人の話を聞けない子はこうやってうまれる
指示が通りにくい子がいます。
理由はだいたい二つです。
家庭のルールが不要なものまで細かに決められている。
「親の好み=ルール」が家庭を支配している。
社会のルールと親のこだわりと区別がつかなくなっていることがあります。
こだわりというのは、より家庭が幸せになるための試行錯誤のことです。
それが多すぎると、ダメなようです。
家族独自のルールというのがそれぞれあり、
それはまったくかまわないのですが、
それがあまりに多すぎると、
理不尽であることが子どもにもわかるので、
その理不尽から逃れることが、
それぞれの子の生き方となります。
そして、多すぎるこだわりの抜け道を探すことは、親が思うより容易です。
そうやって、なるほど、こうするのか、と学びます。
怒られなければいい、という考えはこのあたりに兆します。
大人の言うことはいつも大きすぎる。
それをどうやって小さく逃れるか
ということだけを考えるようになります。
人の言葉を小さくとらえる努力を日々している子は、
文章を読むときも同じように考えています。
しかし、残念ながら文章で表現されているのは伝えたいこと100%中、
数10%だけで、残りは想像力と常識で寄り添って何とか読めるものです。
書かれた数10%をさらに割り引こうとするのが、国語が出来ない子です。
文字の問題ではなく、その子のあり方の問題が根幹にあります。
もう一つは、決定権が自分にある子。
判断のための基準を持たないのに、
「あなたがこうしたいと言うから」という理由で、
本人の思いが優先されること。
これは家庭のルールにおいては、
相対的なものとして尊重しあってもいいのですが、
社会のルールにおいては、成り立たない考え方です。
本人の意思の尊重と言いますが、
本来、子どもの「思うこと」と社会の「考えること」は常に異なり、
子どもは学びながら、成長していくものです。
思い放題の子どもは、思い放題の親から学んだ結果です。
家庭のルールがあまりに微に入りすぎると思ったら、
その散りすぎたエネルギーを一つのルールに注ぐということを、
してみるといいかと思います。
絶対的なルールを決める。
それ以外のことは気になっても口にしないくらいでいい。
社会のルールは争いを避けるためにあります。
ルールを守らないと争いが起きます。
精神年齢という言葉がありますが、多くの場合、これは結果論です。
精神年齢が低いから、どうこうではなく、上記のもろもろが合わさって、
低いままの精神年齢でいることが、本人にとって快適だということです。
本人の意思が尊重され、守らなくてもいいルールに囲まれていたら、
今のままでいい、となるに決まっています。
Last updated
2012.02.22 13:18:54