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ビジネスワンポイントニュース [全149件]
純粋倫理の提唱者・丸山敏雄は、「商業の本道」の中で、 「ただ今あなたのお店のある場所、これこそ『日本広しといえども他に比べる所のない立派な所だ』と強い自信を持ってください。(中略)自分からだめな場所だときめるようなところに、どうして人が入ってきましょう。自ら卑しめる人を、人が卑しむのです。心から愛着を持ち、心から喜んでいるところは、人も自ずから集まってくるというものです」 と述べ、社屋や工場など立地場所についての捉え方・考え方によって、商売の盛衰に関係があることを指摘しています。 人通りは多く、立地条件も問題がないにもかかわらず、次々と店舗が変わっていくテナント。逆に、同じ商店街でも長年にわたり堅実に営業を行なっている店と、じつに様々です。この違いはどこにあるのでしょうか。 堅実に繁盛しているところは、前記引用文にあるように、わが社わが場所に愛着を持ち、喜んで経営していることが繁栄の要因ではないでしょうか。この社屋でこの場所で商売ができるという感謝の心で店を大切にし、より愛着を持ち、その思いが物(社屋など)を大切にするという心です。 それをさらに形として表わすのが、「ありがたい」という感謝の意を込めての清掃です。日本では昔から、店内を美しく磨き、店先に水を打ってからお客様を迎えることが、商売の常道でした。わが社屋、わが店を大切にする心が、清掃という行動につながるのです。 え・栗木 映 なかなか経営が順調にいかないところは、この感謝の清掃が疎かにされていることが伺えます。特に人の目につくところは清掃してあるが、社屋や工場の裏側に回ってみると、腐れかかった廃品が山のように積み上げてあったり、草が生い茂って足の踏み場もない状態のところもあります。 「人の使命は、境(場所)をいよいよ良き境たらしめ、物をいよいよ良き物たらしめるにある。おおよそ地上における人間の努力は、物境不可欠の原理に立って、その成立原理である大調和の相を完(まった)くにするにある」 「居は気をうつすとよく聞きますが、気は境にうつすのであります。気のほうが環境を変えて行くのであります。心が主体である、我が主体でありまして、環境はこれに伴って変わって行くのであります」 丸山敏雄はそのようにも述べています。人の心が環境を変え、人と物とが調和することによって、物は活きてくるのです。 社内外を清掃するということは、単に汚れを取るだけではありません。「この場所、この建物があるおかげで、今日も商売ができる。何とありがたいことか」という感謝の心を体現する方策なのです。 経営者自らが率先して感謝の清掃を始め、ひいては全社員あげて取り組むことにより、場と物はいよいよ光り輝き、対外的な信用や企業発展の原動力となります。そして地域社会になくてはならない企業へと発展していくことでしょう。 「たかが清掃、されど清掃」です。あと一月経つと、新入社員を迎える企業・店舗も多いのではないでしょうか。今一度、社屋や敷地に感謝して日々の清掃に取り組み、清々しい心で四月を迎えましょう。 Last updated 2011.03.02 13:28:54
一月より倫理経営講演会がスタートしました。「トップを支える家庭力」「創生の経営道」の2テーマのもと、「事業体験報告と講演」「活力朝礼の実演と講演」という二つのパターンで進められています。 事業体験報告は、経営者が純粋倫理の体験をベースに経営を進める中で、どのようにチャンスを活かし、どのように苦境を乗り越えてきたか等が語られます。 一方の活力朝礼の実演は、実際に『職場の教養』を活用した朝礼を実施している企業・社員の皆さんが、舞台の上で発表をします。 「活力朝礼」は、社風や社員の資質をさらに向上させる大きな力を秘めており、企業を元気にするパワー源として、倫理研究所ならびに倫理法人会が長年にわたりご提案しているものです。 朝礼がマンネリ化している企業は、次の理由が挙げられるでしょう。 1.朝礼を開催する目的が不明確 2.