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『はだしのゲン』でもう一つ思い出したことがあります。知る人ぞ知る「ちゆ12歳」というサイトのこのページ。
http://tiyu.to/n0106.html#13_06_16 >無駄に長い前置きが終わりましたところで、今日の話題はPTA推薦の怨念漫画「はだしのゲン」です。 へっ、PTA推薦の怨念漫画? 怨念というか、少なくとも原爆による地獄絵図は作者の中沢啓治さんが見た事実を描いているのですが。それ以外の描写も、中沢氏の実体験を元にしています。これのどこが「怨念」というのでしょうか? >そこで、 平和に対する活動をこのように評価するのですね。核兵器の恐ろしさや平和の尊さを世界に伝える行為をどうして「自虐感に浸らせるため」などというゲスな解釈をしているのか。 > それにしても、画家を目指して東京に向かったゲンのその後が描かれる予定だという続編の発表が、本当に楽しみです。 描ける場所があればすぐにでも描かれるでしょうね。残念ながら戦後60年も経ち、戦争の残酷さや平和の尊さに対して恐ろしく関心のない人間が増えてしまって、発表する場がなかなかないのではないかと。 > すでに還暦を過ぎられた作者の中沢先生。どうか描く前に亡くなられるようなことだけはないことを、切に願います。 なんだかとても質の悪い言い方ですね。爆心地からわずか1.3キロメートルで被爆し、被爆者手帳を持ち常に死と隣り合わせの中沢氏を揶揄しているのでしょうか。鼻持ちならない言い方ですね。 >ネットアイドルちゆは中沢啓治先生を応援しています。 ぬけぬけとまぁ。『はだしのゲン』を曲解して「怨念漫画」としているおつむのネジが抜けたお前達の応援はいりません。 やはり「ちゆ12歳」は極めてアレなサイトですね。
私が思うに冷静に文学作品として見た時に「はだしのゲン」は2流品だと思います。
何故ならば 1、「戦争は一部の資本家が儲けるために軍と結託して始めた」といった今時子供でも信じない様なステレオタイプのプロパガンダが随所に顔を出し、それが鼻につく。 2、時代考証が杜撰。当時無かったはずのモノや、ありえない行動などが出てくる。 為であります。また、この作品が決して良いものではないというのは井伏鱒二の「黒い雨」や永井隆の一連の作品と読み比べた時に一目瞭然です。 後、「はだしのゲン」の続編が出ないのは興禅さんが言われるように >描ける場所があればすぐにでも描かれるでしょうね。残念ながら戦後60年も経ち、戦争の残酷さや平和の尊さに対して恐ろしく関心のない人間が増えてしまって、発表する場がなかなかないのではないかと。 といった理由ではなくただ単にこの作品が文学作品として続編を出すに足りるクオリティが無かっただけだと思います。 追記、まさか「反戦平和に関する作品、それも被爆された方の作品に書評を加えクオリティについて論評をするのもケシカラン」なぞという暴論は教養ある紳士の興禅さんは言われませんよね(2005年05月23日 04時18分50秒)
信楽提督さん
> 私が思うに冷静に文学作品として見た時に「はだしのゲン」は2流品だと思います。 あの作品は 「抗いようのない巨大な災厄に晒された人々が、それでもくじける事無く生き抜こうとする人々の記録」 として読めばそれなりに価値はあるのではないでしょうか。ただ、その災厄が「戦争」であり「原爆」であったがために、妙に政治的に利用されてきた、と言うのが否めない事実だと思います。 これで災厄が台風や地震といった天災だったら、ここまで何かと政治的なメッセージを読み取ろうとする人は、少なかったのではと思います。 同じ「戦後の混乱期を生き抜く人々を描いた漫画」としては、手塚治虫の「どついたれ」があり、やはり「はだしのゲン」同様未完なのですが、私はこっちの方が好みだったりします。「どついたれ」の方がなんと言いますか、「怨念」を感じない、どっちかと言うと希望を感じる作品だからです。 かと言って怨念を描く事が良くない、と言うわけではなく、それにも価値はあるのですが、反戦平和のバイブルとして扱うには問題があるのではないかと。良く「子供心にトラウマになった」という感想を聞きますしね。 (2005年05月23日 11時31分27秒) │<< 前へ │次へ >> │一覧 │コメントを書く │ 一番上に戻る │ |