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   船橋子どもの家

船橋子どもの家

2005年 卒園文集

3年間をふりかえりつつ・・・リクのパパ


長いようであっという間の短い3年間でした。

忙しさにかまけて親として満足に子供に接することができないにもかかわらず、

すくすくと素直に本当に丁寧に育てていただきありがとうございました。

「育てていただいた。」というのを本当に実感しております。

子育て未経験の私たちにいろいろとアドバイスをいただき、

親まで育てていただき感謝しております。


3年半前、ちょうど無認可保育園での事故が起こったりした時期であったのも重なって、

うまれてまだ3ヶ月しか経たない子を預かっていただくのは正直不安でした。

リク本人にしてみれば、1日半分眠っているとはいえわけもわからず親のいない場所へ

置かれていくのですから。。。

ただ、その当時子どもの家にいたお兄ちゃんやお姉ちゃんの元気な行動や笑顔をみて、

リクもこんな風にのびのびと育ってくれればと思ったのを覚えています。


当時の親の心配はどこへやら、今では自分の家よりも子どもの家のほうが

愛着があるのではないでしょうか。

リクにとっては遊び仲間がたくさん(最近は好きな女の子もいるらしいですが。)

いる遊び場であり、兄弟のいる場所であり、けんか相手がいる場所であり、

優しい先生のいる憩いの場所になっていますよね。


毎日毎日、先生やお友達とのふれあいを通して本当にいろいろなことを吸収し

覚えていますね。吸収のスピードに驚いてしまいます。

わが子ながらなかなかやるなと関心しており、将来はどんな人になるのかと楽しみです。


大人になってから小さいときの人格形成ってすごく大事だと思います。

トラウマまでは行かないですけど、小さなときの体験が反射的に行動に、

特に人と接するときの行動にでてしまうことってありますよね。

特に人への優しさっていうのは小さいうちにはぐくまれるのではないでしょうかね。

私的には基本的にうそをつかない優しい人間であればOKです。

いろんな能力はとからついてきますから。

その点、いまのところ、本当に素直に優しく社交的に育っており、

親ばかながら自慢の息子でございます。


この先、新しい保育園に移ったり、さらに上の学校にいったりと悩みが尽きないと思います。

そのうち口も利いてくれなくなるのでしょう。。。さみしいですなぁ。

まあでも、子どもの家で培ったこの人格はこれからのベースになる大変な財産です。

きっと今の素直さを忘れない優しい人になってくれると思います。


リク本人も卒園したくないと思っているかと思います。

両親も安心して預けられる場所を離れるのは不安です。

が、この先も家族みんな成長していかねばなりませんので

新たな楽しみと試練に出発いたします。


子どもの家で遊んでくれた多くのお友達にも感謝です。


私たちリクの先生であり私どもの先生である子どもの家には末永く

幸せな子どもを一人でも多く育てていただけるよう願っております。


長い間、本当にありがとうございました。





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振り返れば... リクのママ



文集を書くのも今回で4回目になりました。平成13年の9月からお世話になり、
早3年半の月日が経ちました。その間何人もの先輩方を送り出した事か... 

年々「主」になりつつはあるのですが、いつまでたってもお兄さん椅子に座り、

卒園遠足に一緒に行くことは出来ませんでした。


そしてようやくリクが卒園遠足に行く日がやってきました。

昨年は先生方と卒園の子供達との間でその話題が出ると、自分も行けるものと思い込み、

顔を突っ込み、行く気満々だったのですが・・・・そのフライングももうおしまい!

今年こそ本当に行くよ、リク!休日に私の仕事で事務所に連れて行き、

その時持って行ったお弁当を遠足にも持って行き、ぜ~んぶ食べるからね

と張り切っていました。飴は持っていったら怒られるかな~?