情報の発信と受信が一方通行 3.スピーチが否定的・暗い・抽象的 4.基本動作が崩れている 5.「やらされている感」が強い。 これでは元気な企業は築けません。活力朝礼を職場に取り入れていくことは、次のような基本的な狙いがあります。 1.全員が参画する。 2.「気」を合わせる。 3.完全燃焼のスタートラインをつくる。 以上の狙いを踏まえた上で、実施のポイントは次の5点です。 1.調和(融合) 2.タイミング(拍子) 3.気合(集中度) 4.洗練(上品さ) 5.独創性(オリジナリティ) 以上の点を踏まえつつ「活力朝礼」を取り入れた企業が、元気な企業として変貌を遂げているのです。 今年度、神奈川県大和市倫理法人会の会長に就任した石井和則氏は、職員35名、園児400名の幼稚園を経営。園長として自ら先頭に立ち、日々「活力朝礼」を実施しています。 石井園長は「活力朝礼を導入する前と後とでは、職員の質に雲泥の差がある」と語ります。「活力朝礼」を導入し職員が基本動作をマスターしてからは、園内に一体感が生じてきました。何よりも、職員の元気のある挨拶や返事が、そのまま園児に反映され、さらには保護者に対しても影響が及んでいるといいます。 自分(石井園長)が変われば、職員が変わり、職員が変われば園児が変わり、園児が変われば保護者(特に母親)が変わって、それぞれの家庭によい影響を及ぼしているのです。石井園長は「私は幼稚園の運営を通して、日本創生を果たしていきます」と力強く宣言しています。 倫理法人会員として「活力朝礼」を導入する企業が増えつつあります。自社の活力をアップさせ、経営を通して「日本創生」を実現させてまいりましょう。 Last updated 2011.01.28 17:50:55
倫理観の崩壊が様々な分野で叫ばれています。倫理研究所では、この倫理観の変容について、これまで2005年と2010年の二度にわたり、25の項目に関して調査を行なってきました。(以下『日本人のゆくえ』倫理研究所刊参照) その結果、この五年間で最も悪化しているのが「他者を尊重すること」でした。つまり、「他人を尊重できない、尊重する状況ではない」という思いが、日本人に強くなってきていると考えられます。この現実は、今の日本人の倫理観に関わるもう一つの危機ともいえる、「絆の喪失」につながっていると予測できます。 他人を大切にしようとする思いやりの気持ちが、人と人との絆を強く結びますが、他者を尊重できにくくなり、思いやりの気持ちが希薄になっていくと、おのずから絆は弱く脆くなってしまうからです。 絆の喪失は大きな問題をはらんでいます。個人としては、他者とのつながり意識が低下すると、孤独に陥り、心は弱くなり、または辛抱ができずキレやすくなります。組織的には、一体感が弱くなり、全体としての力が低下してしまいます。この組織の中で人々の絆が薄れると、たちまちモラル(倫理道徳)は低下し、エゴイズムが強くなり組織は破壊に向かいます。 この負の流れに何としても歯止めをかけ、日本人一人ひとりの意識を変えなければなりません。相手を思いやる気持ちは後天的なものであるため、挨拶や返事なども含めた人を思いやる行為を何度か繰り返すことで体得するか、あるいは他人からの思いやりの行為を受けることで、人を思いやることの大切さを身をもって体験しなければ、自分のものとすることはできないでしょう。 このような、人を尊重し思いやることの大切さを学ぶ道義・道徳教育が、家庭、学校、地域社会で失われて久しくなっている今日、企業はその最後の砦です。 私たちはそれぞれの経歴を以て企業に就職します。社会に出れば、それなりに責任が伴います。しかし充分な道徳教育を受けていないがために、良好な人間関係を築けず、生きがいを見いだせないまま、組織内において確かな力を発揮できずに、挫折しかけている人は無数にいます。それを救い出せるのは、企業をおいて他にありません。 社長の率先垂範と活力朝礼の導入によって、社員と企業が正しく生まれ変わるのが倫理経営の力です。その実践企業を増やすべく、倫理法人会が普及活動を行なう意義がここにあります。相手を思いやる気持ちをベースにした絆を強固にし、日本人本来の力を発揮することは、希望に満ちた日本を創造的に再生する「日本創生」につながっていきます。 今秋十一月、倫理法人会は全国7万社大会を挙行します。7万社の実現によって、倫理法人会活動に賛同し、この国の行く末を真に憂えて立ち上がる「大憂の士」を一人でも多く創出し、日本の危機を打破していきましょう。 Last updated 2011.01.21 11:45:27
