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アフガニスタンのお話 五章
アフガニスタンというと9.11後、アル-カイダの根拠地とみなされたことが想起されます。しかしあまり「アメリカ色」のメガネを通しまたままではアフガニスタンという地域の特質が見えてきません。さあタイムマシンにお乗りください! ギュイーーーーン ... ここは紀元前3世紀のアフガニスタンです。イラン高原の延長にあるので山麓が険しいですが、興味深い建造物があります。ギリシア神殿です!いえいえアテネと間違えたわけではありません。実は紀元前4世紀のアレクサンドロス大王による遠征でギリシア人国家バクトリアが建設されていたのです。シルク=ロード上に位置するアフガニスタンは紀元後も東西の物資・人が往来する交易路と化し、インド化が進行していきます(仏教文化とヘレニズム文化が融合しガンダーラ文化を生む。バーミヤンの仏像(跡、はぁ)などは有名ですね)。 その後6世紀まではササン朝のもとでペルシア化が進みました(正倉院の宝物はアフガニスタンの影響を受けています)。やはり7世紀が大きな転機といえるでしょう。アフガニスタンではいち早くイスラーム化が始まり、容易に定着しました。 しかし10世紀にはいりサーマーン朝がアフガニスタンを支配したためイラン化が進み、ガズナ朝の成立によりインドのイスラーム化が促進されるこことなります。さらに、11から12世紀に渡り、北方騎馬民族が西走してきます(西突厥の末裔か?)。突厥が訛るとテュルク、すなわちトルコです。トルコ系の民族は戦闘能力に長けていたので、セルジューク朝などで軍人奴隷(マムルーク)として重宝されます。トルコ系民族の流入の結果、アフガニスタンはトルコ化して行きました。 なぜ現在このようなことがあまり認知されていないかというと、13世紀にモンゴル帝国に吸収され(チンギスによる征服、チャガタイによる建国)、文化遺産がすべて破壊されたからなのです。 こうしてみるとアフガニスタンは、ギリシア、インド、ペルシア(イラン)、イスラーム、トルコなど無数の異なる文化圏の結節点に位置する地域であり、歴史的価値が非常に高いといえます。内戦や対外戦争によって貴重な文化史料が失われたことは本当に残念です。また、現在のアフガニスタン共和国が成立したのは1980年代のはなしですから、銃器に市街戦といったイメージはごく最近生じたものなのです。本章でみなさんのアフガニスタンへの視点が少しでも変わったならば幸いです。 │<< 前へ │次へ >> │一覧 │コメントを書く │ 一番上に戻る │ |