なんて心配もしてましたよ。とにかく晴れて暖かくなることを祈るばかりです。

神様、わたしのママよろしくお願いします。


しか~し!遠足に行く=もう子どもの家を卒園しなくてはいけないことに気づいてしまいました。

って、さっきから「卒園」遠足って自分で書いているじゃないですかね。

どうしましょう...今回ばかりは普段得意な法的解決は図れそうにありません。


私は、先を見越して行動を起こすタイプではなく、行き当たりばったりの人生を楽しんでいます。

子育てもその通りで、育児書なんて読んだこともありませんでした。

でもこの3年半を振り返れば、すべては子どもの家でのおおらかな保育のおかげなのだと改めて気ずかされます。

私なんかと二人きりで家に居たら、どんな子どもになっていたか、ゾッとします。


さて、次の公立保育園に行ったらどうしましょう...ですが、

実はさほど心配はしていません。公立の先生方の考え方が今と変わったとしても

「私」はリクに今まで通り接すればいいのですもの。

そして、3年半かけて先生方に作って頂いた大きな、大きな、お土産を

リクに持たせて、この先3年間の公立保育園での生活の支えにしてやりたいと思います。


3年半前の9月を振り返れば、陸はただ天井を見つめているだけの赤ちゃんでした。

ハイハイ、寝返り、お座り、タッチ、初めてできたのはすべて子どもの家でした。
いまでは口の達者な立派な私の彼氏です。

先生、素敵な子どもに育ててくださって本当にありがとうございました。


振り返れば先生方・・・

振り返ればお友だちのみんな

振り返れば諸先輩ママ達

み~んな み~んな 私たち家族の宝物です。

お世話になった皆様に心からありがとうございました。






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「とにかく笑え!!」~子どもの家で良かった...再び~ あかりのパパママ



「おはようございまーす!」そう言って布団から飛び出すあかり。

ごはんを食べて、着替えをして、さあ出発!

「今日はどこへ行くの~?」「子どもの家だよ」「やったぁ!」

こんな会話をしながら三人で車に乗る。


「今日は何して遊ぶの?」とたずねると「う~んとね、お散歩♪」と嬉しそうに答える。

そんなあかりを見て、私たち夫婦はあかりにとって最適な場所が見つかったことに改めて満足する。

でも、なにより満足しているのは、毎朝こんなに気持ちよく仕事に行くことのできる、

私たち夫婦にとっても最適な場所を見つけたことだと思う。



「子どもの家」での一年半

早いものであかりがお世話になって、もう一年半以上が経とうとしています。

昨年この文集の原稿を書いていた頃のあかりは、まだ言葉も覚えたばかりで

”赤ちゃんから子どもへ”の途中というイメージでしたが、

この一年ですっかり”子供”になりました。


保育園に預けていると、親が子供の成長過程を把握できない場合があるという

話を耳にしますが、「子どもの家」では毎日細かく書いてくださる日誌や

年間行事を通じて子どもの成長ぶりがよく分かり、親としても

「いつの間に...?」という感覚ではなく、

子供の成長にちゃんと携わっているという自覚を持たせていただいております。

たまに心配なことがあっても、先生方の豊富な経験の中でうまく修正して

くださっていることが、親としては本当に安心できています。



「子供を叱る?」

最近、少々(?)きかん坊になってきたあかり氏。

まだ2歳だからと多少のことには目をつぶるのですが、たまに度が過ぎると

「コラッ!」と父親からのビームを発射します。

今はまだ魔女さんやオオカミさん、鬼さんの3人が怖いようで、

「連れて行かれちゃうよ~!」とか、ふっと後ろを振り返る素振りをすると

すぐに「ゴメンナサイするよ~(泣)」となりますが、

最近は姿が見えないとなかなか納得しません。

いずれは鬼さんでも魔女さんでもオオカミさんでもなく

「お父さんが怒っているんだよ」と言わなければいけな日がくることもある

と覚悟している父親ですが、本当に怖いのはお母さんだと気づくまでには

まだまだ時間がかかりそうです(笑)



~あかりへ~

3歳になることをとても楽しみにしているあかり。

君の成長を感じながら、昔聞いた言葉を思い出します。

『男(女)は生まれながらにして男(女)ではない。生きながら男(女)になるんだ』

...親も同じだね。子どもが生まれたから”親”になるのではなく、

たくさんの経験の中で本当の”親”になれるかが決まってくるのかなぁと考
えます。


そして本当の意味での”家族”になろう!

でも我が家に必要なもの、それは「笑顔」だ!



とにかく笑え、笑うんだ、あかり~!!!






