MY LEGEND DIARY
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高校時代は野球部に居た。 中学校の時、無能の極みな顧問にブチ切れて最後の大会をボイコット。 (翌年、ボンクラは更迭) そんな事もあり、とにかく楽しんで野球がやりたかった。 自分の学力でいけそうなのは3高。 先ずA工業は当時の友人で、中学校のエースが進学予定。 更には工業系の事はなんで却下。 続いてB高は監督が異常に厳しく、選手間でもストライキが起こった程。 でも後に甲子園にも出たし、プロへも何人か輩出している。 そんなレベルだから"楽しむ”なんてもっての外。 因みに県大会出場を懸けた決勝戦で何度か対戦するも、悉く返り討ち そして、余談ではあるが中学時代に"玉砕”した女の子もこの高校に進学。 自分的には勉強は厳しいレベル&スポーツ=ダメ トドメに彼女が彼氏と歩いてる姿を見たら、テンション下がって負け犬になるのは必至 最終的に自分に一番レベルの合ったC高を選択。 通学に自転車で40分&校則を異常に順守する石頭が居るのは参ったが・・・ 野球部は夏の大会で未勝利で部員も少ない。結構居た同期も結局2人まで減った。 そこでピッチャーをやりたいと申し出た。 しかし、変化球を全く投げられず、細かいルールも知らない まぁA・B高なら即失格クビになってたと思う。 そんな自分を起用する位、人手不足のチームは当然連戦連敗 それでも当時の監督は試合に出してくれて、本当に有難いと感謝。 この方は自分達の学年主任で、県の高野連でもかなり偉い人らしく、強豪校の監督が挨拶に来てた。 退任後はテレビで解説もやってたっけ。 2年の秋季大会で思いもよらぬ出来事が起こる。 県下最強の私立高と1回戦で対戦する事になった。 しかも、相手のエースは小学校で一緒にプレーした男。 その頃から身体能力はズバ抜けており、中学ではボーイズリーグでプレー。 翌年の春夏に甲子園へ連続出場し、更に数年後プロから上位指名。 まぁ"メジャーvsマイナー最下部”なんだから、試合にならないのは判っていた。 練習試合は絶対組んで貰えない相手。 そのグラウンドで"守備練習”しよう 初回、先頭打者が打った。よしショートゴロと思いきや打球は左中間へ。 センターが追いついた時には、既に打者は2塁を廻っていた 何で"センター前ヒットが3塁打”になるんだ!? よく見ると、相手は身体が小さいが同い年と思えない位の肉厚の体型。 自分の棒球を悉く弾き返していく・・・ 完全試合こそ免れたが、予想通りのコールド負け。 悔しさよりも爽快感の方が強かった。 その後もチームは負け続け、最後の大会では一死も取れず無残なKO劇 悔しかったけど、ある意味で自分らしい結末だったと思える。 大会前から調子は最悪で、フツーのチームなら"先発剥奪”レベルの惨状だったにも拘わらず、 前年から就任した新監督は「背番号1」を自分に授けた。 "3年間よく頑張ってくれたな”という労いもあったのかもしれない。 結果は出せなかったけど、本当に楽しかった。 この2人には、今も心から感謝している。