カテゴリ:つぶやき
池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、言っています。 『希望がなければ、希望をつくればよい。 光がなければ、自分が太陽になればよい。 一人の人間が、わが生命に「希望の太陽」を輝(かがや)かせていくならば、その光彩(こうさい)は、わが家族、わが地域、わが国土(こくど)を照(て)らしながら、必ずや大いなる変革(へんかく)を可能にするのであります。』 世の中は、さまざまだ。 人間も、さまざまだ。 問題も、いろいろ、あると思う。 環境(かんきょう)が悪い。世の中が悪い。 あの人が悪い。この人が悪い。 数えていたら、きりがないほど、さまざまな問題があり、その分、悩みもあるかもしれない。 すべてがうまくいく職場、あるいは人生は、ないかもしれない。 その中で、どうしていくか。 その中で、どうして、幸せを勝ち取っていくか・・。 現代という時代は、確かに、希望の見えづらい、光が届(とど)きづらい世の中と言えるかもしれない。 でも、だから、あきらめるのか? だから、世の中に文句(もんく)を言って、なげやりに過(す)ごすのか? 違(ちが)う! 希望は、自分でつくるしかない!! 希望がないのなら、つくればいい! 光がないのなら、自分が太陽になればいい! 自分が、希望になり、太陽になっていったならば、その自(みずか)らの生命の輝きによって、まわりも輝いてきて明るくなっていく。幸せになっていく。当然、その輝きの中心に自分がいるんだから、 自分も明るく輝いき、幸せになっていく。 そこに、幸せをつかむ、ひとつの布石(ふせき)がある。 けれど、これは、理屈(りくつ)では、わかる。だけれども、具体的(ぐたいてき)な方法がわからない。 自分が太陽となり輝くといったって、どうしたらいいか、わからないし、現実味(げんじつみ)がない。 みずからを太陽と輝かせるもの・・。 みずからの生命から光を放(はな)ち、周囲(しゅうい)と世界を照らし出していけるもの・・! その決定的な何か!が必要となってくる。 そして、その、現実的で、決定的な方法が、創価学会(そうかがっかい)が実践している、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰だということです。 生命の輝き、生命から放(はな)たれる幸せの力・・。 その生命を輝かせるもの、生命から放たれる幸せの力(ちから)そのものが、創価学会の人たちが、日々、となえている、『南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)』だと言えます。 発電所(はつでんしょ)が、電気を作り出すように、南無妙法蓮華経は、人間の生命の中から、生命力を作り出してていく。わき上がらせていく。だから、南無妙法蓮華経をとなえることは、生命の中から、幸せの輝きを、発電所のように作り出し、その人を太陽のように輝かせる。 幸せの光、希望の光、勇気の光、蘇生(そせい)の光を作り出し、その人を太陽のように輝かすのが、創価学会が実践(じっせん)している、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰だということです。 その光は、やがて、悩みを解決する力(ちから)となり、夢や希望をかなえていく力となる。また、病気などを克服(こくふく)する大きな力ともなっていく。 自分の生命そのものが、蘇生(そせい)し、輝いていったならば、それは、あらゆる面で、その人を幸せにしていく。そしてそれは、家族や地域、職場を照らす光となり、地域を、社会を、そして世界を幸せに輝かせていく結果にもなっていく。 太陽が一つだけれど、世界を照らし出すことができるように、ひとりの人間であっても、自分が希望となり、自分が太陽となっていくことによって、家族も、地域も、世界も、幸せに変えていくこてが、できる。 それを、現実の上で、だれでも、可能にしたのが、創価学会の、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法の信仰だと言えます。 だから、自分が、希望になればいい。自分で希望をつくればいい。光がなかったら、自分が太陽になればいい。 それが、人生の上で、確実に、本当に実現できるのが、創価学会の、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰だと、いうことです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.02.02 21:28:31
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