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『チベット永遠の書』(その1)はこちら 『チベット永遠の書』(その2)はこちら チベットの賢人の話が、本書ではいろいろと、心に響くものがありました。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「あなたは自分を偉大だとお思いですか?」 すると、彼は笑みを浮かべてこう答えた。 「友よ、高いものも低いものもないのだ。 小さな虫とて、偉人と呼ばれている人間と同じほど尊い。 帝国の誕生と崩壊、宇宙の創造と終滅の混乱さえ、煮え立つやかんの湯とさして変わらぬ。 すべては相対的なものなのだ。移ろいゆくものと永遠なるものとがあるのみ。 六千年もすればどんなに偉大な人間の骨も残らぬ。その記憶さえ残されてはいない。 すべては相対的なのだ。わしは空の鳥や地を這う毛虫ほどにも偉大ではない。 未来永劫に続くものは生命のみ。形は全く取るに足らぬものじゃ。」 この人たちは尊敬されたくないと思っているのに尊敬されている。 彼らは子供のような心をもっている。つまり、子供のように純真なのだ。 彼らは霊的に高まろうとする人間の行く手にある最も忌むべき落とし穴ーー霊的傲慢さーーに陥っていないようにみえる。 彼らは霊的な地位や名声を少しも求めることなく、ひたすら人類への慎ましき仕え手に甘んじているのである。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 数多くのラマ僧とは、正反対のチベットの賢者の本質が、この言葉に表れています。 また、下記では「動機」について、興味深い言及が、なされています。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 光と闇がどれほどそこに交錯していることか。 外見という幻覚を通して実質を見ることが、どれほど難しいことだろう。 断食、禁欲、親切など、行為そのものは同じでも、もっとも大切なもの、つまり「動機」は全く違うかもしれないのだ。 この点からみれば、積み深い行為も聖人ぶった行為もまったく同じものである場合があまりに多い。 それでも、「霊的」であると自称する多くの物は、他人の行為を平然と裁く。 真のチベットの隠者は他を裁くということがないが、偽聖者は機会あるごとに人を裁こうとする。 本物と偽物とを見分ける格好の試金石が、まさにここにある。 「霊的」であると称する人間の中で、この試験をパスできるものがはたして何人いるだろうか? われわれは、他人のとる行為はみることができても、その背後に隠れた一番大切なものーー動機ーーまではみることができない。 であれば、人を裁かず、むしろ自分を裁かなければならない。 自分の動機が何であるかは自分が一番よく知っているからだ。 これはとても大切かつ有用なことだ。 人を責めることほど愚かなことはない。悪事はほとんどが無知によるものであり、真の悪意によるものではないのだ。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 人を裁くというのは、知らずにしていることがあり、自分自身の思考パターンを改めて感じることがあります。 そして、自分の中にそういう部分があるからこそ、それを今度は逆に現実の現象で見せつけられるという体験もありました。 霊的に鋭いがゆえに、人を裁いてしまう…裁くという自覚もないままに。 現象よりも、その自覚があるのかどうか、上記でいう「動機」が問題であると思います。 それは、自分自身にしか分からない。 自分自身のなかにある、物事に対しての「動機」を、ありのまま見つめていこうと思います。 この記事のトラックバックURL:
http://tb.plaza.rakuten.co.jp/kotoha/diary/200811210000/2f150/
動機が不純、なんてよく言いますが…
