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ことりんのスマイル

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維持療法、・・そして再発・2002年8月

「維持療法、・・・そして再発・2002年8月」



2002年8月26日、琴音は2度目の維持療法の為に入院しました。
月曜に入院して、火曜から木曜まで治療、そして金曜日か土曜日には退院が出来るという予定になっていて、病棟もいつも通りの血液腫瘍科の病棟。
末梢確保で泣くんだろうな、と言う事は目に見えてましたが、治療自体そんなにダメージを受けるものでもないし、私は緊張の「き」の字もなく、まったくのリラックス状態でした。

基本的には大部屋が希望なのですが、(他の子供がいた方が、琴音にとっては紛れるので)個室が用意されていました。
病棟に入った琴音は、やっぱり久しぶりの入院に怯え気味で、ビデオを見せても遊んでも微妙に落ちつきがない・・・。

初日のこの日は午後4時からMRI撮影という事で、琴音は昼食絶食の後眠剤を入れられて外来のMR室に行きました。
その間、私は、久しぶりの看護婦さんやお友達のお母さんと話したり、超余裕(爆)。

MRI撮影も予定通り終わり、琴音に夕食を食べさせた後、夜になってDr.がムンテラの為に病棟に来ました。
朝、病棟に入る時は私の母と一緒に来たのですが、母はMRI撮影中に先に帰って他に誰も付き添いがいなかったので、私は琴音を一緒に連れてムンテラを受ける為に処置室に行きました。

先に中にいたDr.は、写真を出す前に開口一番言いました。
「お母さん、あのねぇ。治療、ちょっと続けられなくなった。」

Dr.のセリフの一字一句、今でも忘れられません。

再発の宣告でした。

全く、と言っていいほど予想がつきませんでした。
あまりに突然で声も出ない・・・。

Dr.は写真を出して説明を始めました。
とても驚いていましたが、思考回路の方は意外な程冷静で取り乱す事もなく、Dr.の言っている事は聞き漏らさずにスムーズに耳に入ってきました。
でも、裏腹に涙はポロポロとこぼれてきました。
私は、次々あふれてくる涙を拭おうともせず、Dr.と琴音の写真から目をそらしませんでした。(多分Dr.やNs.はバツ悪かったんじゃないかな・・・。)
ただDr.と写真から目をそらさなかったのは、強い意志とかじゃなく、私に抱かれている琴音にこの顔を絶対に見られてはいけないと思ったからでした。

再発が認められた時点で、詰まる所、これまでの化学療法ではもう腫瘍の増殖を抑える事が不可能という判断になります。
腫瘍は3cmほどに成長している状態で、タイミング的にはまずはOPEをするのが望ましい。
まだ腫瘍による体への影響が懸念されるような進行状態ではないので、今回はもうこれで帰宅をし、後日一度ゆっくりと話をして、今後の治療の予定を決めましょう、と言う話になりました。

この日はもう夜も遅くなってしまっていたので、病院に1泊させて翌朝に連れて帰る事にしました。

処置室を出て、すれ違う看護婦さん達は特に何かを言う訳でなく、私はどういう顔をしてればいいのかなぁ、とかこの人たちはもう再発について知ってるんだろうか、こういう時って腫れ物に触るようなかんじになったりするのかなぁ、とかなんとなく考えていました。

琴音が眠った後、私がトイレに行った帰り、ちょうどナースラウンジから、初期治療の時からお世話になっていた、ある看護婦さんが出てきました。
その看護婦さんは私を見ると、
「ママ、辛いよね。でも頑張ろう。一緒に頑張ろうね。」と言って、私の事をぎゅっと抱きしめてくれました。
その時、初めて声を上げて泣きました。
なんとなく、分かってくれる人がいたという安心感だったような気がします。
その看護婦さんは、まだ若いのですが、私と同世代というほどでもなかったので、特に親しくしていた看護婦さんではなかったのですが、この時以来、とても印象に残っている看護婦さんの一人になりました。

その後病室に戻った後、眠っていた琴音がぐずぐずと起きだして嘔吐をしました。
それはきっと腫瘍の為ではなく、MRIの為に眠剤を結構使っていた事などの偶然だったのでしょうが、タイミングの妙さに改めて再発を痛感させられたような気がしました。

この日から、2度目の脳腫瘍との戦いが始まりました。


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