「表現すべきもの」を蓄える必要があり、 同時に「伝えるべき相手」のことも忖度しなければならないからだ。 相手の望んでいるものを、 相手の望んでいるカタチで伝えられなければ、 それは伝えたことにはならず、 単なる一方的な情報の流れを「表現力」とは断じて呼べない。 (書いていて自分でもやや耳(目)が痛いが・・・) イメージ力は知識の蓄積によって、 表現力は経験の蓄積によって、 ある程度は高めることが出来るのだが、 どちらにしても対象物(あるいは対人)の存在は否定出来ない。 簡単なイメージ力は条件反射的な反復運動を繰り返すことで、 比較的簡単に高める事は出来うるのであろうが、 同時に弊害も起こってくるであろうことは否定出来ない。 (以下、後日に続く、、、、、かも?) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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