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大地震体験から得た教訓・・・りりパパ


早いもので「リリ姫」も(とても見えないけど)2歳。

あと1年で卒園とは信じがたいのですが、果たして髪が増えるのだろうかー

と何より大変不安です。


さて、この1年を振り返り、子どもの家に全く関係ないネタですが、

昨年私が遭遇した「新潟中越地震」の体験とそこで得た教訓について、

この場をお借りして書いてみたいと思います。

* * * * * * * * * * * * * * * * * * *


昨年の10月23日午後6時、出張帰りの長岡~浦佐間の新幹線車中で、

あの大地震に遭遇しました。

脱線して問題になった例の下り列車と直前にすれ違った上りの列車に

私はひとりで乗っていました。


突然車中の照明が落ち、「アレッ?」と思った瞬間ドンと大きな障害物に

ぶつかるような衝撃で緊急停止。

「地震が発生したので停止しました」と車内アナウンスがあり、

「なぁ-んだ」と思っていたその時、2度目の猛烈な揺れに襲われ、

車内はパニックになりました。その揺れは、しっかり踏ん張っていないと

座席から振り落とされるような強烈なモノで、

網棚の荷物は全てぶちまけられました。


悪いことに停車した場所が地上20メートルの高架の上で、

しかもカーブで少し傾いた状態だったので、震度6と言われていますが

体感では7以上、とにかく想像を絶する揺れで、生まれて初めて

「死ぬかも」と真剣に思いました。


それから6時間の間車内に閉じ込められ(車内放送はその間全然ダメ)、

大きな余震の中このまま高架から転げ落ちるか、高架が崩れるか・・・

と恐れおののいていましたが、深夜12時頃になって

「この列車は危険なので避難所に移動して下さい」

と車内アナウンスがあり、避難所に向けて脱出することとなりました。


乗客約300名が、線路を歩いて脱出し、地元のタクシーや

マイクロバスでピストン輸送されてたどり着いたのは、新潟県浦佐町の

中学校体育館でした。そこは停電で非常用照明設備がわずか2灯ついているだけで、

広く薄暗い寒々しい空間に大量のパイプ椅子が無造作に出されているだけで、

暖房も毛布もありません。


ところで、携帯は地震発生直後からほとんど通じず、メールもネットも

忘れた頃につながる程度で全く使えません。

JRからの情報もお粗末で、とにかく状況がわからず、

知らない人同士で断片的な情報を交換し合いますが、大変な事が起こった事という以外、

詳細な状況(特に自分が置かれている状況)がわからないというのは、

日頃情報の洪水の中にいる現代人にはとても不安にさせるものです。


やがてJRの社員から「長岡方面の被害状況は絶望的で、

高崎に救援を求めているが、高速も国道も不通。

旧街道も大変危険なので明るくなるまで救援隊は到着できません」と説明があり、

さらに不安な空気が300人を包んでいました。


季節はまだ晩秋でしたが、新潟の高地の深夜ともなると体感温度は5℃ぐらいで、
持っている着替えを重ね着し、冷たいパイプ椅子に腰掛けながら身体を丸めて

ジッとしていました。やがて駅舎から調達しただるまストーブ3つと

ホッカイロが届きました。そしてだるまストーブを囲む3つの大きな輪

(1つにつき30人くらい)と、体育マットを敷いて暖をとるグループに分かれ、

暗く寒い夜を明かすことになりました。


私はたまたま近くにいた人に勧められて1つのストーブの輪に

入れてもらいました。あまり暖かくなかったけれど、輪の中にいて炎を見ている

だけでも気持ちはずいぶん暖まりました。


果たしてこのまま地震は収まるのか、救援隊はホントに来るのか、

誰もが不安に苛まれていた中、ひとりのおばさんがおもむろに自分のカバンを開けて、

「皆さん、食べませんか?」とお土産に買ったらしい温泉まんじゅうの

入った箱をまわし始めました。すると、別のおばさんやおじさんが

次々とお土産の柿の種やら日本酒や焼酎やらを、若い女性がチョコレートや

お菓子を出してくれて、みんなで感謝しながら食べました。


そこで食べた「柿の種」は言葉で表せないほど美味しくて空腹感

を満たすものでした。これがきっかけとなって見知らぬもの同士雑談をし始めて、

雰囲気はとても暖かい「仲間同士の空間」になっていました。


白髪の目立つご夫婦に対して20歳そこそこの茶髪の二人組兄ちゃんが

自分のジャケットを「どうぞ、羽織って下さい。俺ら若いんで大丈夫ッスから」

