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ヒイラギノヒコの日記 [全59件]
いつものことながら、そろそろこのブログは止めてしまったのだろうか、と自分で思うぐらいに間があいてしまってますが・・ その間ずっと”下書き”のままで残ってしまっていた、重松清の短編集『再会』から”永遠”という物語。 図書館で借りてきていつものように電車の中で読んでいて・・・ドキッとして、泣きそうになってしまった 主人公の弟である24歳になる”ユウちゃん”は、はっきりとは書いていないけれどおそらくダウン症であると思われる。その弟が同じ障害を持つ女性と結婚することになり、結婚式に子供の頃の”親友”に来てほしいという願いを叶えるために、姉である主人公がどこにいるかわからないその友達を探そうとする話。 地味な話と言えばほんとに地味な話なんだけど、この弟の”ユウちゃん”が、うちの末っ子の将来の姿を見ているようで、ちょっと哀しくせつなくなって胸がキュン 小学校の教師になってわかった。子どもが成長するというのは、自分の生きる世界に順位をつけるようになることだ。遊びよりも勉強、公立よりも私立、この子よりもあの子、自分はクラスの何番目、自分はあの子に負けていても、この子には勝っている。順位がつけば序列ができる。優先する事柄もわかってくる。 ユウちゃんは、誰のリストでも序列が下の方にいるのだろう。だから誰からも選ばれずにいた。小さな子どもはまだリストができていないから、ユウちゃんと遊んでくれる。でも、その子がリストをつくりあげて、選択を始めたとたん、ユウちゃんは置いてきぼりになってしまう。 (本文より) でも。 そんなせつなさがあったとしても、この話を読んで優しい気持ちになれるというのは、 きっと作者は知ってるんだなー。。 強がりとかじゃなくて、この子がいることで、誰かと比較するのではない”絶対的な幸福感” を感じられるってこと。 二組の家族が顔をあわせたときは、みんな、いつも、にこにこ笑っている。幸せな空気が私たちを包み込んでくれる。ユウちゃんもマナミちゃんも、おだやかな微笑みを絶やさない。ひとを疑ったり、嫌ったり、出し抜こうとすることが、いっさいない。 ユウちゃんだけを見ていると、ときどきせつなくなってしまうけど、マナミちゃんと二人揃うと、のんびりとしたおだやかさがこっちにも伝って、人間ってこれでいいんだよ、これでなくちゃいけないんだよ、という気にもなる。 (本文より)
最初は堅そうな印象の題名とか装丁から、いわゆる”よい子”に育てるための子育て本なのかな、と、自分からはあまり手に取らなそうな本なんだけど、でもお薦めということだったので読んでみました。 内容とっても良かったです 今からじゃもう遅い もっと早くに読む機会があればよかったなー。と思うような基本的で大切な事が書いてます。 でも、著者も「本書が、”よい子”に育てるためのマニュアルになってしまうことをなんとか避けたいと思いながら、書いてきました。」と書いている通り、 この本を読んで「ちゃんと泣ける子」という「よい子」を求めてしまってはいけないんでしょう。 ・赤ちゃんや子どもは、自己中心的で、親の迷惑などみじんも考えず、自分の身体の中から出てくるエネルギーのままに感情を表出することが「健康」だということ、 ・感情は身体の反応であり、生理現象である なるほど。 子どもがおしっこをしたいときに「がまんしなさい」とはさすがに言わないけど、 子どもが大泣きしているときに「泣くんじゃない」は、絶対言ってる、言ってる。 ・・・もしかして生理現象、止めまくってた? 親になるということは、自分の感情よりも子どもの感情を大事にする覚悟をすること。 子どもが挫折や屈辱に耐えられるように育つためには、 そのくやしさや悲しさを十分に受け止めてもらえるということが必要なのであって、 挫折したり屈辱を味わったりする体験そのものをなくして つらい体験をしないことが必要なのではありません。 またたくさんの屈辱にさらせばいいというものでもありません。 問われているのは、子どもにたいして大人が大人でいられるかどうかであるとも言えるのです。 