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![]() ブラウザにFirefoxをお使いの方に申し上げますが、このブログ(というか楽天のブログね)はFirefoxでは正常に表示されないことがあります。テキスト部分の表示幅が狭くなっちゃうんです。私もFirefoxを使ってるんでレイアウトの際に不便でしょうがない。私が楽天を使ってるのは「書き込みに手間がかからない」というのが唯一の理由なんですが、このままブログ続けるんだったら引っ越した方がいいかもね・・・ちなみに、Firefoxで表示がおかしくなってる時は画面上の方の「Diary」と書いてあるボタンを押すと正常に表示されます。ご参考までに・・・ 以上、お知らせでした。こっからが本題。 ***************** 『「甘え」の構造』(弘文堂刊)という有名な日本人論を書いた土居健郎せんせーによれば、伝統的な日本人のスポーツ観(「勝負観」と言った方がいいのかな)は、欧米人のそれとは全く異なるんだそうですね。そして、その顕著な特徴は「勝利至上主義」の排斥だという。どうやら日本には、「勝負ごとにおいて勝敗を徹底的に争わない」という伝統があるらしいんです。 これは「どれほど勝ち進んでも最終的には天皇を超えることはできない」という前提の中から生まれた文化だろう、と土居せんせーは推察してます。あらゆるジャンルにおけるナンバーワンは建前上天皇に決まってるんだから、その下のランクをめぐってガツガツ争うのは見苦しい、という考え方ですね。 そういえば日本人が好きな囲碁や将棋なんかは「徹底的に争わない」の典型で、何手か先を読んで「あ、こりゃ負けたな」と思った段階で(その時点の盤面上では必ずしも不利じゃなくても)、「投了」を宣言するのが奥床しいとされてます。「ヒカルの碁」を読んだ人は分かると思いますが、「負けは確実だけどいよいよ打つ手がなくなるまでは徹底抗戦」なんてアサマシイことはせず、さっさと「負けました」と言って勝負を下りちゃうんですね彼らは。 そこで「勝たなきゃ意味ねーじゃん」という「勝利至上主義」を素直に推し進めちゃうと、最後の最後には「天皇に挑戦!」みたいなことになっちゃって具合が悪い。そういう歴史的背景の中で、勝敗を徹底的に争わない伝統が形成されると同時に、勝敗よりも「戦い方」の方を重視するという傾向が生まれた、というのが土居せんせーの説であります。 従って、日本の伝統的な勝負観では、勝ち負けそのものよりも「キレイな勝ち方」、「潔い負け方」が評価される。現実の勝敗よりも美学の方が大事なんですね。どうせ勝てないなら次善の策は「美しく負けること」であって、「ネヴァー・ギブアップ」じゃないんです。日本人が戦争下手でサッカーが弱い理由がなんとなく解るような気がします。 スポーツ団体でも体質が古い組織は、「勝敗よりも美学優先」という戦前の価値観を引きずってるところがある。「審判ちょっとヒドイんじゃないの?」と抗議した広陵の監督に対して高野連がお灸を据えた、なんてのはまさにソレですね。審判の判断には粛々と従うのが美しい敗者の在り方であって、負けて文句をつけるなんて論外、ということなんでしょう。 「じゃあミスジャッジをした審判を庇うのは美しいのか?」という疑問はとりあえず置いといて、私は勝負ごとに「美学」を持ち込む連中が基本的にキライだ。スポーツに「人生観」や「教育的配慮」を持ち込む奴らもキライ。そりゃ一定のフェアネス(公正さ)が必要なのは私だって認めますよ。その程度のルールがなければ、そもそも勝負自体が成り立たない。でも、「美学」だの「道」だのという「スポーツ以外のもの」があまり幅を利かせてるのも問題で、それを突き詰めると「美しくカタがつくんだったら八百長でもいいんじゃない?」みたいなヨコシマな発想につながりかねない、と思うんですケド。 ---ワタクシ的には、その手の「勝負の美学」には全く興味がない。美しく負けるよりも見苦しく勝って勝利の虚しさを噛みしめたい、と思っちゃうタチなんです。勝たなきゃ分かんないことってあるんだよね。いつもいつも美しく負けてちゃ、勝者の辛さなんて分かんないでしょ?--- まあ、誤審云々はともかく公立の佐賀北高が甲子園で優勝したのは快挙だと思うけど、「普通の公立校が勝つ方が高校生らしくて清々しいですねー」みたいな変な美意識をメディアが押し売りするのは止めて頂きたい。「ハンカチ王子」の時の騒ぎといい、メディアってネタになれば何にでも食いついて徹底的に消費しちゃうんですもの。「清々しい」なんていう安易な称賛は、何よりも、実力で勝った選手たちに対して失礼だと思う。 [スポーツのことなど]カテゴリの最新記事