と掛けてあげている光景がありました。

教員らしき若者はおもしろおかしく自分の体験を話しはじめ、

場に笑いが生まれました。皆が周りに対して自分のできる事を率先して

行おうとしていました。それは「被災者」としての共通の境遇が生んだ

連帯感と助け合いの精神だったのでしょう。


おかげで寒さと疲労と眠気でボロボロになりながらも何とか全員

朝を向かえる事ができました(この時の朝日はまさに希望の光に見えました)。

朝の6時にようやく毛布と食料(コンビニのおにぎりとパン)が届き、

ホッと一安心。そして9時には大型バスが到着し、無事避難所を脱出して

湯沢まで辿り着き、東京に戻ったのは地震発生から20時間後の午後2時。


東京はいつもと変わらぬ時間が流れていて、何だが自分が今まで別世界にいた

ような強烈な違和感を覚えました。

・・・・と、そんなことを経験して、皆さんにお伝えしたい教訓は、


●教訓その1:いつ死ぬか、本当に人生わかりません。

いつ死んでも良いように悔いのない一瞬一瞬をおくって行こう!

●教訓その2:今の若いモンには愛想を尽かしていましたが、

いやいや捨てたモノじゃないと認識を改めました。

もう少し大きな目で日本の将来を見ていくようにしよう!

●教訓その3:「もしもの時」の備えを常にしておきましょう。

防災グッズはもちろん、緊急時の集合場所、連絡方法を確認しておきましょう

(携帯は絶対信用できません!

使えたとしてもスグにバッテリが切れます!!)。

そして生命保険もちゃんと入っておこう!



場違いの文章になってしまったようですみませんでした。

では、子供たちに、卒園生たちに、輝く未来あれ!

おわり




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子どもの家にたどり着いて...。 ケンのママ



ケンが生まれて、近くにじいちゃんもばあちゃんもいないパパとママは、

二人でかわるがわるケンの面倒を見てきました。

1年が過ぎた頃、ママは毎日がとってもイライラするようになり、

会社から帰ってきたパパに八つ当たりするようになりました。

段々笑顔がなくなり、いろいろ考えた末に「このままじゃいけない」

と思いました。ママは昔からずっと働いていて、働くことが大好きでした。


ケンのことも大好きだけど、ママはお外で働きたいと思いました。

たくさんの保育園にお電話をして見学をしました。

でも、なかなか心にぴったりくるところはありません。

「やっぱりこんなに小さいケンを誰かに預けて、働くなんてやめようかな...」

と思いました。


最後に、子どもの家にお電話をしました。

暖かい応対で、ママは見学に行こうと決めました。

子どもの家に到着して、お家の様子があまりにもオンボロだったので、

「たぶん、ここにはしない...」と思いました。

でも玄関の扉を開けてみると、意外にも中は明るくて、

清潔感があって、それから何よりも子どもたちと先生たちの

優しい笑顔がありました。


ママは園長先生のお話を聞きながら、やっと肩の力が抜けました。

ケンが生まれて初めて涙がこぼれました。

「誰かを頼ってもいいんだ」と思ったらママはとても元気になりました。


それからの3ヶ月間、ケンを子どもの家に預け、

その間にお家でお勉強をして、いくつかの試験を受けました。

そしてその年の秋に、またお仕事を始めることができました。


ケンは、毎日毎日成長して帰ってくるので、パパとママは本当に驚いていました。
ご飯が一人で食べられるようになったこと、靴が自分で脱げるようになったこと、

たまにおしっこを教えてくれるようになったこと...。

グングン成長していく様子に「子どもの家でよかった...。」と思いました。

どうもありがとうございました。


ケンももう少し大きくなったら、きちんとお礼が言えるかな?

「先生、お友達、みんなどうもありがとう。これからもよろしくね。

さよならするお友達、ケンのことを忘れないでね。

みんな元気でがんばれー!」


平成17年 春



ケンのパパより


子どもの家に通いはじめて8ヶ月。日々いろいろと成長していて

先生方には感謝しています。また毎日の日記を読むことが

楽しみとなっています。ケンも楽しそうに過ごしているみたいです。

今後ともよろしくお願いいたします。


ケン:2歳1ヶ月

好き:電車、車、救急車、消防車

嫌い:お着替え、早起き




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