経営コンサルタントの山本氏は、多くの思い出の中で、特に心深く刻まれているものがあります。それはある老社長の「号泣する姿」です。 その老社長は、二代目社長として嘱望されていた息子を、不慮の事故で亡くしたのです。老社長は事故の一報を受けた時、いったい我が身に何が起きたのか理解することができませんでした。その後、正確な情報が入ってはきても、その内容を他人事のように聞いていたようです。 ただ、変わり果てた息子の姿を目にした瞬間、抑えに抑えていたものが堰を切って溢れ出しました。遺体になった息子にとりすがり、「この親不孝者! 親を残して先に死にやがって…」と遺体を揺さぶり、「目を覚ませ、目を開けろ」と怒鳴りつけ、最後まで遺体にとりすがって離れようとしないのでした。 その姿を目にした多くの人は、普段の老社長から想像もできない振る舞いであっただけに、老社長の息子を思う親心を垣間見た思いでした。お通夜でも告別式でも、老社長は人前をはばからず泣いて泣いて涙が枯れ尽きるまで泣いたのでした。 四十九日が過ぎ、山本氏は老社長の家を訪ねました。すっかり老けこんだ老社長が山本氏に向かい、「山本さん、もう事業はどうなってもいい。事業を大きくする情熱も、すっかりなくなってしまった。どんなにしゃかりきにやっても、後を継ぐ人間がいないのだから」と寂し気に言いました。さらに「少し息子に厳しすぎましたかね。急ぎすぎ期待をかけすぎましたかね」と弱々しく語ります。 そして「神様はむごいですね。こんな形で息子を取り上げるのですから」と言っては、男泣きに泣くのでした。 「山本さん、あなたは今回のことをどう思いますか。子供を取られるほど私が悪いことをしたと思いますか」 山本氏は老社長を見据え、一言一句を噛み締めるように伝えました。 「社長、この世で起きることはすべて必然であり、偶然はないと言われます。形の上では偶然のように思えることでも、それは起こるべくして起きた事柄と言えましょう。 社長は裸一貫から今の事業を起こされました。たいへん酷な言い方かもしれませんが、努力と情熱と時には何クソという気概があまりに強過ぎ、おそらくあらゆる手を使って事業を拡大してこられたでしょう。その中で多くの恨みも買ってきたはずです。『勝てば官軍、負ければ賊軍』との言葉がありますが、発したものは必ず戻るというのも自然の理です」 老社長は押し黙ったまま、一言ウーンと唸りました。 この世は振り子のようなものです。発したものは、必ず還るといいます。出しただけは、入ってくるともいいます。 恨み、つらみから人を悪しざまに扱えば、人から同じように恨み、つらみを受けるでしょう。人を喜ばせ、楽しませ、人を救い導くと、それは自らに還ってくるでしょう。 還ってくることを計算し、結果を期待する言動は間違っていますが、周囲の多くの人々の幸せを念じ、明るい心を発し続けていきたいものです。人生はまさに振り子です。 Last updated 2011.01.11 15:49:28
宿ると信じ、それを「言霊(言魂)」と表現しました。『万葉集』には「言霊の幸ふ国」とあります。声に出した言葉が現実に何らかの影響を与えるものとして、今日でも不吉な言葉を発すると凶事が起こると言われます。「縁起で日本人は古くから言葉には不思議な力がもない言葉は慎む」や「結婚式では忌み言葉を控える」といった文化は、その名残といえるでしょう。 江戸時代後期に越後出雲崎(現・新潟県三島郡出雲崎町)に生まれ、歌人・漢詩人・書家としても高名な曹洞宗の僧侶・良寛は、現代でも多くの日本人に愛され、親しまれています。 良寛は子供たちを愛し、子供の純真な心こそが誠の仏の心であるとして、彼らと遊ぶことを好みました。