高野連と相撲協会、似てますねー。
昨日はダラダラとコメを書いてしまい申し訳ございませんでした ペコリ(o_ _)o))。どーもCassさんとは波長が合うようで(すみません勝手に合ってしまってw)言いたい事を存分に言えるブログなんですよね、ここって。貴重な存在だわ。 でもね、広陵の監督ね、そこまで言いたいんだったら試合中にベンチから飛び出てでも主審にクレームつけなさいよ。監督辞めてもクレームつけるって言うんなら、試合中に即座に異議を申し立てるのが筋じゃないか?試合が終わった後のマスコミに対してのコメントであんな事言ったって戯言ですよ。試合終了の時点で双方納得の上お開き状態なんですから。高野連がマトモに取り合う分けない。アンタ監督として失格だよ、指導者が熱中症になってどうすんだよ・・・とちょっと文句の一つでも言いたくなる。 武道の世界でも年功序列みたいなのがあるんですよ。ウィキで剣道を調べてもらったらわかると思うんですが、現在では「○年以上経過したもの」に次の段位を取得する権利が出来るというのに、やっぱ剣道連盟の贔屓とか年齢順とかしょーもないモノが左右する時がある。大体、「残心あるもの」が一定の基準って何だよそれって感じです、剣道を知らないワタクシとしては。 潔く負けるのも日本の美学かもしれませんが、ワタクシは勝負にこだわる方なので何が何でも勝ちたいですけどね。だからって八百長が許されるわけでなく、ルールに従って勝つのが何事も勝負事で大切なものではなかろうか。ルールのない勝負なんて殺し合いみたいなもんですからね。戦争にだってルールあるんだから。(2007.08.24 13:55:58)
丁度、数日前に若い友人にこんなことを聞かれたんです。「宮本武蔵は、勝てない相手とは戦わなかった。だから、一度も負けなかったとも言われてますよね。宮本武蔵は本当に強かったと思いますか。」と
「実際に、宮本武蔵が勝てない相手とは戦わなかったかどうかはわからないけど、もし、そうだとしたら、だからこそ強かったと言えるんじゃない。」と私は答えたわけです。まぁ、当然ですけど、昔の兵法者の戦いは、殺し合いなわけですからね。負ければ死んで終わりです。「美しく負ける」なんてなまっちょろい事は、当然言っていられませんよね。 そして、「柳生は宮本武蔵と戦う事を避けた」とも言われてますよね。 でも、これも当然ですよね。まぁ、実際にはわかりませんけど、たぶん柳生も武蔵も強かったんじゃないですかね。本当に。だから、お互いに、「絶対勝てる」とは思わなかった。 下手すれば負けるし、よくても相打ち、くらいにお互いに思ったんじゃないでしょうか。 だから、柳生も戦いを避けたけど武蔵も戦おうとは思わなかった、というのが真相じゃないかと思うのですよ。殺し合いともなれば、「美しく負ける」だの「潔い負け方」なんてのは、なかったと思うわけです。 ですから、日本には昔から、そういう伝統があったというのは、まぁ、たぶん間違いでしょう。武士の時代には、天皇なんてゴミ並みにしか扱われてなかったし、柳生や武蔵のような人間も(あくまでも、私はそう思うって事ですけど)居たわけですから。 たぶん、今のきれい事は、戦後に無茶な戦争をしたあげくに無様に負けた事を何とか言い逃れるために(これは、政府がとか軍部とかというより、日本人全体が)作られたんじゃないでしょうか。 あぁ、お初の分際で、長々と好き放題書きまして、すみません。m(_ _)m これからもこたつネコさんのブログを楽しく読ませて頂きます^^(2007.08.24 23:19:10)