これもとっても耳が痛い できるだけ子どもが辛い思いをしないように、とか言いつつ、挫折したり恥ずかしい思いをする子供の姿を単に自分が見たくないだけだったり、もっと言うと、子どもの失敗が自分の失敗のように感じられたり、ちゃんと育てていない・教えていない親のせい、みたいに思われることがいやだから、っていうことがなかったか。 ちゃんと泣ける子に育てましょう。 泣ける子は、人を信じることができる子です。 泣ける子は、こころの自然治癒力が備わっている子です。 泣ける子は、身体の力で自分の不快感情を安全に抱えることのできる子です。 それはすなわち生きる力を備えた子なのです。 ちゃんと泣ける子に育てよう
「今日国語の時先生に、『クラスで一人だけみんなとちょっと違うことを書いた人がいます』、 って言われてん。」 娘が言いました。 国語の教科書に載ってる『モチモチの木』の話を読んで、 ”主人公の豆太は、このお話の始めと終わりで何か変わったと思いますか?” という質問に、こう書いたらしい。 「豆太は何も変わっていない。 豆太は本当はもとから勇気があった。ただ自分でそれに気づいていなかっただけだ。」 ・・・うーん。なんかちょっと感動 先生にみんなの前で誉めてもらったようで、とっても気を良くしていた娘でした 最後の、じさまのせりふがまたいいのです。 「自分で自分を弱虫だなんて思うな。 人間、やさしささえあれば、やらなきゃなんねえことは、きっとやるもんだ。 それを見て他人がびっくらするわけよ。は、は、は。」 モチモチの木
何冊かアップしようと思いながら、またしても年末もお正月も過ぎてしまって、はや2月も半ば 久しぶりに片づけ本で”ときめく 近年流行っていた”断捨離”とかも、気になりながらも読むことはなく流していたのだけれど、珍しくこれはなぜか本屋で目があった(?)だけなのに買ってしまったのでした。 おもしろいです~ 若くてかわいい片づけコンサルタント(そんな職業あるのね)の”こんまり”さんの「一度片づけたら、絶対に元にもどらない方法」を書いた本。 リバウンドがないため、個人レッスンのお客様のリピーター率は0%!らしい。口コミの新規顧客ばかりなのにすでにキャンセル待ちすら入らないとか。 前に書いたカレン・キングストンの『ガラクタを捨てれば自分が見える』と路線は一緒と言えば一緒なんだけど、どこが違うかというと、”一気に片づける”のと、”全て自分でさわってときめくものを残す”ということ。 文体もさらっと楽しく読める、片づけ本のはずなのに、ほんとに”人生に魔法がかかるかも と思うぐらい実は中身深いです。 ・結局、捨てられない原因を突き詰めていくと、じつは二つしかありません。 それは「過去に対する執着」と「未来に対する不安」。この二つだけです。 ・モノを捨て続けることで、判断の責任を人にゆだねなくなるのです。 なぜならモノを捨てることは自分の価値観で判断をしていく経験の連続だからです。 ・すべてのモノはあなたの役に立ちたいと思っています。 私は、モノを無意味にため込むことも、「とにかく何も考えずに捨てる」という考えにも反対。一つ一つのモノに向き合って、そこで出てきた感情を味わって初めて、モノとの関係が消化できると考えています。 とりあえず、この週末時間が取れたら自分の服 【送料無料】人生がときめく片づけの魔法
また、いつのまにやら気づいたらもう年末。はやっ! すっかり月一(以下?)の更新になってます。 この間にもいくつかいい本があったのだけど、書くタイミングを逸してしまったので 『「また、必ず会おう」と誰もが言った。/喜多川泰』 この人の本は、小説というより限りなく自己啓発書といえるかも。 小説としてみると、話うまく進みすぎてウーーン なぜかというと、なんかいつも、その時の自分に直球ストレートで”ストン”とはまる言葉が必ず一つか二つあるのです。 たとえば今回はまったのはこんなとこ。 ”他人のメガネをかけて世の中を見てると、世の中なんてつらいことをがまんするだけになる” ”子どもの持つ無限の可能性を引き出すために一番重要なことは、心から信頼して待ってくれる誰かがいる、ということ。 信頼の反対は管理。そして、「待つ」の反対は結果を求めること。” この「信じて、待つ」というのは、3年ほど前から私の子育てにおける永遠の課題なのでした。 (全然達成できていないから ”永遠の課題”なのだけど・・・ うちの子供達も、いつか旅をしてこんな出会いを経験することがあるかなあ その時私は、子供達とその成長を信じてちゃんと待ってあげられるかなあ。 ・・・とかちょっと考えてしまいました。 (すっごく、オロオロ、ソワソワ、ドキドキ、イライラしてそうなんですけどー 「また、必ず会おう」と誰もが言った。
