多様性を育むこと
*************** 学習や仕事をしている限り進歩があります。それどころか、人生は日々進歩の積み重ねなのです。しかし、戸惑ったり焦ったりすることはありません。自分らしく進めばよいのです。意欲的に自分らしく日々進歩を重ねることへの想いを、週間記に書き綴っています。*************** 入学式の季節です。多くの企業は新年度の活動に入っています。多くの組織や人々が精神的な活力を高めている季節でもあります。こうした活力を一年を通して維持することは容易ではありませんが、そのための努力をすることが大切です。進歩や成長の源なのですから。 今回のお勧めは、季節の風雅を味わって、次の言葉です。◎櫂のしづくも花と散る◎ 瀧廉太郎の名曲「花」に描かれた情景です。実に風雅ですね。全歌詞を紹介します。 春のうららの隅田川 のぼりくだりの船人が 櫂のしづくも花と散る ながめを何にたとふべき 見ずやあけぼの露浴びて われにもの言ふ櫻木を 見ずや夕ぐれ手をのべて われさしまねく青柳を 錦おりなす長堤に くるればのぼるおぼろ月 げに一刻も千金の ながめを何にたとふべきちなみに、作詞は武島又次郎です。 これからもどうぞ進歩の日々をお楽しみください。━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◆多様性を育むこと◆ 経済がグローバル化する中でよく耳にすることがあります。多様性が成功や成長の鍵である、という言葉です。成功している企業、成長が著しい企業を見ていますと、確かにその通りだろうと思います。多様性とは広い範囲にわたる概念で、人材や文化に限られる訳ではなく、行動様式とか制度にも関わっています。こうした多様性は、変化を生み進歩をもたらす風土や体質の基盤を成すものだと言えそうです。現実に、アメリカのGAFAやマイクロソフトなどのIT関連企業や、我が国のソフトバンク、トヨタ自動車、武田薬品などの状況を見ていますと、多様性というものの姿が何となく見えてくるようです。 多様性が新しい世界や未来を開く力として認められるのは、産業界や企業だけではありません。歴史過程における文化や国家の興亡、物事を見る新しい視点を提示する人たち、といったものにも多様性の存在を見い出すことができます。典型例を上げてみます。ローマの建国から隆盛、そして帝政を経て滅亡に至る過程に多様性の豊かさや欠如が顔を覗かせていると言えそうです。また、創造的な業績を上げた人たちの生い立ちから成功に至るまでの過程には、多様性が育まれ,それが成功に貢献した様子が見て取れるように感じます。 以下に、多様性を体現している偉大な人間として、経営学者、社会思想家として世界に多大な影響を及ぼしたピーター・ドラッカーを取り上げ、彼の足跡の概要をたどってみます。 19世紀末~1930年代初期のウィーンでは、多くの世界的に著名な思想家、文学者、芸術家が活動していました。ホフマンシュタール、シュニッツラーらの文学者、精神分析の創始者フロイト、哲学者のヴィトゲンシュタイン、経済学における限界効用価値説の発見者の一人カール・メンガーに始まるオーストリア学派の人々といったところです。 このように多様な学者や文化人が集うウィーンで、1909年にドラッカーは生まれました。父親が経済関係の高級官僚だったことから、シュムペーターやハイエクらが彼の家を訪れて議論を交わしていたようです。他にも、政治・経済の論客や芸術家が頻繁に訪れていました。こうした知的環境の下にある家庭でドラッカーは成長し、幼い頃から著名な学者や文化人と面識を持つようになっていきました。 彼の生家は富裕なユダヤ系でしたが、当時ウィーンで活躍していた学者や文化人の多くもユダヤ系でした。東欧各地でユダヤ人迫害が横行していたこともあって、ユダヤ系の人々が自由の発信地であるウィーンにやって来ており、世紀末には人口の10%前後をユダヤ系が占めていました。 ユダヤ人エリートたちは自由主義的な政治思想を支持していました。こうした自由主義的ブルジョワ層の中核を占めるユダヤ人たちは、神聖ローマ帝国からの伝統文化や習慣と多文化主義が混在するウィーンで、世紀末文化の中心的担い手となっていたのです。 ドラッカーが政治、哲学、歴史、マネジメント、経済など、あらゆる領域における多様性と多元主義の重要性を強調するようになったのは、ウィーンの発展の源泉になっていた多様性と多元主義を体感したからではないかと考えられています。 