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こけだまのつぶやき がんになって今思うこと

こけだまのつぶやき がんになって今思うこと

そして再発

今の会社に入って 私はコンピュータ関係の仕事に復帰した。と、言っても
私がやっていたのはオフコンの世界。パソコンとは訳が違う。以前やっていたといっても
ほとんどの事は新しく覚えなければならなかった。でも新しいことを覚えていくのは
ドキドキして楽しい。
そして、何年か経った頃・・・。ある夜 うつぶせになって寝ていたら下腹に何か当たる
気がした。
「まさか」と思ったが、考えたくはなかった。そして怖くなり、それきりそのことから
目を逸らしてしまった。
数ヶ月後 会社の健康診断で医師の診察を受けた。
私のおなかを触っていた医師の顔色が変わった。
この先生は心配してくれて本当は検診のコースに入っていない超音波の検査までしてくれた。
そして「専門ではないのではっきりしないがどうも子宮筋腫ではないかと思う。
とにかくすぐに病院に行きなさい」と言った。
以前から薄々感じていたのでショックはなかったのだが、病院に行く勇気がなかったので
背中を押された感がある。
「やはり」という感じで私は観念して病院へ行ったのだった。
診察を受けると 子宮筋腫ではなく、卵巣が子供の頭ほどに異常に大きくなっているという。
MRI検査の結果 医師からは「悪性の可能性がある」と告げられた。
その時の医師はM先生。まだ若い先生だったが話しやすい人だった。
すでに子供も二人いるし、後の心配もあるので子宮を残さなくてもいいだろう、という
ことで 左の卵巣と子宮をすべて摘出することになった。
「いいね?」と念を押されて私は「はい」と答えた。
その時は 別にすべて失っても惜しくない、と思った。
でも手術が終わってしまうとなんだか急に「みんなとは違う」という気持ちになって
少し落ち込んだりした。
かといって残しておけるはずはなかったのだけど・・・。
「自覚症状があったでしょ?」と何度も聞かれたが 私は「なかった」と言い張った。
M先生は「おかしいなぁ、絶対あるはずだけどな」と言っていたがあくまで私が言い張る
ので、それ以上は追求しなかった。(ゴメンナサイ。嘘をつきました)
悪性の可能性もある、ということでなるべく早いスケジュールで手術の日が設定された。
初めて病院にかかったのは11月24日 そして手術は12月13日前後だったと思う。
私は顆粒膜細胞腫のことなどすっかり忘れて「悪性かも」という言葉に恐れおののいていた
のだった。
これで同じ個所にメスを入れるのは5回目になる。キズがひとつになるように 前の
キズの上を切っていくのだが、回数を数えるに従って結構技術がいるものらしい。
表面的なこともそうだが 身体の内部はもっと難しいことになっているようだ。
何度も空気にさらされ 切ったりくっつけたりを繰り返した私のおなかの中は酷く癒着
してしまっている。
癒着のせいでおなかが痛くなることもあるし、本当の病気なのか癒着による
痛みなのかわからいこともある。
手術としては、単純で簡単なものだったと思う。でも、癒着とか摘出するものが大きすぎた
ため 今までよりも大きく傷を切り広げた結果、思ったよりも時間がかかったという。
ダンナ曰く「4時間はかかってないけど3時間半くらいかな」
15年前から数えて5回目の手術。
ダンナが母に向かって「5回も同じところを切るなんて」とため息をついていた。
思えばこの人も私に付き合わされて 気の毒に5回も手術の付添をさせられているのだった。
それに母。娘の私が母親に付き添う、というならわかるが…。年を取った母親に何度も
付き添ってもらい、治ると仕事に出てしまってロクに実家にも帰らない。
本当に親不孝な娘で申し訳ないと思っている。こんな子供なのに母は私が入院すると
「かわいそうに、代わってやりたい」と言うのだった。
家族のみんなに迷惑をかけながら 私は生かされているのだろうか。
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