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テーマ:アメカジ全般(1882)
カテゴリ:デニム
久々にジーンズを買いました。
CANTON OVERALLS 500-1060 D.INDIGO まずCANTONって名前だけで惹かれるものがあります。
トップボタンは当然ながらオリジナル。
股リベットがあります。
ポケットの形状やサイズ・位置なんかが独特です。
紙パッチです。
ヒップポケットのステッチも好みです。
赤タブは存在しないですが、代わりにこういうのが付いてます。
縫製糸の色が上のポケット写真とは違ってます。
当たり前のようにセルビッジが存在するんですけど、このジーンズが面白いのは
左右でセルビッジの色が違ってるところです。 以前は持ってたんですけど今は一本もサルエルを持ってないので、それっぽいのが欲しかったので今回それっぽいものをゲットして大満足。 買ったのはいつものようにオーバーサイズの32インチです。 で、惹かれてしまうCANTONというブランドなんですけど 日本では1945年の敗戦後にアメリカ軍 (GHQ) が放出した古着の中の大量のジーンズ、そして一気に流入したアメリカの映画や音楽等が普及のきっかけとなった。日本人ではじめてジーンズを着用した人物は白洲次郎である。 1956年、日本で初めてジーンズを輸入販売したのは港区北青山一丁目に在った栄光商事(後のEIKO)である(その後は米軍やその家族の放出品であるセコハンジーンズを扱う店がアメ横に登場)ロカビリー歌手やGS(グループサウンズ)の人気グループ御用達の店として、また長きに渡って一般客にも愛された。 国産(日本での製造)のジーンズ生産の発祥としては、1958年に岡山県倉敷市児島のマルオ被服 (現:ビッグジョン) が受託生産を開始[要出典]。1960年にマルオ被服 (現:ビッグジョン) が日本で最初のジーンズの生産発売を開始。同年に千葉県の高畑縫製がジーンズのEIGHT-Gを生産販売した。(「1961年に東京の常見米八商店(現:エドウィン)が初めての国産ジーンズを販売した」とする説もあるが、当時アメリカ中古ジーンズの販売を行っていた常見米八商店は息子をジーンズ生産の技術を学ぶために縫製会社の取引先であったマルオ被服 (現:ビッグジョン) に弟子入りさせていたので、エドウィンが初の国産ジーンズを生産販売したという説はあいまいである。) 以上、ここまでは史実上少しあいまいな部分があるので、日本の国産ジーンズの起源と確実に呼べるのは、国産ジーンズの歴史上かかせない全国での初ヒットモデル「キャントン」である。「キャントン」は、1965年にマルオ被服(現:ビッグジョン)が、アメリカの中古ジーンズを販売していた大石貿易と取引のあったキャントンミルズ社のデニム生地を買い国内で生産発表したジーンズの名である。当時の日本人には肌さわりが悪くゴワつくジーンズは受けいられなかったため、マルオ被服 は「ワンオッシュ」という現在のジーンズ生産に重要となる技術を世界で初めて採用し、現在の日本製ジーンズだけでなく世界のジーンズ技術の礎となった。 現在の日本でのジーンズ生産量1位の地域は、岡山県である(岡山県はビッグジョン が所在している)。1970年代以降は男性のみならず、若い女性もジーンズをはくようになった。1977年に大阪大学でアメリカ人講師がジーンズを履いた女学生を教室から退室させたことから「阪大ジーパン論争」が起こった。 (Wikipediaより抜粋) 少し長いですが好きな人には興味深いことが書かれてたりします。 白洲次郎からロカビリー・GSにEDWIN・BIG JOHN・EIGHT-Gまで、知ってる人はすでに知ってるけど興味のない人は全然知らない歴史がそこにはあります。 ちなみに現在のCANTON OVERALLSを経営してるのは大石貿易の取引相手だった豊島株式会社です。そういう関係性もまた面白いです。
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