ドラッカーの著書に「傍観者の冒険」(1979年の邦訳では「傍観者の時代」)というものがあります。同署で彼は傍観者を次のように定義しています。・舞台にはいるが演じてはいない。観客でもない。少なくとも観客は 芝居の命運を左右する。傍観者は何も変えない。しかし、役者や観客 とは違うものを見る。違う角度で見る。即ち、傍観者は大きな出来事が起こっている場にはいるが、その出来事に影響を与えない、と言っているのです。 こういう傍観者だからこそ、時代の潮流や社会の風潮に逆らうような冒険ができる。そんな示唆を与えていると受け止められます。こうした傍観者の立場を取るドラッカーは、世の中の大勢に合わせることなく、自分の現実感覚に忠実に行動するのです。それゆえに、周囲から浮いた行動をしていると見られるのです。その一例を上げてみます。 ドラッカーはGMの経営実態を第三者の目で調べ、その結果を「企業とは何か」として1946年に発表しました。これは当のGMから依頼されたものでした。この調査報告の叙述にはミクロ経済学の方法を用いず、当時としては新規だったマネジメントという概念を軸に据えたことから、経済学者からは学問的でないと非難されました。それどころか、シポレー事業部門の分離・独立などの分権制を提案したため、GM内部でも左翼による敵対的攻撃とみなされ、無視されることになったのです。依頼主から嫌われることを承知の上で、自分の認識を率直に表現できるメンタリティは、幼少期から過ごしてきたウィーンに満ち溢れていた多様性や多元的文化の中で培われたのだろうと思われます。 多様性と多元的文化の風土のあるウィーンで育ったドラッカーは、ナチスのような多様性を認めない全体主義体制に反対していました。同時に、集団的行動を強いる社会主義に対しても強い抵抗感を持っていました。そうした流れの到達点が、様々な欠陥があったとしても、市場社会としての資本主義を受け入れることだったようです。ハイエクのように市場を積極的に擁護するのではなく、仕方なく市場社会を受け入れるという消極的態度だったようです。市場の均衡化作用をを前提にする古典派・新古典派よりは、市場への介入の必要性を説くケインズのほうを評価していたと言えるでしょう。こうした立ち位置からドラッカーは、企業を共同体的な自治の単位と定義し、産業社会に適合した政治・経済の体制を構築すべきだとの見解に至ります。そして、企業単位のマネジメントの研究に本格的に取り組んでいくのです。 以上、ドラッカーの生い立ちと活動をざっとたどってみました。彼の中に育まれていた多様性が特異な「傍観者」の視点を生み出し、その視点から、「マネジメント」という新規な概念を軸とした新しい思想を創っていったことが解ります。こうしたことに、そして古代ローマの歴史や現代の成功企業の活動をも合わせて、多様性を育むことの意味を感じ取っていただけましたらと思う次第です。多様性は進歩の源の大きな要素の一つなのですから。━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━★サイト「経営改善で会社を元気に」に次のメッセージを掲載中です *表舞台の10年後を夢想する http://kokenpat.cafe.coocan.jp/━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━★グローバルという言葉は、世界中の人々が助け合うためにあります。 *最小限の医療も受けられない人たちが世界中に大勢います。 グローバルの旗印はこうした人たちを救うために掲げたいものです。 *世界的な医療団体「国境なき医師団」を継続的に支援しましょう。 ・特定非営利活動法人 国境なき医師団日本 https://www.msf.or.jp *支援に参加すべき対象は世界中にいくらでもあります。━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 大島啓生 進歩の考房 主宰 特定非営利活動法人 産業人OBネット正会員 E-mail <hiro.oshima@nifty.com> URL <http://kokenpat.cafe.coocan.jp/> 神戸市垂水区桃山台5-7-7 郵便番号655-0854 TEL:078-752-9097