ある夕暮れ時にかくれんぼをしていた子供たちは、良寛を探し出せないまま家に帰ったところ、翌朝まで田んぼに隠れていたという、その純真無垢な性格が滲み出るような逸話もあります。 その良寛は、言葉を非常に大事なものと考え、『戒語』として以下のような自戒の言葉を残しています。 「言葉の多き」「口の早き」「話の長き」「表裏口」「口に耳をつけて囁く」「負け惜しみ」「こころにもなきことを言う」「人のことばを笑う」「人惑わしのこと」「憎き心もちて人を叱る」「人の傷つくことを言う」「人の嫌がることを言う」「人の困ることを言う」「人の恥かくことを言う」「人を嫉(ねた)むことを言う」「人に腹立たすことを言う」 「己が得手にかけて言う」「逃げごとを言う」「人のことばを戻し理を非に曲ぐることを言う」「講釈の長き」「手柄・自慢話」「不思議話」「話の腰をおる」「子供に知恵をつける」「親切気にもの言う」「人の話の邪魔をする」「人の隠することをあからさまに言う」「物知り顔に言う」「人に逆らうこと」「人にへつらうこと」「人を侮ること」「よく物の講釈をしたがる」「口をとがらしてもの言う」「口まね」「田舎ものの江戸言葉」「よく知らぬことを憚(はばか)りなく言う」「悟り臭き話」「学者臭き話」「言うこと言わぬ」「人に物くれぬ先に何々やろうと言う」「間の切れぬように物言う」などです。 どれか一つでも二つでも思い当たる部分があれば、戒めるようにしたいものです。 ▽ 昨今は世の中に明るい言葉やプラスの言葉が少なくなり、暗い言葉、マイナスの言葉を多く耳にするようになりました。日本経済が上昇気流に転じる一つのきっかけは、「言葉の持つ力」を十分に活用することにあると言えるでしょう。 良寛は「言語は常に出だし易く、理行は常に虧(か)け易し」(立派な言葉はいつも出しやすいが、道理を身につけて行なうことはいつも実行されにくい)と遺しました。 日頃から、発する一言一言に気を配り、常に前向きな言葉を使いましょう。そして「損得よりも善悪」という日本古来の経営道を心がけて、一経営者として日本を支える務めを果たしていきたいものです。 Last updated 2010.12.27 20:05:33
倫理法人会では、倫理の実践により事業が良くなった体験を語る「経営者の集い」を開催しています。事業体験は、それが異業種であっても、普遍的な生活法則をベースとした貴重な生きた学びです。 ある倫理法人会の「経営者の集い」に、25社35名が集まりました。そこで思いもかけない出会いがあったのです。 お世話役の役員の皆さんは、開催前日まで奔走し、PRに汗を流しました。チラシも作成し、「宣伝の倫理」の実践とばかりに、開催会場周辺の会社に配って回りました。チラシを配った地域に、地元の有力企業のI株式会社がありました。だめで元々という思いでチラシを持っていったのですが、I社長はチラシを見て非常に興味を持ってくれました。そして「経営者の集い」の当日には、社長自身が参加してくれたのです。 I社長は、事業体験を発表するS氏を見るなり、「おー」と声を上げて駆け寄りました。なんとS氏とは、かつて同じ職場で働いた旧知の仲だったのです。25年ぶりの再会でした。S氏は失敗から成功へと駆け上がった苦労人で、現在は倫理を基盤に社会貢献に励む社長として地域では有名です。一方、I社長は有力企業の社長として事業を展開していました。別々の道を歩んだ二人の再開は、まさにドラマのようでした。そしてそれは、一枚のチラシから始まったのです。 この種のドラマは面白いもので、どうやら連鎖反応を起こすようです。 I社長と同じく初めて「経営者の集い」に参加したM社長は、懇親会の席で事務局員のTさんと話をしていました。二人とも初対面のはずですが、妙に話が合います。聞けば家族は前から知り合いだったことがわかりました。急に心理的な距離が近くなり、M社長はいてもたってもいられなくなって、その日のうちに入会を希望したのです。Tさんがよくよく聞くと、〈自分は仕事の都合で経営者モーニングセミナーには出席できないから、入会できないと思っていた〉とのこと。