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「茜さす 紫野行き 標野行き 野守は見ずや 君が袖振る」
額田王の有名な歌を思い出してしまったのは、 京都の有名な料亭「紫野和久傳」の素敵な頂き物が届いたからです。(^^) 紫野という言葉を久しぶりに目にして、 瞬間的にぼうっと脳裏に浮かんできたのは一人の女の子のこと。 それは僕がまだいたいけな高校生だった頃の話です。 耽美派として夙に有名な谷崎潤一郎、 彼の小説に出てくる女性と同じ名前のその子は、 京都の紫野高校から神奈川の高校へと転校してきました。 僕が初めてその女の子と出会ったのは、 予備校の春期講習を兼ねた合宿セミナー、 まだ肌寒さの残る箱根の地でありました。 合宿セミナーが終わってから僕とその女の子は、 今では半ば死語と化しているような、 「文通友達」になりました。 その頃は今とは違って携帯電話なんて普及していなかったし、 仮にあったとしても当時の僕は今と違って、 まだまだシャイで初心でもあったから。 折しも僕とその女の子は高校3年生、 そう受験生であったわけです。 その女の子は理系で僕は文系、 でも僕たちは二人とも本を読む事が好きでした。 その子は僕のことをほとんど、 ただの友達の一人だと思っていたようで、 それは鈍チンの僕にもさすがにわかってはいました。 だから僕はもちろん、 「好きです」とか「愛してる」なんて、 書くことも言うこともできるはずもなかった。 そう、そんなことを言って、 その子とのささやかで、仄かで、甘酸っぱい、 レモンティーの中に入った角砂糖のような、 かき回したらすぐに壊れてなくなってしまう、 ちっぽけな幸せを壊したくなかったから。 そんなわけで僕とその女の子の、 きわめてプラトニックなお付き合いは続いていった。 本当にとるに足らない話ばかりを、 僕は地雷原を手探りで避けて歩く亀のように、 細心の注意を払いながら進んでいこうとしていた。 僕たち二人の距離はいったいどれだけ縮まっていったのか、 当時の僕にはまったくわからなかったけれど、 その子から届いた手紙を積み重ねたくらいは、 近くなっていたのかもしれない。 結局、僕のオブラートで十重二十重に包まれた、 些かの下心も含んだ淡い恋心が実ることはなかった。 でも、そんなちょっと哀しい出来事も、 いまこうして良い思い出のひとつになっているから、 僕にとってはそれで十分すぎるのかもしれない。 いま僕はとても幸せだから・・・・・・・・・。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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