シュワルツ・カッツさま
相撲協会の対応のまずさにいい加減腹が立っている私です。危機管理能力があまりにも乏しい。アベ内閣並みですね。北の湖理事長って、もう少し行動力があるかと思ってたんですが、結局は理事会に丸投げしてるだけだし、これで朝青龍の病状が悪化してモンゴルから抗議でも来たら、誰が責任を取るんでしょうね。ちょっと見物かも(←相撲好きじゃないので言うことが冷淡(^^ゞ) 広陵の監督さん、甲子園は久しぶりでしたからねー。ベンチがどれほど暑いか忘れてたんじゃないですか?監督が熱中症になるのって珍しいですよね。試合に夢中になりすぎたのかしら---それも危機管理能力が問われそうな話ですねー。まあ、皆が言いたくても言えなかったことを敢えて口にした、というだけでも褒めてやるけど(試合中に抗議できなかったのは分かりますね。試合中にやると「チームの行為」ということになっちゃって、後で学校が高野連にイジメられるから。辞任覚悟で「個人的な感想」として言うしかなかったんだと思います。甲子園経験者で今は母校の監督をやってる友達の弟クンに言わせると、高野連に睨まれるとそーとー面倒なことになるらしいです)。 そういえば大学の同級に剣道三段という人がいて、その人から「残心」という言葉を聞いたことがある。「念には念を入れろ」とか、その程度にしか受け止めてませんでしたが(「味噌汁をよそう時はちゃんと火を消したかどうか確かめようね」とか)、段位の授受を左右するような重大なポイントだったんですね。だいたい剣道やってる人の言うことって禅問答みたいでよく分からない。「間合いとは自分よりも近く相手よりも遠い」だの「心をどこに置こうぞ」だの・・・分からん。ワタクシ的に一番気になるのは、「ホントに高段者になるほど強いのか?」ということです。柔道だと、低段者の方が勝っちゃうことも結構あるみたいですけど。 (2007.08.25 11:08:50)
童遊 蘭陵王さま
コメントが長くて読み応えがあるのは個人的にはウレシイです。 私、活字中毒のケがある方なので・・・(^-^*) 「宮本武蔵は勝てない相手とは戦わなかった」という伝説が本当だとすれば、少なくとも「相手の力量を見る目」は確かだった訳ですよね。孫子の兵法では、基本的に「相手の力量を見て退く時は退く」のが強者の条件になってるようですから、その意味では強かったと言えるんじゃないでしょうか。「本当に強い武士はよほどの大義がない限り刀を抜かないものだ」と言われてますし、「どっちが強いか見たいから戦ってみない?」とか言われただけで刀を抜いちゃうようなオッチョコチョイだと、本当に強くなる前に死んじゃうんじゃないか?という気がしますね。 「どのジャンルでも天皇がナンバーワン」というタテマエは、後鳥羽院の頃までは一応生きてたのかもしれませんね。後鳥羽院の晩年は、周りが遠慮して負けてくれてたのに自分が強いと思い込んじゃって武力に訴えて失敗した、みたいなところがあるように思う。 「勝敗より美学」という考え方がいつごろ生まれたのか分かりませんが、高校野球なんかは一昔前まで確かに「美学優先」の気配がありましたね。練習中に水飲んじゃイケナイとか、「腕が折れても投げ続けます」とか・・・最近少しはマシになったと思ってたんですが、今春の特待生騒動を見て「高野連って全然変わってねぇ!」とガクゼンとしてしまいました。単なる野球好きとしては、なんとかしてくれ!という感じです。 (2007.08.25 11:26:09)
読み応え、には自信はないのですが、長いのだけはくせのようなもので。お許し頂いて、ありがとうございます^^
