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koo’s page 韓国留学

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神奈川県立野庭高等学校吹奏楽部

☆神奈川県立野庭高等学校吹奏楽部☆

この時期になると毎年、野庭の事を思い出す。
夏休みは関東大会に向けて必死になっていた11年前・・。卒業して早10年が経った(>_<)

1991年⇒1年生☆第47回関東吹奏楽コンクール金賞

課題曲☆そよ風のマーチ
自由曲☆呪文とトッカータ

当時、吹奏楽で有名だった神奈川県立野庭高等学校吹奏楽部に入部した。楽器は金管楽器の低音楽器であるチューバという楽器。中学から吹いていたがリズムや伴奏パートで面白みがなかった。全国バンドという事もあって予想以上のハードな練習に何度も辞めたいと思うようになる。朝練、規律訓練(軍隊みたいに大声出して先輩からの罵声をあびながら行進練習)、マラソン、腹筋、腕立て、そして夜遅くまで練習。休みは年末年始の6日間。始めの1年は体が慣れるまで辛かった。コンクールは平等にオーディションで決まる。地区大会・県大会・関東大会・全国大会・・それぞれ行う。コンクールメンバーは50人。同じ1年生の奴が3年生を抜かしてメンバーになった。凄く悔しかった・・。(←いつも僅差で負けていたが3年生になって抜いた)その年の結果は関東大会金賞。凄い感動的な演奏だったが全国大会には進出出来ず関東大会のレベルの高さを知った瞬間だった。皆、泣いていた。

1992年⇒2年生☆第40回全日本吹奏楽コンクール銀賞

課題曲☆ネレイデス
自由曲☆アパラチアの春

この年の金管楽器は3年生が3人しかいなかった。木管楽器が充実していた。初めて野庭が吹奏楽オリジナル曲からアレンジ曲を演奏し後期の野庭が始まった。この頃からリズム、伴奏ばかりで面白みに欠けていたチューバが4分音符を歌って吹く事を知った。M先輩の影響だった。下手くそ!と先生から言われ続けたが・・前年度と比べると本当に下手くそだった。金管楽器は同期の2年生が中心。ミスは多いし音は小さいし・・。結果は全国大会に4年ぶりに出場し今まで金賞しか取らなかった野庭が初めて全国大会で銀賞。全国大会に出場出来たのは嬉しかったが悔しかった。ジャッジに金管楽器が弱い!と言われ、来年は絶対に金賞を取ってやる!!と死に物狂いで音出しの練習が始まった。この頃からお菓子禁を始めた。(皆、好きな物から1つ選んで念願が叶うまで○禁しようと願をかけてやっている人が多かった)

↓2年生の時の全国大会の写真・・。真ん中にいるTubaがkooです♪

2年全国


1993年⇒3年生☆第41回全日本吹奏楽コンクール金賞

課題曲☆マーチエイプリルメイ
自由曲☆ハンガリー民謡くじゃくによる変奏曲(初演)

この年は自分で言うのも何だが久しぶりに粒ぞろいの3年生に成長していた。↑の猛練習もあって金管楽器に厚みが出ていた。そして・・オーディションで1番を取り首席奏者になった。前年度の巻き返しを・・と4月から新入生を向かえスタートする予定だったが色々なハプニングがあった。学校側からの圧力で練習時間の削減・・。学校では練習出来なくなった為、某公園や公民館など色々な場所に出掛けて夜遅くまで練習し学業に専念しなさいという学校の要求を断り精神的や体力的の限界まで挑戦し念願の全国大会金賞。本当に嬉しかった。1番輝いていた瞬間・・青春していた(笑)
そして・・卒業後、1996年指揮者の先生が亡くなり部員の減少と共に2003年廃校となり野庭は消滅した。

↓3年生の時の全国大会の写真・・。一番左がkooです。念願の首席奏者&ゴールド金賞受賞!!(笑)

3年全国 全国チューバ

↓定期演奏会の時の写真・・。花束をもらっている写真は卒業式です。笑っているように見えるけど実は泣いています(笑)

三年定期三年定期2

              三年定期 真ん中

☆野庭高等学校吹奏学部コンクール結果表☆


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