大津市教委は30日、瀬田廃寺遺跡(同市野郷原1丁目)から奈良時代の寺の南門とみられる遺構が見つかった、と発表した。門入り口の柱跡の間隔は5・1メートルと平城宮の朱雀門に匹敵する大きさという。隣接する
野畑遺跡からは「国分僧寺」と記された
墨書土器が出土していることなどから、瀬田廃寺を近江の国分寺とする説があり、同市教委は、今回の門の規模などを根拠に「国分寺であった可能性が高まったのでは」としている。
瀬田廃寺遺跡からは、名神高速道路建設に伴う発掘調査で1959年に金堂跡や塔跡が発見された。四天王寺式の伽藍(がらん)配置が確認されている。
南門の遺構と考えられるのは、塔の真南37メートルの地点に東西に並ぶ4つの穴(最大2・6メートル)。中央の柱跡の間隔は5・1メートル、両側はそれぞれ4・5メートルの間隔で、その形態から礎石が入っていたと推定できる、という。同市教委は穴の断面の様子から最初は掘立柱を建て、後に権威付けのために礎石建ち建物に改造した、とみている。
さらに寺跡の周りを囲む南側(約16メートル)と西側(約28メートル)の築地塀跡(幅約3メートル)が発掘されたことで寺域の南側と西側が確定した。
瀬田廃寺遺跡の南西約700メートルの地点には奈良時代の近江の政治の中心地だった国庁跡(南西700メートル)があり、西側に隣接する
野畑遺跡からは「国分僧寺」と書かれた墨書土器が出土している。こうしたことから従来から同遺跡が国分寺跡である可能性が、指摘されていた。
近江国庁跡や周辺の関連遺跡から出土している「
飛雲紋(ひうんもん)」の瓦や、唐草が変形したような模様の金銅製の飾り金具(長さ19センチ、幅11センチ)も出土した。
今回の発掘調査は宅地造成に伴い7月から始まり、11月末まで行われる。
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□現地説明会
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11月3日午後1時から。雨天決行。