その疑問もTさんの説明ですぐに解消しました。両社長にとって、出会いと縁の深さを感じた初めての「経営者の集い」となったのです。 倫理運動の創始者・丸山敏雄は、このような「縁」について次のように述べています。 さて空中には何もないようだが、親子・夫婦・兄弟・交友・その他の間には無形の紐帯にむすび合わされて社会がつくられているように、心の関係においても十重二十重に、ちょうど電線を引きまわしたように―いや無電の発信機と受信機のように、打てば響くの関係にあって、これは、動植物・機械・器物・その他一切の物・現象に及ぶ。これは空中にある電気の作用を想像すれば、大凡の関係が想像出来る。これを「えにし」(縁)と言う。地縁・血縁という言葉があるが、おもしろい。 (『実験倫理学大系』P82) 人の心とは、磁石のようなものかもしれません。時間や空間を超え、必要な人が必要な時に必要な場へと引き寄せられるのです。縁によって得たつながりは、その後の人生を大きく左右します。誰と出会い、どのような影響を受け、またどのような影響を与えたかによって、自身の社会性が動き出すのです。 どのような出会いが未来に待っているか。それは己自身の心と働きにかかっています。 Last updated 2010.12.27 09:12:43
おおみそか恒例の「第61回NHK紅白歌合戦」に初出場が決まった歌手の植村花菜さん。 デビューして六年になる花菜さんですが、四年前に亡くなった祖母との思い出を幼少時からたどった「トイレの神様」が、今年一番の「泣ける歌」として有線や着うたを中心に注目を浴びました。そしてついに、紅白という夢舞台を掴み取ることができたのです。 「トイレの神様」とはユニークなタイトルですが、花菜さんは七月に同名の著書を発表しています。花菜さんの生い立ちや、祖母から「トイレには女神様がいるから、掃除をするとべっぴんさんになれる」と聞かされたエピソード、そして曲が生まれるまでの誕生秘話が紹介されています。 花菜さんは祖母の「トイレには神様がいて、いつも綺麗に掃除するとべっぴんになれる」という言葉に、人の嫌がることでも自ら率先して実践することで、表情が美しくなるということを感じ取ったといいます。祖母の言葉を信じて、一所懸命にトイレ清掃を実践し、素直に成長したご褒美が曲の大ヒット、紅白出場へとつながったのでしょう。(参考文献『トイレの神様』植村花菜著/宝島社) さて、トイレ掃除には「汚れた所を綺麗にして清潔に保つ」ということだけでなく、「汚れた所を綺麗にする行為を通して、自身の心を磨き浄化する」という意義があります。 経営者のAさんは、トイレ掃除の必要性を痛感し、今までやったこともない社内のトイレ掃除を毎日行なうようになりました。どんどん綺麗になるトイレを見てAさんはとても満足していましたが、ある日の汚れた便器を見て「誰が汚したんだ!」と無性に腹が立ってきました。 このことをある先輩に話したところ、次のように諭されたのです。 「A君、君は何のためにトイレ掃除をしているんだい。ちょっとやったからといって、ずいぶん偉そうな心になっているんじゃないかい。トイレ掃除はあくまで自分の心磨きだよ。汚れがあったら、これは自分の心の汚れと受けとめて、掃除することによって自分自身の心を綺麗にするんだという気持ちが大切だよ」 Aさんはこの先輩のアドバイスにハッとしました。トイレ掃除をちょっと始めただけで、いかにも自分が良いことをしているような錯覚に陥っていました。 便器を汚した人を無意識のうちに責めていました。トイレ掃除はこうした自分の醜い心を浄化する実践であることを肝に銘じたのです。 今年も残り少なくなり、大掃除の頃となりました。一年の締めくくりとして、お世話になった様々な物への感謝の気持ちとして大掃除があります。その中でも特にトイレ掃除に心を注ぎ、自身の心を磨くとともに、トイレの女神様にも喜んでもらいましょう。 Last updated 2010.12.13 17:50:27 |一覧| |
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