今日の記事を読ませて頂いて、全体としては「胡蝶の夢」を思い浮かべたんですけど、初めの「人を殺した記憶」の方に反応したものですから、こちらに書かせて頂きます。 正直、今の日本社会では、「勝敗より美学」を消す事は無理じゃないかと思うのです。私のブログで書いている事なんですけど、今の社会は「オスの闘争本能」を矯める仕組みになっていますから。これは、善悪の問題ではなくて、「安全な社会」を造ろうとした時、どうしてもそうせざるを得ない事だと思います。 スポーツと喧嘩を一緒にしてはまずいかもしれませんが、闘争本能が発現した時には、美学、等というのは一切出ませんが、逆に言うと、それを出さないためには、美学で覆い隠すしかないと思います。 なんか、また、字数制限に引っかかりそうなので、もし、詳しい説明は、お許しが頂ければ、私のブログのアドをはらせて頂きます。 ではでは^^ (2007.08.25 15:12:31)
度々すみませんm(_ _)m今度は、天皇の話の方に反応してしまったものですから(笑)
私の天皇観は、司馬遼太郎氏の説の受け売りなんですが、元をただせば神武天皇はまさしく武人、将軍だったわけですね。 ただ、司馬遼太郎氏によれば、面白い事に日本では、そのまま武人として統治するのではなくて、一種の政教一致の形態の中で、天皇は戦うものではなくて、宗教的なむしろ神主に近い存在になった、というのは、大変興味深い事です。 おっしゃる通り、その当時すでに神主になっていたはずの天皇を武による統治者にしたがったのが後鳥羽院だったのかもしれません。 なんにしても、私にとっては、スポーツにしろ囲碁などにしろ、勝負事というのは、所詮遊びだと思っていますし、闘い、とは常に生死のやりとりだと考えているものですから、スポーツはあくまでも、一生懸命にやっているなぁ、可愛いなぁ、くらいに見るのがよいのではないでしょうか^^(2007.08.25 15:33:19)
童遊 蘭陵王さま
オスの闘争本能って今ひとつ分からないんですよね。 そこまで強い本能だとすれば、「美学」で抑えつけられるようなものでもないような気がするんですが。 雌雄の別を問わず一般的に「攻撃性」ということでいえば、みだりに攻撃性を発動させないようにするには、結局は本人が強くなるしかないような気がします。周囲の人を見る限りでは、暴力的な傾向がある人って、割と「自分の弱さを容認できるほど強くない人」に多いように思うんですね。 >お許しが頂ければ、私のブログのアドをはらせて頂きます。 はい、よろしくお願いします。 このブログも再開して3ヶ月余、そろそろリンクなんかもちゃんとしないと・・・と思っていたところですので。 (2007.08.26 20:44:00)
童遊 蘭陵王さま
天皇を「神官のトップ」と考えれば、それはローマ法王と皇帝が一緒になったようなもので、だから日本では「どっちかの権威を利用して他方を抑える」という政治的なテクニックが使えないんですね。裏を返せば、最終的に天皇という「権力の受け皿」があるせいで、「実質的な為政者が自ら最終責任を負わない」という悪弊が生じているような気がします。徳川慶喜だって、「内憂外患で何かと面倒な事態になったから大政奉還しちゃった」と考えられないこともない。「受け皿」がなかったらどうするつもりだったんでしょうか。 「命のやりとり」という意味での「闘い」はスポーツとは全く別のものです。スポーツだのギャンブルだのは、人の生き死にを前提としてやるものじゃないですから。「勝敗より美学」という伝統が仮にあったとしても、それは「歌道」だの「武芸」だのの世界の話で、実質的な「戦闘」に適用されるものではなかっただろうと思いますね。「美学」なんてものを戦闘に持ち込むと、単に勝てないというだけじゃなく、無駄死にが途方もなく多くなりそうな気がします。(2007.08.26 20:58:21)
大失敗をしてしまいました。
自分のブログのアドレスを張ったつもりが、知り合いのメルアドを張ってしまいました。 誠に申し訳ありません。前のコメントは、消してください。 お手間をかけさせて、本当に申し訳ありません。 http://doyu2426.exblog.jp/ エキサイトブログ「旅路」 タイトル「060525馴化」 これが、本当のアドレスです。m(_ _)m(2007.08.26 23:29:08) │<< 前へ │次へ >> │一覧 │コメントを書く │ 一番上に戻る │ |
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