たとえ、動機があまりほめられたものではないにしても… その行動が、誰かを喜ばせるものならば、誰かの役に立てるものならば、それは、よしとしたいなあ。 以前、本で読んだ内容が頭に残っていて。 それは… 電車の席に座っていたら、お年よりが自分の前に立った。 ふとみると、隣にものすごく好みの女性が立っている。 ここで、すっと立って席をゆずれば、とても格好がよいところをみせることができる。 でも、そんな動機で席をゆずるなんて、あさましいかもしれないとも思う。 それに、美人の前で、ええかっこしいと思われるのも嫌だし… どうしようかな… こういうとき、結局はどんな動機でも、席を譲るという行動は、お年寄りを喜ばせるだろうし、役に立つ行動といえるだろう。 動機はどうあれ、とにかく実践すること。 これが一番大切なのではないか。 …てな感じのことが書かれていたのです。 私は、なーるほどー、と納得しちゃいました。 だから、いいことあるといいなー、なんて思いながら、道端のゴミとか拾ったりすることにしました。 動機はいつだって、不純なのでありまーす(^^) (November 23, 2008 22:04:00)
ことはさん、こんばんは。
休日はゆっくりお休みですか? “自分自身のなかにある、物事に対しての「動機」を、ありのまま見つめていこうと思います。” このように書かれていのをみて、「動機」という言葉をみて、動機という言葉に対してあまり焦点を当てたことがなかったことに気付きました。 今思うのは、その動機に+してそれをすることで自分の心がどう感じるか。。。喜ぶかなんだかなぁ〜って思うかその辺のことも感じながら、見つめてみようと思いました。 素敵な気付きをありがとうございます^^(November 23, 2008 23:09:31)
ひょーこさん
>動機が不純、なんてよく言いますが… >たとえ、動機があまりほめられたものではないにしても… >その行動が、誰かを喜ばせるものならば、誰かの役に立てるものならば、それは、よしとしたいなあ。 うんうん。ひょーこちゃん、それは、ほんとに、すばらしいと思うよ♪ 人に喜んでもらいたいっていうのは、素晴らしい動機に、結果なっていると思うよ。 >以前、本で読んだ内容が頭に残っていて。 >それは… > >電車の席に座っていたら、お年よりが自分の前に立った。 >ふとみると、隣にものすごく好みの女性が立っている。 >ここで、すっと立って席をゆずれば、とても格好がよいところをみせることができる。 >でも、そんな動機で席をゆずるなんて、あさましいかもしれないとも思う。 >それに、美人の前で、ええかっこしいと思われるのも嫌だし… >どうしようかな… > >こういうとき、結局はどんな動機でも、席を譲るという行動は、お年寄りを喜ばせるだろうし、役に立つ行動といえるだろう。 >動機はどうあれ、とにかく実践すること。 >これが一番大切なのではないか。 >…てな感じのことが書かれていたのです。 そうだね〜。ほんとそう思います〜☆ 心の中の葛藤はよく分かります(笑) それでも勇気を出して、実際に行動する、実践することが大切ですよね。 >私は、なーるほどー、と納得しちゃいました。 >だから、いいことあるといいなー、なんて思いながら、道端のゴミとか拾ったりすることにしました。 >動機はいつだって、不純なのでありまーす(^^) ----- うんうん。それは何ていうか不純ではないと思うよ。 素直に行動していけば、オッケーだと思います☆ (November 25, 2008 01:48:30)
スマイリーワンさん
>ことはさん、こんばんは。 >休日はゆっくりお休みですか? はい♪きのうは、休みまくりました(笑) >“自分自身のなかにある、物事に対しての「動機」を、ありのまま見つめていこうと思います。” > >このように書かれていのをみて、「動機」という言葉をみて、動機という言葉に対してあまり焦点を当てたことがなかったことに気付きました。 >今思うのは、その動機に+してそれをすることで自分の心がどう感じるか。。。喜ぶかなんだかなぁ〜って思うかその辺のことも感じながら、見つめてみようと思いました。 >素敵な気付きをありがとうございます^^ ----- こちらこそ、いつもありがとうございます。 動機、意図を見つめるということ、僕も書きながら、見てないことも多いですが、動機を見詰めつつ、素直に行動していければ、いいなあって思います。 (November 25, 2008 01:50:45) │<< 前へ │次へ >> │一覧 │コメントを書く │ 一番上に戻る │ |
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