痴呆について(祖母を思い出しながら)昨夜、NHKクローズアップ現代で「痴ほうの人・心の世界を語る」を、たまたま見た。46歳で若年性痴ほう症(アルツハイマー病)を発症した オーストラリアのクリスティーン・ブライデンさんへのインタビューを軸に、 痴ほうの人の「心の風景」をたどり、どのようなケアが望ましいのかを考える番組だった。 クリスティーンさんの脳は、既に百歳をとっくに超えた状態で、 重い記憶障害があり、日常生活は夫のヘルプが不可欠のようである。 しかし、きちんと自分の状況や心理状態を語ることができ、 表情もとても美しいことに、驚きと共に感動を覚えた。 彼女の語る痴呆の人の心理状態は、私にはとても納得できるものだった。 私の祖母は90歳の頃から痴呆が始まり、 デイ・サービス→ショートステイ→特別養護老人ホーム→病院と、 心身状態の変化に伴って環境が変わる中での辛い十年を生き、101歳で亡くなった。 在宅でいるときの家族と本人の関係は、修羅場に近いものがあった。 私は別に生活していたので、 できるだけ実家に行って両親と祖母のヘルプをすることに努めたが、 それにも限界があった。 当時も、ある程度の痴呆に対する知識はあったので、 いつも生活する両親にそれを伝えようとしたが、 「一緒に暮しているものの気持ちが分かるか!」と怒り出すことが多く、 それ以上のことを上手に話し合えもせず、 間に立って実に辛かったことを思い出す。 やがて、特別養護老人ホームに入ったのだが、 ここからが祖母の本当の地獄の始まりだった。 老人ホームへ通うのは、主に私の役目となり、 最初の頃はほぼ毎日通ったけれど、これまた本当に切ない日々であった。 老いて特別な介護が必要になった老人の、ついの住処としてのホームであるはずだけど、 プロであるはずの介護職員や看護士のはずなのに、 老いてゆく切なさや悲しみ、焦りや怒りにパニックになる老人に対して、 どうしてこのような態度ができるのかという人も結構いる。 家族である私は、何度怒りに体が震えそうになったり、 切なさにいたたまれず、見境なく祖母を連れて帰りたくなったことだろう。 しかし、私もまた身勝手な人間であった。 祖母を我家で介護するということの重さを考えると、 どうしてもそこまではできなかったのだ。 だから、他人のことは言えないのだけれど、 それだからこそ一層、その職で働く人達にはプロになって欲しい。 祖母は、クリスティーンさんのようにきちんと語ることはできなかったけれど、 日々祖母と接し、祖母の表情を見ていた私には、 祖母の悲しみや苦しみ、不安や焦りはよくわかった。 その日の状態によるけれど、 かつての元気だった時のように、忍耐強く理性的で、 そして周囲への思いやりを持っている祖母は、最後まで健在だったと思う。 最期の日、私は祖母の最後の食事介助をした。 その頃はもう、言葉で話すことはできなくなっていたけれど、 私の話しかけに耳を傾け、 ちゃんとわかっているよと目で合図してくれる祖母がいた。 「また、明日来るからね」と、枯れ枝のような手を握った私をジーッと見詰めて、 ギュッと私の手を握り返してくれたその手のぬくもりを、私は決して忘れないだろう。 祖母はその手を、なかなか離そうとはしなかった。 きっと、それが最期の別れになると、祖母はわかっていたのではないか。 それから二時間後、 病院からの連絡で駆けつけた私を待っていたかのように、 祖母は眠るような大往生を遂げた。 私は確信する。 どんなに痴呆が進んだとしても、 人としての感情は決して衰えないのだということを。 寝たきりで反応がなくなっているかのように見えても、 その人の意識や感情は常に動いているのだということを。 ただ、それを表現できなくなっているだけなのだから、 そのことを肝に銘じて周囲の人は接して欲しい。 私は、自分がボケていった時に、 「何も分からない物体」のように扱われるのだけは、 死んでもイヤだと思う。 ( 2003年11月14日) |