いつのまにやらだんなが買ってきたらしく、ふと見ると本棚に最近ちまたで有名な『もしドラ』が。 通勤電車 ミリオンセラーになっているのは知ってたけど、表紙と挿絵のマンガから正直あまり期待してなかった(見くびっていたと言ってよかろう 企業のマネージメントの理論がこんなところで使えるんだ、とちょっと眼からウロコ ドラッカーの『マネージメント・エッセンシャル版』読みたくなりました。 こんな風に、一見とっつきにくく見えたり、自分とは関係ないと思うようなテーマに興味を持つ “きっかけ”となる本って好きですね~ どんどん世界が広がっていく気がして もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら 楽天ブックスのレビューが1000件超えてるの初めてみたかも マネジメント
”中学生以上すべての人の”というコピーがついている”よりみちパン!セ”という新書から、 『だれか、ふつうを教えてくれ!/倉本智明』 作者のプロフィールに、「20代前半までを弱視者としてすごし、現在はほぼ全盲に近い視力だが、主夫の経験をいかして家事全般をこなす。得意料理はけんちん汁。」とあります。大学で”障害学”を教えてらっしゃったりもするらしい。 視覚障害者の方の4人に1人(作者のまわりではなんと2人に1人!)が電車のホームから落ちた経験がある、って初めて知りました。 この本の中には、「想像してください」っていう言葉がよくでてきます。 例えば、全乗客の三分の一もが、今までに事故にあったことのある交通機関。(”あったらこわい”シリーズに出てきそう 4人に1人が窓から振り落とされたことのあるバスとか、3人に2人が加速で失神したことのある旅客機とか。 それだけ高い割合で事故が起こっているという事実は、個人の責任に帰すことができない問題がそこにあるということだと。 また例えば、背中に翼がある鳥人間の社会の中では、階段なんてものはなくて、その中では「健常者」と言われる私たちが障害者になってしまうでしょう、とか。 そんなふうに、なにが「ふつう」であり、誰が「健常者」であるかは、実は絶対的なものではなく、相対的に決まるのだと。 ユーモアを交えたエピソードや例えが面白くて読みやすいし、決して押し付けがましくないところがとってもいい 障害のこととか、”共生”と言われることについて、道徳的に見た目や聞こえは美しい ・障害を持った人にサポートする時には、様子をよく見て本人に助けが必要かどうか、どのような手伝いができるかを聞いてみること。知識にとらわれるのでなく、向き合うべきは目の前のその人であること。 「不要な手助け」を押し付けられるのはよけいなお世話だけど、「手助けが必要かどうか」を尋ねるのはよけいなお世話でなく、両者は似ているようで全く非なるもの。 ・わからなければわかろうとするけど、わかった気になると、そこから先にはすすめなくなってしまいます。だから、相手のことをわかっていないということは、恥でもなんでもないわけです。 むしろ、わかっていないというその事実こそが、人を出会わせ、交わらせる原動力なるのではないでしょうか。(本文より) この本の中の話って全部、つきつめれば、健常者と障害者との関係の話ではなく、すべての「人間同士のつきあい」の話になってきます。 これも、もう少し大きくなったら子供に教えてあげようリストに入れとかなくちゃ。 だれか、ふつうを教えてくれ! |一覧| |
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