今、いかに教育を語るか
今年も県教育研究集会の「いじめ・不登校」分科会の共同研究者依頼がきた。 昨年は、教育基本法「改正」が目の前に迫った情勢の中での開催であり、まさに教育の基本をどうみるのかという観点で発言をした。 今年は、教育をいかに語るか。 現在のような危機の時代にあっては、奇をてらうことなく、まさに基本に立ち返った議論をすべきであろう。 教育の基本。 まさに子どもの中にある、未来に向けての可能性が伸びやかに育つ環境を醸成することである。 教育の主体は、「子ども」である。 当然親ではないし、間違ってもお国ではない。 しかしながら、「子ども」という存在は社会的に決定付けられるという宿命を負う。 つい数十年前までは、中卒後は大人であったのだから。 だからこそ、社会が子どもという存在自体が有する「価値」を大切にできるか、無価値化してしまうのかかは、大きな問題となる。 お国のため、地域社会のために、子どもの未来はあるのでなく、ただ、子どもは自分の人生の主人公としてあるのみなのだ。 我々大人は、子どもにいかなる価値を見るのか。 このことを、とにかく地道に語っていこう。