さて、久々のブログです。
下記の記事をみて、ついに地デジ化政策が司法に判断されるときがきたかと思いました。
地デジ移行差し止めを求め提訴 「工事費の自己負担は違法」(MSN)
2011.1.18 18:45
今年7月のテレビの地上デジタル放送(地デジ)への完全移行を前に、電波が届きにくい難視聴地域に住むフリージャーナリストの岩田薫さん(58)が18日、工事費などが自己負担となるのは違法として、国を相手取り、地デジ移行差し止めなどを求め東京地裁に提訴した。
総務省によると、山間部など、地デジ化によりテレビが映りにくくなるとされる難視聴地域は、昨年9月末現在、全国で約24万1千世帯に上る。
訴状によると、岩田さんの住む神奈川県鎌倉市は昨年12月、市役所の屋上に基地局を設置したが、自宅周辺では地デジを視聴できないことが判明。同市は古都保存法に基づき、建築物が制限されている歴史的風土保存区域などが多いため、別の場所に基地局を建設することはできず、ケーブルテレビなどに加入しなければ地デジを視聴することができないという。
総務省は岩田さんの自宅周辺を難視聴地域に指定し、ケーブルテレビ工事費の一部補助を行っているが、岩田さんは「国民の知る権利を定めた憲法に反する。全国民が負担なしに地デジを視聴できるようになるまで、アナログ放送も継続すべきだ」としている。
地デジ化についてはこれまでも散々批判してきました。→1年後にテレビは終焉するのではないか?
個人的はこの鎌倉の岩田さんを応援いたしますが、ちょっと論点がずれてないかとも思ってしまいます。
そもそも「知る権利」=「テレビ放送」という構図がおかしい。別に金銭的な負担が嫌ならテレビを観なければいいだけの話です。今の時代、テレビでもパソコンでも携帯電話でもあらゆるチャンネルから情報を引き出すことができます。私自身テレビはほとんど観ないので、テレビが知る権利を補償しているなんて考えには到底いたりません。
確かに総務省の地デジ化政策には大いに問題があります。特にデジタルになることで難視聴地域ができることを政策の外にほったらかしにしてきた総務省の罪は重いことは自明です。もっと他の方式やなければ元から難視聴地域になる地域にはスカイツリーのような電波塔を建設するかケーブルを敷設する公共投資があってしかるべきだったことは誰も目にも明らかです。しかしそうではない。スカイツリーだって100%民間資本で建設されています。つまり、地デジ化は国民の権利義務には直接関係のないどうでもいい政策だと捕らえるざるを得ません。よくよく考えれば情報のあふれる現在において、テレビが映ろうが映るまいがどうでもいい話です。映らなくなれば「ああ、昔はテレビなんてものがあったね」程度でいいのです。「そういうことですよ」と総務省がメッセージを流しているわけです。ラジオを聴きたければ、ラジオを買えばいいし、DVDが観たければプレーヤーを買えばいい。CDやMP3が主流の時代にレコードを聞きたいという殊勝な人が稀にいる。パソコンでいくらでも情報が取れる時代にテレビを観たい人もいる。そういうことでしょう。「知る権利」はいくらでも行使できます。
おそらく判決は原告の「知る権利」は少しも制限されていないことで退けられることでしょう。そうすればつまり司法が私の主張と同じようにテレビ時代の終焉という判例を世に示すことになります。地デジ化政策で電波利権をむさぼる総務省にとって「テレビばかりが知る道具でない」という司法判断はテレビ時代の終焉を意味し、放送業界の敗退を意味します。総務省の天下り先もますます減ってくるでしょう。でも万が一、原告が勝つようなことがあれば地デジ化政策そのものの失策を司法に決定づけられことでもあるので、この裁判、どう転んでも結果的に総務省の負けになるという非常に面白い裁判になりそうです。
今後の展開が気になりますが、しかしやっぱりどうでもいいような気もします。
ただ今日の時点でも、我が家にはまだ地デジ受像機が一台もないことだけは確かです。
